アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

あるひとつの新しいニーズとピアノ教室

2015年05月25日 | ピアノ
さて世代がひとつ変わりまして、私の子どもたちがピアノを習う段になりますと…

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いろいろと状況が違います。
まずは、私と子ども(特にまたろう)のキャラが違いすぎるってことで、ピアノのレッスンを成立させるのに必要な、「指示行動を取る」ってことがえらく難しかったりね。

具体的にいうと、「時間どおりに音楽教室に行く」とか「椅子に座ってじっとしている」とかそういったことができない。「毎日練習をさせる」とか夢のまた夢、距離が遠すぎる(o_o)

しかも、私が月から金までずっと家にいないため、監視によってそのような困難事を可能にする、とかいう余力がまったくないわけ。正直いうと、そういう「気持ち」もすでにない。親子でバトルするくらいなら、ピアノとかの習い事よりもっと優先順位が高い事柄が、いくらでもあるので。

だから私のリクエストとしては、
・家に来てレッスンしてほしい(またろうを音楽教室に差し向けることができないから)
・親がきちんと声掛け/監視して練習をさせることは期待しないでほしい
・現在、音楽を楽しむ体験をしてほしい
・将来、音楽が楽しめる素地を作ってほしい

…さぁどうだ。私の母(のような人)がこの課題をクリアすることができないのは明らかだ(^^;;

自分で練習してこない子のレッスンとか、そんなレパートリーは持っていないし。

この不可能事にあたってくれたのは、母の元弟子であり某音大の教育音楽科を出た先生。私が赤ん坊~幼児のころは高校生~大学生くらいで、ときどきお小遣いをもらってはベビーシッターに来てたらしい。つまり、私のオムツを替えたことがある人。子どもたちの誕生日にはケーキやご馳走を作ってくれる人(他人というより、祖母的なポジション!?)。

この先生の優れているところは、エレクトーンのほうのキャリアも長いので、コードとか、編曲・作曲にも詳しく、機械の扱いにも抵抗がないところ。それと、ややこしい子どもの扱いに慣れているところ(←ココ大事)

およそリズム感というものが存在せず、両手の動作協応も困難で、五線譜もまったく読めない(日本語の文字の読み書きもろくにできなかったんだから当たり前だ)またろうに合わせたレッスンをちゃんと考えてくれた。

またろうは、自分が弾きたいアニソンのメロディーを片手で弾きながら、データの伴奏と合わせるようなことを楽しくやりながら、亀というよりカタツムリかお地蔵さんのような、カリキュラムとか進捗というものが見えないレッスンを何年も続けて、そして中学生のある時点で回路がつながって、両手でピアノが弾けるようになった。

またろうの例は極端だ。「ふつう」とはいえないケースだから。

けれど、発表会全体を見ると、このピアノ教室の特徴が見えてきて、それは案外、またろうのケースとつながっている。

小学校のころから「きちんと」古典曲が弾ける子もいるが、わりと少ない。またろうみたいに、一本指打法的な子もけっこういる。そういう子は、アンサンブルで出演する。
男子率が高い。わりと半々に近い。
中学校になっても高校になっても習い続ける子がほとんど。
そのくらいの年齢になってくると、なぜか突然クラシック曲をいい感じに弾ける子が多くなる。
高校生・大学生・大人になっても、音楽を続けてることが多い。ただし、専門家になる子はほとんどいないし、他の楽器に移る子はけっこういる。

本人がちゃんと練習をしてこない長い時代には、レッスン時間をリズム遊び・コード・ソルフェージュなどに充てたり、本人が担当しているパートが簡単でも演奏の喜びが味わえるようにデータとのアンサンブルや人とのアンサンブルを積極的に取り入れている。

そして、中学生くらいになって何かのきっかけで(たとえば、合唱コンの伴奏がしたいとか)火が付くと、突然ピアノが両手で弾けるようになって、そうなってみると案外、聞く人の心をつかむ演奏ができたりするのだ。

「突然」というのは、発表会くらいしか見ない人から見るとそう見えるということだけど、要するに本人ががぜんやる気になるその時まで、畑を耕し種をまいて水をやっておく、ということなんですよね??

