「「コンクール弾き」ってどんな弾き方?」「ピークが早く来ちゃうピアノ!?」ときて、まだ話が続いてます(^^;;
←子どもにピアノやらせるよりは、自分のピアノ(笑)
小さい頃から、ややこしい曲が正確に表情豊かに「とりあえず」弾けるのって、指が動かない再開ピアノ弾きからすればうらやましい限りです。それで何が悪いのって気がしちゃいます。
別に弾けることがマイナス要因ってことないと思うんですよ。多少、譜読み(楽典?)とかが疎かになっててバランス悪かったのかもしれませんが、物理的なことというかテクニック的なもの、運動神経が隅々通ってるのかどうかって、若い頃にできてないと、後からできないとはいいませんがまぁかなり苦労は多くなりますよね。
譜読みとかリクツであればむしろ、成長してからのほうが簡単に学べると思いません? なんかもっともらしいグラフを描いてる記事(「代表的なメソッド VS 新しいメソッド」)もありますが、小さい頃コンクール荒らししてた子が何で伸び悩むのかは、自明とはいえないんじゃないでしょうか。
譜面から読み取ることをきちんと教えたいなら、本人が弾いて楽しい曲をどんどん弾きながらでも、ちょこっと時間を別途とってソルフェージュ的な練習もするなり、曲の一部を取り出して解説・分析するなりしていくらでもキャッチアップしていけると思うんですよね。
弾けるというのは、大きな大きなアドバンテージであって、改めて理屈も教えてもらえば理解は早いでしょう。年齢的にも、幼児に教えるのに比べれば、小学校高学年の子に教えるならそりゃ簡単です。
…それでも…
ヤマハの弾き合い会で見かけたような「達者に弾く子たち」がのちに失速していく様子はなんとなく察しがつくんです。
前回記事では「コンクールでは賞が取れなくなったとしても、ピアノはコンクール以外にいくらでも楽しめるんだから、そのベースとして生かせばいい。」と書きましたが、これはわざとすっとぼけて書いただけで、まぁ実際そんなことできないだろなと思って書きました(意地悪です)。
コンクールで賞を取る努力ってそりゃ大変なもので、ピアノを弾くだけじゃなくて周辺の面倒がいろいろあります。その努力を支えてるモチベーションって何なのかというと、やはりピアノが純粋に楽しいというよりは、評価される、賞が取れる、ということが大きな支えになっちゃうのってどうしても人情かなと。
そうすると、なんか目標があったほうが真剣に練習するんじゃない? というような、ピアノがうまくなるための方便だったものが、容易に逆転していってしまうわけです。
年齢が進んで、先生や親の気合よりも「元々の素質」がモノをいうようになれば、そりゃ大半の子が賞を取れなくなってしまうのですが、そのときに幼いころからの投資で得たテクニックを生かして、真に豊かなピアノライフへモチベチェンジできるかっていうと、人間そこまでなかなか器用じゃありませんね。
というか、子どもはもしかしたらポテンシャル的にその切り替えができる能力を持っているかもしれませんが、親はもっと難しいです。なにせピアノを弾いてる本人じゃありませんからピアノで表現する喜びそのものとか言われてもピンときませんし…それにそこまでtoo muchな気合と時間と体力とお金を注いできたのに、形ある成果が崩れたらそりゃキレますわ。
私が直感的に、ピアノが上手な彼らの「予後」が悪そうに感じたのは、親が熱心すぎたからです。
弾き合い会で見た子の一部は、後日教室で見かけたりもしたのですが、上記にリンクしたAメソッドBメソッドの記事にあるとおり、親がレッスンに張り付いていました。ま、往復の安全とかもありますから付き添うのはいいですけど、親がレッスンを吸収して帰って、家ではびっちり親が教え込むとなるとそりゃあもぅ…
そこまでして成果を求めない親がいるだろうか。いやいない。→怖い。
しかも、子ども自身は自力で直接、先生から吸収してひとりで練習して上達するというスキルを積んでいないわけですから、曲が進んできて親の能力を超えたら、そこで失速するのは当たり前です。
ということで、問題があるとすれば、「曲がとりあえず弾けるメソッド」自体というよりは、「評価」「競争」とか「親密着」とかそういうところなんじゃないだろうかと。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
