アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

もうひとつのニーズと新しいピアノ教室

2015年05月26日 | ピアノ
親として、子どものより豊かな未来を志向して、教育に手をかけお金をかけるというのは真っ当なことですが、ピアノというジャンルは、比較的それが「暴走」しやすい性質を持っています。

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・お金や手間が尋常でなくかけられちゃうこと…
レッスンには親が付き添って逐一メモをとって家で子どもに教え込むとか、偉い先生(?)につくとか、いいピアノを買うとか、いいピアノを置く部屋を作るとか(!)、コンクールを受けるとか、通過しやすそうな地方予選を狙って遠征するとかまでやっちゃったら、いくらでもかかります。さすがに、そこまでやる(できる)のはごく少数派だと思いますが。

・子どもの上達のためには親力が必要そうなこと…
たとえば、画家としての才能を若くからめっちゃ発揮した子がいたとして、その親がドヤ顔してるってのはあんまりピンときません。そりゃ、子どもの素質がすごいんだってみんな思うでしょ。まぁ、その素質は親の遺伝子ミックスでできたんでしょうけれども、育て方が素晴らしいって話にはなりにくいですよね。
でも音楽の世界、とりわけピアノとバイオリンについては、早い段階から親が本気の投資をすることが必要ですから、
ナントナク親が(育て方が)エライ
的な雰囲気にもなりやすいんです。

・子どもの出来がわかりやすく評価の対象となってしまうこと…
ポイントはここです。評価といっても、発表会でお互いに聞き合って、「あの子うまいわね」ってわかる、というのは、聞く人数もたいしたことがありませんし、どのくらいうまいか比較も難しいですし、そもそも、音楽を聞く耳がなかったらどの子がうまいかわかりません(^^;; だから影響も比較的穏やかなんですけど。コンクールのような仕掛けがあって、子どもが「音楽がわからない人にもわかる」「演奏の場にいなかった人にもわかる」評価を勝ちとることがある。これは容易に暴走のトリガーになりえます。

子どもが出るコンクールといっても「全日本学生音楽コンクール小学生の部」くらいしかなかったときには、あまり一般人には関係ありませんでした。千住真理子さんくらいうまけりゃ出るでしょうけど、うっかり出場するようなものじゃありませんし、出たところで「付け焼刃」で賞が取れるようなものでもありません。

でも、今や、もっと気軽に出られるコンクールがいっぱいあります。年齢も細かく分かれて、前の記事に引用したピアノ教室の話にもあるように、バイエルが終わっていない子が出られるようなところもあるわけです。

この場合、低年齢で区切られているコースがあるところがミソです。先生が本気で「コンクール弾き(?)」を仕込むと、本質・本筋から離れていても、ぱっと引き立つ演奏ができる可能性があるからです。

なのでここに「新しい」タイプのピアノ教室が現れて、
・譜読みや音楽の基礎をきっちり身に着けるような面倒なことは脇に置き、
・成長して大人になったあとの豊かな音楽表現につながるかどうかも二の次で、
・背伸びした曲を徹底的に仕込んで入賞しやすいパフォーマンス的演奏をさせる。
ということをすると、一部の親のニーズに非常にヒットすると思われます。

ただ私は「そういう」ピアノ教室のことを深くは知りません。たまたま「弾き合い会」で見聞きした世界はそのようなものだったと思いますし、ネットを検索すればそのあたりからこじれたような事例もいろいろとヒットします。なのでそういう世界は実際にもあるのでしょうけど、

そういう教室(や先生や親)がごく少数派であることを強く願います…

「暴走」というのは、親と子どもの距離が近すぎて、価値観や人生観がコンタミし、子どもは自分自身の希望や意志がどこにあるかわからなくなることを指します。子どもにプラスのことやマイナスのことがあると、親もそれを自分のこととして受け止めてしまうところも特徴です。

これはピアノがうまい下手ということよりずっと、後の人生に影を落としますからね。

ところで、ピアノにおいて「暴走」しやすい理由を挙げましたが、もしかして、同じことが中学受験にも当てはまるんじゃない?? と思ったアナタ、

鋭いです。かかるお値段はそこまでじゃないかもしれませんが、わりと本質的には似てます。あれも暴走しやすい世界です。

ただし、この場合期間限定というか、最後に「成功」すると子どもはその中学校に入学するわけで、仮に親のほうがその成功を自分の手柄のように感じていたとしてもそんなこととは関わりなく、子どものほうは親のことはどうでもよくなって勝手に成長していってしまうのですね。親が子どもといっしょに心血注いで選び抜いた、その恵まれた環境で。

だから、あまり低学年から手をかけて長期化したりするんでなければ、たかだか二~三年のことです。終わりがあるから、たいして泥沼化しません(けど人によるかも)。

あ、なんの話でしたっけ、要するにコンクールという価値観が独り歩き始めるとやばいんです。特に小さい子のコンクールはね。優れたピアノ教師であれば、生徒をコンクールに出すこともあるでしょうが、コンクールが練習や上達の糧となるようにうまく誘導し、生かしていくはずです。その結果、賞をたくさん取ることもあるかもしれませんけど。

そうすると、賞をたくさんとる教室は、その両者が入り混じっていることになります。親としては、そのへんをきっちり見分ける力量に自信があるのでなければ、「コンクールに入賞させてくれる教室」にあだやおろそかに足をつっこむべきではないでしょう。「暴走」の予後は非常に悪いですから。

イタイ質問の例→ヤフー知恵袋「ピアノコンクールで入賞するには」

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