このピアノ教室は、「ある種の」新しいニーズ、たとえば発達障害児であるとか、そうではなくても本人に練習する気がなく、親もあえてさせないような状況であるとかであってもそれなりに音楽を趣味として獲得していくようになってほしい、というリクエストを満たしている。

けれど、音大を出たからといってこういうニーズにこたえられるようになるわけじゃなし(音大に行く人は当然もっとまともに練習したはずなのに、自分が辿ってきたコースとはかけ離れた子どもを扱わなきゃいけないので)、このジャンルの教室はかなりレアだと思う。

親のほうも、子どもの習い事に短期的かつ具体的な成果を求める人だったら、こんなまったり進行には耐えられないので、向かないってことになる。

というわけで、この手のレッスンはかなり稀にしか成立していないはず。「新しいニーズ」のもっと主流の部分は、コンクール志向などに向かっていったのだろうか?

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昭和なピアノ教室の強みと弱み

2015年05月24日 | ピアノ
えーまだ引っ張るの、って…
だって書きたいことが終わんないんだもん。

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で、そのように「昭和なピアノ教室」…つまり、
決まったカリキュラムがあって
(バイエル→ブルグミュラー→ツェルニー30番、というような)
先生が指定したものを練習して持って行く、
先生からマルもらって先に進む、
たまたま近所に住んでるふつうの子が通う。
というような教室を想定してください。

モデルは便宜的に、私の母がやっていた教室とさせていただきます。

今の世の中においては不人気な教室となりそうですが、よいところもありました。

乱暴な音を出してる子とか、リズムがぐだぐだな子とかはいなくて、「きれいに」「きちんと」弾けてたと思います。
譜面も読めるようになります。

要するに、身に着けるべき技能をしっかり練習しつつ、古典中心に曲を進めていくんですよね。

別にスパルタとか体育会ノリじゃなかったんで、
・○時間練習してこいと言われた
・○回弾けと言われた
・メトロノームいくつまで上げてこいと言われた
みたいなトラウマっちゃった人はいないと思います。

それでも、音楽の道に進んだ人はけっこういました。演奏家として身を立ててるわけじゃなくて、いわゆる「ピアノ科を出て自宅でピアノ教室」という路線が多いようですが。

ということで、ちゃんとそれなりの存在意義がある教室だったと思います。


一方、こういうピアノ教室の弱点はというと、
まずは、きちんとしてるけどつまんない演奏が多かったことかな?

曲をとりあえず丁寧に正しく弾くということについてはしっかり教えていたと思いますが、それプラス何を考えて弾けば聞く人にサムシングが伝わる演奏になるのかという…そこ。
それは、教えるようなものではないと思われていたような気がするんです。

もちろん、全員が正確で平板な演奏をしていたのではなくて、なんかおもしろい、魅力的な演奏をする子もいるんです。でもそれは、その子がたまたま持っていた才能というかセンスというか。つまり、「きちんと」弾くことは教えられること、それ以外の「音楽する」部分は本人次第。という考え方があったのではないでしょうか。

もうひとつ、決定的な弱点は、落ちこぼれを作るということです。

一本の物差しに従って、早い遅いで進んでいきますから、遅い子はやめていきます。

別にただの習い事なんで、向いてない、好きでない子が途中でやめちゃうのは当然で、それでいいんですが、でも考えてみてください。

私みたいに「才能」豊かな…つまり、音楽をこんなに長きにわたって楽しめる資質をもった子を(笑)「向いてないからもうやめる」と思わせてふるい落としちゃう教育だったんですよ!!

それってもったいないじゃないですか。

遅くてもいいんだよ。
一本の道から外れてもいいんだよ。

と今なら思う。でもその発想はなかった。

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ピアノ教室に求められるもの、今昔

2015年05月22日 | ピアノ
私が「エリーゼのために」弾いたところでピアノやめちゃった、という話は何度か書いていますが。

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←スポンサーのご意向、というのはやっかいなもので

このとき小学三年生、バイエルとブルグミュラー25番が終わってちょうどこれからツェルニー30番デビューというところ。発表会のときには簡単なソナチネとか弾いてたかな。この進行は、母のピアノ教室的標準進行からいうと、ごく並かやや遅め。

