久しぶりに近所のスーパーに行ったら、レジの景色がちょっと変更されていて、
・お店の人との間には透明のビニールカーテン
・クレジットカードはお店の人に渡すのではなくて、自分で読み取り機の差込口に入れる
・レシートはお店の人から受け取るのではなくて、機械から直接、自分の手元にぺろーんと出てくる
←大きな変化にはいろんな側面がある
確かに、人と人との接触を減らすうえで意味のありそうな、そして別段困るところのない変更である。
stay homeな状況から一日も早い解放を願う人は多いけれど(私も)
そう近々まったくの無罪放免というわけにはいかなそうなので、
リスクパフォーマンスというか、リスクが少ない割に価値の高いものから徐々に戻していくということになるのだろう。
そしたら、別段今のままでも困らない(いったん変更の手間をかけてしまったら戻す必要もない)ことはそのままになるだろうか。
今のが収まってもまた別のが流行ることはあるだろうし
いろんな感染症に対して少しでもロバストな社会を、ということになれば…
不要不急というけれど、「不急」ではあっても必要なことであれば徐々に戻さざるをえない。
けれどほんとに不要ならばそのままでいいわけだ。
レシートの手渡しは「不要」と気づいたならばその変化は残るのかもしれない。
不要といえば、現状在宅勤務をしている人の一部は(そして会社も)そういえば出社が不要なことであったと気づき、
コロナ後も基本在宅のまま、必要に応じて出社する形になるかもしれない。
もちろん、大小さまざまそうやっていろんな変化が短期間に起これば、影響も様々ありいろんな調整が必要になるけれど…
私の場合、五十肩期間とstay home期間が重なって(^^;;
肩が特に「痛い」ときには満員電車がけっこう怖かったりするのでそれはもちろん有難い面が大きいのだけど、
一方、深刻な運動不足という問題があって、そりゃもうふだんから通勤しててもかなりの運動不足だけれど、
通勤で歩くという必然を取り除いたらもう…
昨年11月から始まった五十肩(左)はようやく収束を迎えていて、
だからラヴェルでもスクリャービンでも海の幽霊でも支障なくなった(というか、支障は元々の技量だけ)。
ところがひたひたと右肩の具合が怪しくなっており、
回りにくい角度があったり、「こき」と変な音がしたり、ちょっと痛かったり…
腰もなんか怪しかったり…
そして今週はついにものすごい寝違いから手のシビれ(o_o)
よしぞうの見立て(深刻な運動不足からくる血流不足)に沿って昨日の長い散歩(坂道つき)、引き続き今日も途中なるべく家の中を歩き回ったり夕方は散歩(買い物だが)、ようやくちょっと落ち着いた。
私の仕事なぞずっと在宅でも構わないのだが、それならそれに相応した生活習慣を作り上げて、「持続的な繁栄」を目指さないといけない。
昨今の情勢でリモートアンサンブルやらリモートレッスンやらを試してはいるけれど、リアルで会う音楽の楽しみはまったくもって不要不急とは思わない。
むしろ、純粋にレッスン(ピアノうまくなる)よりも会って話したり飲んだりのほうが私にとっては重要に思えるくらいだし、
アンサンブルが「生」であることの意味はそりゃもう、ここを読んでる人に改めて説明する必要もない。
ただ、リモートアンサンブルには、生アンサンブルにないおもしろさや発見があったのも確かだし、リモートレッスンも、「どこでもドア機能」(地域を越えて対応可能であること)、まとめたり記録したりということから理解が深まったり、よい面はある。たとえばだけど、リアルレッスンのアポが取ってあったときに、ほんの少し体調が不安であるとか、天候がやばい(台風など)とかで「じゃあ今日はリモートに切り替えようか」などという柔軟な考え方も瓢箪から駒、転んでもタダでは起きない副産物かもしれない。
五十肩なんて不便なだけで何もいいことはないんだけど、ひどくなって回復してという、下って上って戻ってみると、
ほんの少し、なんか余分な力が抜けて幅の広いアルペジオが弾きやすくなったりとか、やっぱり何事も完全に悪いことだけということもないのかもしれない。
とはいえ、右肩が本格化しないことを今は切に切に願っている。
