ピアノという楽器の場合、猫が鍵盤の上を歩いても音は出る。それも、演奏時の音と似た音がともかく出る。
←クラシック曲を演奏するという行為は…
これが、たとえばトロンボーンとか、バイオリンとかの楽器だったら、猫が戯れてもうっかり演奏音に似た音が出ることはない。ガタンとかバタンとか、せいぜいそんなもん。
それが誤解のモトなのかもしれないが、「誰が弾いても(楽器が同じなら)同じ音色」と主張する人は、けっこういた(いや、今もいるのか?)。
それが極端なカタチできっぱり書いてある文章を昨日見かけて、なんかもうそれはいっそすがすがしいくらいだったんだけど、曰く、
「ピアノさえ一定すれば、パデレウスキーが叩いても、私がこの万年筆の軸で押しても、同じ音が出るにきまっている。」(「音楽界の迷信」兼常清佐)
より詳しくいえば、可変のパラメーターとして唯一、打鍵速度というのはあって、速く叩けば大きな音が、遅く叩けば小さな音がする。そこまでは認めている。
しかし、タッチが変われば音色が変わるなどというのは「迷信」であるということを、大掛かりな実験をしたうえで主張している。
実験というのは、「ニッポン当代の名演奏家、第一流のピアニスト、イグチ」に依頼して、素人くさいタッチから極上のタッチまでいろいろ試してもらって「そしてピアノの音をトーキーのフィルムに撮影した。」「また私共はイグチの指の動き方を高速度活動写真でも撮影した。」というもので、その結果「その音の写真はどれもみなほとんど同じ音質を示している。」といっている。
「トーキー」などと言っていることからわかるように、これは相当古い(昭和10年)文章なので機材などは相当しょぼかったと思われる。
ただ、「音の写真」といっているものがどういうものかよくわからないけれど、なんらかの観測方法で違いが見られなかったからといって、違いはないと結論するのはむしろ非科学的ではないだろうか? 「(その実験では)違いが観測できなかった」ということは「違いがない」ことを示しているわけではない。
違いがあると主張している人にダブルブラインドテストをやってもらうほうが簡単確実で機材もいらないと思うのだが、それをやったという記述はない。
ともあれ、そんな昔にそんな「誤解」があったからといって今から見てとやかく言っても始まらないのだけど、この文章には非常に不思議な部分がある。
この文章中、「音の混雑」という項目には、同じ音を連打したときに一つ目と二つ目の音が違うということが細かく述べられている。前の響きが消えきらないうちに次のが鳴るから違った結果になるわけだ。この筆者が述べているように、ダンパーで止めるのは弦だけであるから、「箱」部分の振動は止められているわけではないのである。
そんなふうに、ほかの音とのからみや、ペダルの使い方や、いろんな複雑な響きが作れることはこの筆者もわかっていると思われるのだけど…
ピアノの演奏家に許されている自由は、「アレグロ」と書いてあるのを実際にはどんなテンポで弾くかだけであって、それさえ決まればすべて同じ。「もし楽譜が改良されて、作曲家の考えを数量的に書くようになれば、ピアノの演奏家には全く独創という事はなくなる。全く機械と同じものになる。」
美術系と音楽系の学生について言及した箇所はことのほか衝撃である
「私は時々ウエノの森を散歩する事がある。そこで音楽学校の学生が美術学校の学生と仲よく話をしながら帰ってくるのに出会う。それを見る度にいつも私は異様な感じがする。一人は自分の独創的な芸術を画布の上に描き出そうという事を理想としている美術学校の学生で、まさかその一生をラファエルやセザンヌの模写をして過そうと思うような人はあるまい。またその模写にしても、先生が青といえば青、赤といえば赤、何から何まで先生の言う通りに追随する事が一番大きな事業だと思うような人はおそらく一人もあるまい。しかし音楽学校の学生の方は、その美術学校の学生の決してやるまいと思う事だけをやっている。そして仕事は模写と追随だけである。曲はショパンやリストの作ったものである。ピアノはピアノ会社の作ったものである。その弾き方は何から何まで先生の言い付け通りである。もし個人的なものが知らず識らずタッチの上に表われるというかも知れないが、不幸にしてそのタッチというものは世の中には存在しない。やはり今のピアノの学生の仕事を取ってみれば、ただ模写と追随という事より外に何物も存在しない。」
ピアノの響きの複雑さの、少なくとも一端を理解していて、ピアノ曲を弾いたり聞いたりして楽しんでいたらしい人が、なぜこのような結論に至ってしまったのか?? (つづく)