三歳半からピアノを習い、環境的にはずいぶん恵まれているハズでこの進行(^^;;
(母に習っていたわけではない)

…というところは、母が私のピアノを「見切る」(本人がやめたいといっているものを引き留める価値がないと判断する)上でひとつの大きな材料になったものと思われます。

おおよそ、「一本のものさし」というか「ひとつのカリキュラム」に沿ってみんな習うわけで、進行の早い遅いというのは大変比較しやすい世界でありました。それで、母のピアノ教室においては、だいたいのところ、その進行の早さで素質を占う(もちろん早いほうがいいのだ)ということであまり間違いや例外はなかったんですよ。

高校生になってツェルニー50番やバッハ平均律やショパンのエチュードなんか弾いてた子はわりと音大行ったりして、
それより進行遅い子はだいたいその手前でやめちゃうんだけどね。中学生くらいとか。同じ年齢の子より明らかに遅れが大きくなるとやめちゃうことが多かったと思う。
(小学三年生はちと諦め早すぎ)

ところで、昨日リンクを貼った「ピアノ曲の進度と実力は本当に比例する?」でいう「ゆっくり進行」はどのくらいかというと、

ピアノを年少から始めて四年間。まだバイエルが終わりません

というので、確かにまぁ前述の昭和時代某ピアノ教室的基準からいってもかなりゆっくり。

でもこの「Aちゃん」をコンクールに出したら全国大会に進んだ。そして
> このAちゃんよりもっと進度の早い生徒たちもいますが、コンクールを受けさせるところまでは、残念ながらいきません・・・
といっています。

進行ゆっくりの子は「片手の練習を必ずする。同じ曲を長く弾いていますから、内容も深く、また音の質についても細かく指導することができました。」「30分で1曲ですから、ゆっくりとこのような音質とフレーズなどについての勉強ができるわけです。」

一方、進行が早い子は「それに比べ、譜読みの早い子はたくさんの曲を持ってきます。レッスン時間は同じ30分ですから、細かく指導する時間がありません。スラスラ弾ければ終わりという形をとらざるをえないのです。」

この二つのピアノ教室「早いのが良い」「遅いのがかえって良い」の感覚の違いがどこから来るかというと…

私は「時代が違う」と思いました(^^;;

つまりどういうことかというと、母の場合、譜読みが速い子がどんどん先まで勝手に持ってきて、どんどんマルあげなきゃいけないってことがなかったのですね。

あくまで、母から指示された曲を練習してきて、
母のいうとおり片手ずつレッスンしたり、
母がこの曲はOKというところまで弾けたらマルになってたわけです。

単純に言って、ある曲のマルは同じクオリティーまで来たらマルなわけで(実際はそこまで単純でなく、うまい下手はありますが)、いい加減に先に進ませるってのはなかったんです。だから、早く先に行く子は素質がある子だったんです。

昔は先生ってそういうもので、中身があってもなくても偉かったのよ。昭和の時代。
親はピアノのことをよく知らないことが多いし、中身とかはそんなに注文をつけなかった、つけられなかったですから。
ピアノ教室同士の競合も少なく、
ほかの習い事との競合も少ない牧歌的な時代でした。

もちろん、ある曲がいつまでたってもマルにならないと、生徒も先生も嫌になっちゃうので、そういうときは甘くしてマルにするんですが、「一本のカリキュラム」に迂回路を足していました。つまり、バイエルやりながら、メトードローズも使うとか、ツェルニー30番の前に100番も使うとか、要するに先に進まずに曲数を増やすんです。

ピアノの先生がよいと思う指導ペースでなく、子どもや親の要望に従ってどんどん曲(の数も難易度も)が進んでしまい、音の質がよくなく、演奏が雑だとぼやいているようでは、サービスが良すぎるというべきか悪いというべきか。でもこれが「今」の教室が置かれた状況なのでしょう。

「今」の時代に、母の教室があったらたぶんつぶれますよねー

どんどん曲を進ませて、コンクールで賞を取らせる「メソッド」というのは、スポンサーのニーズにお応えするために発達したともいえそうです。

あんまりストイックなのも、あんまりイケイケドンドンで音楽の本質から離れるのも、どっちも好きじゃありません。

折衷案的な、今も楽しく将来も楽しいくらいのミックスメソッドってのは、ありうると思うんですけどね…

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二つのメソッドは対立するものなのか?