←子どもにピアノやらせるよりは、自分のピアノ(笑)
小さい頃から、ややこしい曲が正確に表情豊かに「とりあえず」弾けるのって、指が動かない再開ピアノ弾きからすればうらやましい限りです。それで何が悪いのって気がしちゃいます。
別に弾けることがマイナス要因ってことないと思うんですよ。多少、譜読み(楽典?)とかが疎かになっててバランス悪かったのかもしれませんが、物理的なことというかテクニック的なもの、運動神経が隅々通ってるのかどうかって、若い頃にできてないと、後からできないとはいいませんがまぁかなり苦労は多くなりますよね。
譜読みとかリクツであればむしろ、成長してからのほうが簡単に学べると思いません? なんかもっともらしいグラフを描いてる記事(「代表的なメソッド VS 新しいメソッド」)もありますが、小さい頃コンクール荒らししてた子が何で伸び悩むのかは、自明とはいえないんじゃないでしょうか。
譜面から読み取ることをきちんと教えたいなら、本人が弾いて楽しい曲をどんどん弾きながらでも、ちょこっと時間を別途とってソルフェージュ的な練習もするなり、曲の一部を取り出して解説・分析するなりしていくらでもキャッチアップしていけると思うんですよね。
弾けるというのは、大きな大きなアドバンテージであって、改めて理屈も教えてもらえば理解は早いでしょう。年齢的にも、幼児に教えるのに比べれば、小学校高学年の子に教えるならそりゃ簡単です。
…それでも…
ヤマハの弾き合い会で見かけたような「達者に弾く子たち」がのちに失速していく様子はなんとなく察しがつくんです。
前回記事では「コンクールでは賞が取れなくなったとしても、ピアノはコンクール以外にいくらでも楽しめるんだから、そのベースとして生かせばいい。」と書きましたが、これはわざとすっとぼけて書いただけで、まぁ実際そんなことできないだろなと思って書きました(意地悪です)。
コンクールで賞を取る努力ってそりゃ大変なもので、ピアノを弾くだけじゃなくて周辺の面倒がいろいろあります。その努力を支えてるモチベーションって何なのかというと、やはりピアノが純粋に楽しいというよりは、評価される、賞が取れる、ということが大きな支えになっちゃうのってどうしても人情かなと。
そうすると、なんか目標があったほうが真剣に練習するんじゃない? というような、ピアノがうまくなるための方便だったものが、容易に逆転していってしまうわけです。
年齢が進んで、先生や親の気合よりも「元々の素質」がモノをいうようになれば、そりゃ大半の子が賞を取れなくなってしまうのですが、そのときに幼いころからの投資で得たテクニックを生かして、真に豊かなピアノライフへモチベチェンジできるかっていうと、人間そこまでなかなか器用じゃありませんね。
というか、子どもはもしかしたらポテンシャル的にその切り替えができる能力を持っているかもしれませんが、親はもっと難しいです。なにせピアノを弾いてる本人じゃありませんからピアノで表現する喜びそのものとか言われてもピンときませんし…それにそこまでtoo muchな気合と時間と体力とお金を注いできたのに、形ある成果が崩れたらそりゃキレますわ。
私が直感的に、ピアノが上手な彼らの「予後」が悪そうに感じたのは、親が熱心すぎたからです。
弾き合い会で見た子の一部は、後日教室で見かけたりもしたのですが、上記にリンクしたAメソッドBメソッドの記事にあるとおり、親がレッスンに張り付いていました。ま、往復の安全とかもありますから付き添うのはいいですけど、親がレッスンを吸収して帰って、家ではびっちり親が教え込むとなるとそりゃあもぅ…
そこまでして成果を求めない親がいるだろうか。いやいない。→怖い。
しかも、子ども自身は自力で直接、先生から吸収してひとりで練習して上達するというスキルを積んでいないわけですから、曲が進んできて親の能力を超えたら、そこで失速するのは当たり前です。
ということで、問題があるとすれば、「曲がとりあえず弾けるメソッド」自体というよりは、「評価」「競争」とか「親密着」とかそういうところなんじゃないだろうかと。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)