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・お店の人との間には透明のビニールカーテン
・クレジットカードはお店の人に渡すのではなくて、自分で読み取り機の差込口に入れる
・レシートはお店の人から受け取るのではなくて、機械から直接、自分の手元にぺろーんと出てくる
←大きな変化にはいろんな側面がある
確かに、人と人との接触を減らすうえで意味のありそうな、そして別段困るところのない変更である。
stay homeな状況から一日も早い解放を願う人は多いけれど(私も)
そう近々まったくの無罪放免というわけにはいかなそうなので、
リスクパフォーマンスというか、リスクが少ない割に価値の高いものから徐々に戻していくということになるのだろう。
そしたら、別段今のままでも困らない(いったん変更の手間をかけてしまったら戻す必要もない)ことはそのままになるだろうか。
今のが収まってもまた別のが流行ることはあるだろうし
いろんな感染症に対して少しでもロバストな社会を、ということになれば…
不要不急というけれど、「不急」ではあっても必要なことであれば徐々に戻さざるをえない。
けれどほんとに不要ならばそのままでいいわけだ。
レシートの手渡しは「不要」と気づいたならばその変化は残るのかもしれない。
不要といえば、現状在宅勤務をしている人の一部は(そして会社も)そういえば出社が不要なことであったと気づき、
コロナ後も基本在宅のまま、必要に応じて出社する形になるかもしれない。
もちろん、大小さまざまそうやっていろんな変化が短期間に起これば、影響も様々ありいろんな調整が必要になるけれど…
私の場合、五十肩期間とstay home期間が重なって(^^;;
肩が特に「痛い」ときには満員電車がけっこう怖かったりするのでそれはもちろん有難い面が大きいのだけど、
一方、深刻な運動不足という問題があって、そりゃもうふだんから通勤しててもかなりの運動不足だけれど、
通勤で歩くという必然を取り除いたらもう…
昨年11月から始まった五十肩(左)はようやく収束を迎えていて、
だからラヴェルでもスクリャービンでも海の幽霊でも支障なくなった(というか、支障は元々の技量だけ)。
ところがひたひたと右肩の具合が怪しくなっており、
回りにくい角度があったり、「こき」と変な音がしたり、ちょっと痛かったり…
腰もなんか怪しかったり…
そして今週はついにものすごい寝違いから手のシビれ(o_o)
よしぞうの見立て(深刻な運動不足からくる血流不足)に沿って昨日の長い散歩(坂道つき)、引き続き今日も途中なるべく家の中を歩き回ったり夕方は散歩(買い物だが)、ようやくちょっと落ち着いた。
私の仕事なぞずっと在宅でも構わないのだが、それならそれに相応した生活習慣を作り上げて、「持続的な繁栄」を目指さないといけない。
昨今の情勢でリモートアンサンブルやらリモートレッスンやらを試してはいるけれど、リアルで会う音楽の楽しみはまったくもって不要不急とは思わない。
むしろ、純粋にレッスン(ピアノうまくなる)よりも会って話したり飲んだりのほうが私にとっては重要に思えるくらいだし、
アンサンブルが「生」であることの意味はそりゃもう、ここを読んでる人に改めて説明する必要もない。
ただ、リモートアンサンブルには、生アンサンブルにないおもしろさや発見があったのも確かだし、リモートレッスンも、「どこでもドア機能」(地域を越えて対応可能であること)、まとめたり記録したりということから理解が深まったり、よい面はある。たとえばだけど、リアルレッスンのアポが取ってあったときに、ほんの少し体調が不安であるとか、天候がやばい(台風など)とかで「じゃあ今日はリモートに切り替えようか」などという柔軟な考え方も瓢箪から駒、転んでもタダでは起きない副産物かもしれない。
五十肩なんて不便なだけで何もいいことはないんだけど、ひどくなって回復してという、下って上って戻ってみると、
ほんの少し、なんか余分な力が抜けて幅の広いアルペジオが弾きやすくなったりとか、やっぱり何事も完全に悪いことだけということもないのかもしれない。
とはいえ、右肩が本格化しないことを今は切に切に願っている。
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