2015年05月21日 | ピアノ
いつまで引っ張るんだか…うちには熱心にピアノ弾いてる子どももおらんのに(笑)

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←そろそろこの話題終わらせないとほかの話が書けない

昨日の記事で書いたように、小さいうちにコンクール出まくり(そして入賞!!)ということに問題点があるとすればそれは
・ピアノを弾くことの価値が競争・評価というものに置き換わってしまうと回復が難しい
・子どもの演奏が評価されることに親が入れ込みすぎて、自分の(親力の?)評価と感じてしまうようになると問題の根が深すぎて以下略(怖) (*)
・親がつきっきりで教え込むスタイルが固定すると、親の限界が即子どもの限界、子どもが親なしで進歩しにくくなる
というところが大きいのではないかと。

この問題はそれぞれ大きいです。決して小さくはない。

でもそういう人間関係や価値観の問題をひとまずおいとくとして、純粋にメソッドの比較として、うまくなるならないについてはどうなのかと。

「コンクール弾き」とかでいろいろ検索した範囲でいうと、
・やたら難しい、凝った曲を弾くことになる。
・課題曲を長期間練習する必要があるため、ほかの曲を弾く余裕がない。
・派手なアクションで「表現してます」アピール(^^;;
というあたりがコンクールの弊害、問題点と考えられているようですね。

あと、小さくて力もあまりないうちから、メリハリを強調した演奏をするために、力強いんだか乱暴なんだか紙一重な演奏をする癖がついたりということを指摘してる人もいました。

すると、あぁ…某ピアノ競争番組で、小さいころコンクールで賞いろいろとったとかいう人が、乱暴な演奏してて、でもその演奏がいいという人もいて、ということがありましたね。あれが「コンクール弾き」の末路なのかと考えると、確かにちょっとどんよりした気持ちになります。

でもね、ここ数日でいろんな記事を見てきて、コンクール弾きを非難する人って妙に偏屈レベルまで基礎にこだわってストイックで、それもちょっと違和感あるんですよ。

例:「バスティンの簡単な楽譜のなかで読み取れる理論は一つも落とさない。

「基礎」は大事だろうけど、それと「弾いてて楽しい、聞いてて楽しい演奏」がリンクしていなかったらやっぱり意味はないんだから。曲もあれこれ弾きながら、基礎も大事にしながら、折衷案的に進めていったら十分じゃないでしょうか。

書き方が過激でなく、比較的納得のいく内容だった記事
「ピアノ曲の進度と実力は本当に比例する?」

ゆっくり進む子のほうが、うまく弾けるようになる、という実感をこの指導者は持っているようです。もちろん、ゆっくり進む子がしっかりした基礎を活かして大輪の花を咲かせる、ということはあると思うのですが、ちょっと不思議に思うところもあります。

昔、私の母は街のピアノ教室をやっていて、特段の(子どもの)才能や(親の)熱意があったりするわけでもないふつうの子をたくさん教えていましたが、だいたいにおいて、「早く進む子が最終的にもうまくなる子」でした。逆転現象はほとんど見当たらなかったくらいです。

なにせ昔のピアノメソッドですから、バイエル→ブルグミュラー→ソナチネなどなど、進行はほぼまっしぐらで、「誰がどの地点にいるか」は一目瞭然です。このシンプルな道筋の中で、早く進む子はうまくなる子。中学生、高校生と続けて、結局音大行ったり。一方、進みの悪い子というのはやはり、ピアノに向いていないというか同じ曲を弾いてもあまりよい演奏にならず、本人も結局そんなに好きにならず、どこかの時点でやめていくんです。

このズレはどこから来るのか??
(というわけでなぜだかまだつづく)

(*) この路線で超~怖くても、世界のMidoriとして大成する人もいるわけですが。

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「とりあえず弾ける」の何が問題!?

