アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

ゴルトベルクって発注者名じゃなかったんだ…

2019年08月15日 | ピアノ
ようやくバッハ弾く気分になったところで、長らく「積ん読」してあった
「バッハ『ゴルトベルク変奏曲』 世界・音楽・メディア」(小沼純一)
を開いてみた。

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そしたらまずびっくりしたことには、ゴルトベルクさんって曲の発注者名じゃなかった!!
ほら、有名な逸話で、不眠症に悩まされてた伯爵さんが、眠れない夜に聞きやすい曲を頼んだとかいうの、あるじゃないですか。そしたらふつうその伯爵さんの名前で呼ばれるものじゃない??

いずれにせよ「ゴルトベルク」はバッハさんが付けた曲名ではないですがね…
(正式には、「クラビィーア練習曲集第四部」の中の「二段鍵盤のチェンパロのためのアリアと種々の変奏」)

ゴルトベルクさんというのは、伯爵お抱えピアニストで、伯爵がこれ弾けったら弾くわけね。いいなそれ。うちにも一人ほしい(^^)

と、バッハについてはおよそ何も知らなかったわけですが、この本、メインテーマはゴルトベルク変奏曲だけど、本の始めのほうではバッハその人と時代についてごく概略がまとまっていて、今読んでみてとてもよかった。

バッハってあちこち引っ越してるけど(職のあるところに住む)、住んだ地域としては、ドイツの真ん中らへんから、北のほう…東のほう、といったあたりに限られている。別にイギリス行ってイギリス組曲書いたり、イタリア行ってイタリア協奏曲を書いたりしてるわけではないのね。舞曲とかも、いろんなところに源があるものを引っ張ってきているように、ドイツにいながら、目は…というか情報源としては世界広くに向いていたのです。

ドイツといっても一枚岩な国家のイメージではなくて、諸侯の寄せ集め的な国だし、ドイツ語というもののポジションもそんなにしっかりしたものではなくて、フランスかぶれの上流階級、ラテン語を操る知識人たち、そして(そんなに統一されていない)ドイツ語をしゃべる庶民。

16世紀のドイツでは、ラテン語での出版物のほうが7:3で多く、1730年ごろにはちょうどその逆くらい。

バッハはフリーな創作家ではなくて雇われなので、どこに雇われているかで書くものの傾向が大幅に違ってくるんだけれど、私の主な関心事であるところの曲(器楽曲)としてはケーテンに住んでいた時代にかなり集中しています。

ケーテンではルター派ではなくてカルヴァン派(改革派)ってのが主流で、あんまり教会音楽やらないんだって。で、バッハさんは教会でなく宮廷に雇われて、理解ある雇い主のもと、たくさんの器楽曲を書きました。ブランデンブルク、無伴奏バッハの云々とか、「フランス組曲」「イギリス組曲」 「平均律クラヴィーア曲集 第1巻」「半音階的幻想曲とフーガ」などなど

時代背景については、三十年戦争ってなんだっけの私がまとめるといろいろ間違えそうだから書かないけど、バッハの生きていた時代に書かれた作品ってのが

1667 ミルトン「失楽園」
1675 スピノザ「エチカ」
1719 デフォー「ロビンソン・クルーソー」
1726 スウィフト「ガリヴァー旅行記」
1759 ヴォルテール「カンディード」

「ロビンソン・クルーソー」とか「ガリヴァー旅行記」とか、子どものころふつうに絵本で読んだようなものがバッハの時代に書かれてたと思うとちょっとおもしろい。

…などなど、だからなんだというか知ってるのと知らないのとでバッハの弾き方が変わるかっていったらアレだけど、西原稔先生曰く→基礎力としての音楽史ということで。

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