チャイコ四季の舟歌の練習を始めるときに目に入る、懐かしいシールが…
←「仕上がり」といえるのは人生の終わりくらいじゃない?
これ↓
このヒヨコシールは、ヤマハで習っていたときの先生が、「合格(いわゆるマル)」のときに貼ってくれたもの。
この当時(18年前とか?)は「マル」をもらってその曲をおしまいにするという習慣があったということですね。
しかしこの当時の私のピアノのことを考えれば、「合格」といっても、たいしていい感じに弾けていたはずはなくて、まぁこのへんで次の曲に行きましょうかというような…
「仕上がる」というのとはちょっと違う概念かもしれない。
レッスンの題材として、この曲をまだ続けてやったほうがいいか、別の曲に移ったほうがいいか
(ここで「いい」というのは、ピアノを弾く技量を身につけるという意味で得られるものが多いというような)
という、先生としての判断のようなもの。
その曲の演奏が「まだまだ」の状態であったとしても、漫然と同じ曲を弾かせていてもよくなっていくことが期待できず、いろんな曲を弾いて力をつけたうえでいつか戻ってきたほうがよさそうであれば「マル」にして先に行くということ。
近年は先生から「マル」をもらうことはないけれど、自分での判断にはやはり
「ただこの曲をこの先弾き続けていったとしてよくなるかどうか」
はひとつのポイントになっている。ある曲の練習を始めてすぐのときは、練習するたびに良くなっていくのが明らかだけど、だんだん何か月か経ってそれなりに弾けるようになってくると「これ漫然と練習していてもあんまり前進しないな…」ってなる。
そんなとき、レッスンを再度受けたりして「まだやれることがあるな」と思い直す場合もあるし、そうでないこともある。
いずれにせよ、その曲に区切りをつけて、他の曲をいろいろ弾いて、何年かして戻ってくれば、
こんどはすんなりと、前より楽にいい感じで弾けたということになる。
つまり、早く切り上げてしまわずに、何か月かその曲を続けたにしても、それは「仕上がり」とはたぶんいえない。
「仕上がり」を、一流のプロがその曲を弾くのと同じように弾く、とするわけではなく(そんなのは不可能)、
自分にとっての最高到達点を「仕上がり」と呼ぶとしても、それはただ数か月、真面目にその曲を練習したくらいでは到達できない。
いろんな曲を練習し、また何度かその曲に戻り、そんなことを繰り返したのちにピアノ人生を終了するときに初めて、自分の最高到達点はここだったということがわかるわけだし、それはひとつの「仕上がり」だったといってもよいかもしれない。
そう簡単に「仕上がる」わけがない。「仕上がった」かどうかはさておき、次の曲に移るか…留まるか…比較検討すればいいと思う。
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(ここで「いい」というのは、ピアノを弾く技量を身につけるという意味で得られるものが多いというような)
という、先生としての判断のようなもの。
その曲の演奏が「まだまだ」の状態であったとしても、漫然と同じ曲を弾かせていてもよくなっていくことが期待できず、いろんな曲を弾いて力をつけたうえでいつか戻ってきたほうがよさそうであれば「マル」にして先に行くということ。
近年は先生から「マル」をもらうことはないけれど、自分での判断にはやはり
「ただこの曲をこの先弾き続けていったとしてよくなるかどうか」
はひとつのポイントになっている。ある曲の練習を始めてすぐのときは、練習するたびに良くなっていくのが明らかだけど、だんだん何か月か経ってそれなりに弾けるようになってくると「これ漫然と練習していてもあんまり前進しないな…」ってなる。
そんなとき、レッスンを再度受けたりして「まだやれることがあるな」と思い直す場合もあるし、そうでないこともある。
いずれにせよ、その曲に区切りをつけて、他の曲をいろいろ弾いて、何年かして戻ってくれば、
こんどはすんなりと、前より楽にいい感じで弾けたということになる。
つまり、早く切り上げてしまわずに、何か月かその曲を続けたにしても、それは「仕上がり」とはたぶんいえない。
「仕上がり」を、一流のプロがその曲を弾くのと同じように弾く、とするわけではなく(そんなのは不可能)、
自分にとっての最高到達点を「仕上がり」と呼ぶとしても、それはただ数か月、真面目にその曲を練習したくらいでは到達できない。
いろんな曲を練習し、また何度かその曲に戻り、そんなことを繰り返したのちにピアノ人生を終了するときに初めて、自分の最高到達点はここだったということがわかるわけだし、それはひとつの「仕上がり」だったといってもよいかもしれない。
そう簡単に「仕上がる」わけがない。「仕上がった」かどうかはさておき、次の曲に移るか…留まるか…比較検討すればいいと思う。
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