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これが、たとえばトロンボーンとか、バイオリンとかの楽器だったら、猫が戯れてもうっかり演奏音に似た音が出ることはない。ガタンとかバタンとか、せいぜいそんなもん。
それが誤解のモトなのかもしれないが、「誰が弾いても(楽器が同じなら)同じ音色」と主張する人は、けっこういた(いや、今もいるのか?)。
それが極端なカタチできっぱり書いてある文章を昨日見かけて、なんかもうそれはいっそすがすがしいくらいだったんだけど、曰く、
「ピアノさえ一定すれば、パデレウスキーが叩いても、私がこの万年筆の軸で押しても、同じ音が出るにきまっている。」(「音楽界の迷信」兼常清佐)
より詳しくいえば、可変のパラメーターとして唯一、打鍵速度というのはあって、速く叩けば大きな音が、遅く叩けば小さな音がする。そこまでは認めている。
しかし、タッチが変われば音色が変わるなどというのは「迷信」であるということを、大掛かりな実験をしたうえで主張している。
実験というのは、「ニッポン当代の名演奏家、第一流のピアニスト、イグチ」に依頼して、素人くさいタッチから極上のタッチまでいろいろ試してもらって「そしてピアノの音をトーキーのフィルムに撮影した。」「また私共はイグチの指の動き方を高速度活動写真でも撮影した。」というもので、その結果「その音の写真はどれもみなほとんど同じ音質を示している。」といっている。
「トーキー」などと言っていることからわかるように、これは相当古い(昭和10年)文章なので機材などは相当しょぼかったと思われる。
ただ、「音の写真」といっているものがどういうものかよくわからないけれど、なんらかの観測方法で違いが見られなかったからといって、違いはないと結論するのはむしろ非科学的ではないだろうか? 「(その実験では)違いが観測できなかった」ということは「違いがない」ことを示しているわけではない。
違いがあると主張している人にダブルブラインドテストをやってもらうほうが簡単確実で機材もいらないと思うのだが、それをやったという記述はない。
ともあれ、そんな昔にそんな「誤解」があったからといって今から見てとやかく言っても始まらないのだけど、この文章には非常に不思議な部分がある。
この文章中、「音の混雑」という項目には、同じ音を連打したときに一つ目と二つ目の音が違うということが細かく述べられている。前の響きが消えきらないうちに次のが鳴るから違った結果になるわけだ。この筆者が述べているように、ダンパーで止めるのは弦だけであるから、「箱」部分の振動は止められているわけではないのである。
そんなふうに、ほかの音とのからみや、ペダルの使い方や、いろんな複雑な響きが作れることはこの筆者もわかっていると思われるのだけど…
ピアノの演奏家に許されている自由は、「アレグロ」と書いてあるのを実際にはどんなテンポで弾くかだけであって、それさえ決まればすべて同じ。「もし楽譜が改良されて、作曲家の考えを数量的に書くようになれば、ピアノの演奏家には全く独創という事はなくなる。全く機械と同じものになる。」
美術系と音楽系の学生について言及した箇所はことのほか衝撃である
「私は時々ウエノの森を散歩する事がある。そこで音楽学校の学生が美術学校の学生と仲よく話をしながら帰ってくるのに出会う。それを見る度にいつも私は異様な感じがする。一人は自分の独創的な芸術を画布の上に描き出そうという事を理想としている美術学校の学生で、まさかその一生をラファエルやセザンヌの模写をして過そうと思うような人はあるまい。またその模写にしても、先生が青といえば青、赤といえば赤、何から何まで先生の言う通りに追随する事が一番大きな事業だと思うような人はおそらく一人もあるまい。しかし音楽学校の学生の方は、その美術学校の学生の決してやるまいと思う事だけをやっている。そして仕事は模写と追随だけである。曲はショパンやリストの作ったものである。ピアノはピアノ会社の作ったものである。その弾き方は何から何まで先生の言い付け通りである。もし個人的なものが知らず識らずタッチの上に表われるというかも知れないが、不幸にしてそのタッチというものは世の中には存在しない。やはり今のピアノの学生の仕事を取ってみれば、ただ模写と追随という事より外に何物も存在しない。」
ピアノの響きの複雑さの、少なくとも一端を理解していて、ピアノ曲を弾いたり聞いたりして楽しんでいたらしい人が、なぜこのような結論に至ってしまったのか?? (つづく)
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