2015年05月20日 | ピアノ
「コンクール弾き」ってどんな弾き方?」「ピークが早く来ちゃうピアノ!?」ときて、まだ話が続いてます(^^;;

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←子どもにピアノやらせるよりは、自分のピアノ(笑)

小さい頃から、ややこしい曲が正確に表情豊かに「とりあえず」弾けるのって、指が動かない再開ピアノ弾きからすればうらやましい限りです。それで何が悪いのって気がしちゃいます。

別に弾けることがマイナス要因ってことないと思うんですよ。多少、譜読み(楽典?)とかが疎かになっててバランス悪かったのかもしれませんが、物理的なことというかテクニック的なもの、運動神経が隅々通ってるのかどうかって、若い頃にできてないと、後からできないとはいいませんがまぁかなり苦労は多くなりますよね。

譜読みとかリクツであればむしろ、成長してからのほうが簡単に学べると思いません? なんかもっともらしいグラフを描いてる記事(「代表的なメソッド VS 新しいメソッド」)もありますが、小さい頃コンクール荒らししてた子が何で伸び悩むのかは、自明とはいえないんじゃないでしょうか。

譜面から読み取ることをきちんと教えたいなら、本人が弾いて楽しい曲をどんどん弾きながらでも、ちょこっと時間を別途とってソルフェージュ的な練習もするなり、曲の一部を取り出して解説・分析するなりしていくらでもキャッチアップしていけると思うんですよね。

弾けるというのは、大きな大きなアドバンテージであって、改めて理屈も教えてもらえば理解は早いでしょう。年齢的にも、幼児に教えるのに比べれば、小学校高学年の子に教えるならそりゃ簡単です。

…それでも…

ヤマハの弾き合い会で見かけたような「達者に弾く子たち」がのちに失速していく様子はなんとなく察しがつくんです。

前回記事では「コンクールでは賞が取れなくなったとしても、ピアノはコンクール以外にいくらでも楽しめるんだから、そのベースとして生かせばいい。」と書きましたが、これはわざとすっとぼけて書いただけで、まぁ実際そんなことできないだろなと思って書きました(意地悪です)。

コンクールで賞を取る努力ってそりゃ大変なもので、ピアノを弾くだけじゃなくて周辺の面倒がいろいろあります。その努力を支えてるモチベーションって何なのかというと、やはりピアノが純粋に楽しいというよりは、評価される、賞が取れる、ということが大きな支えになっちゃうのってどうしても人情かなと。

そうすると、なんか目標があったほうが真剣に練習するんじゃない? というような、ピアノがうまくなるための方便だったものが、容易に逆転していってしまうわけです。

年齢が進んで、先生や親の気合よりも「元々の素質」がモノをいうようになれば、そりゃ大半の子が賞を取れなくなってしまうのですが、そのときに幼いころからの投資で得たテクニックを生かして、真に豊かなピアノライフへモチベチェンジできるかっていうと、人間そこまでなかなか器用じゃありませんね。

というか、子どもはもしかしたらポテンシャル的にその切り替えができる能力を持っているかもしれませんが、親はもっと難しいです。なにせピアノを弾いてる本人じゃありませんからピアノで表現する喜びそのものとか言われてもピンときませんし…それにそこまでtoo muchな気合と時間と体力とお金を注いできたのに、形ある成果が崩れたらそりゃキレますわ。

私が直感的に、ピアノが上手な彼らの「予後」が悪そうに感じたのは、親が熱心すぎたからです。

弾き合い会で見た子の一部は、後日教室で見かけたりもしたのですが、上記にリンクしたAメソッドBメソッドの記事にあるとおり、親がレッスンに張り付いていました。ま、往復の安全とかもありますから付き添うのはいいですけど、親がレッスンを吸収して帰って、家ではびっちり親が教え込むとなるとそりゃあもぅ…

そこまでして成果を求めない親がいるだろうか。いやいない。→怖い。

しかも、子ども自身は自力で直接、先生から吸収してひとりで練習して上達するというスキルを積んでいないわけですから、曲が進んできて親の能力を超えたら、そこで失速するのは当たり前です。

ということで、問題があるとすれば、「曲がとりあえず弾けるメソッド」自体というよりは、「評価」「競争」とか「親密着」とかそういうところなんじゃないだろうかと。

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