アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

音色を作るタッチコントロール

2017年07月14日 | ピアノ
それで結局のところ、昨日書いた
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実際のところ、ここでいうds/dtはピアノから出る音を決める主な要因ではあるけれど、パラメーターがそれしかないわけではない。アタックの際の初速(ds/dt)がどのくらい速やかに減衰し、そして弦からハンマーが離れていくのかはアナログに変わりうることであり、たぶんこのへんが通常、重い音/軽い音とか、明るい音/暗い音、硬い音/やわらかい音といった表現で指し示される現象なんだろうと思う。
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の太字部分はどうやってコントロールできるのかという話だが…

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これについて明確に説明されたものはあまりない、ような気がする。

気がする、というのは別に専門家でもなんでもないしそんなに調べたわけでもないんだけど、少なくとも手持ちの本にはほぼ含まれていないし、それから「ピアニスト」「ピアノの先生」方のおっしゃることを齧り聞くにかなりバラバラな感じかするからだ。

たとえば
「ピアノが上手になる人、ならない人(小林仁)」では
早い時期から音色についてもじっくり指導すべき、と述べているけれど、
・「タテ方向の響き」つまり、ソプラノからバスまでどの音をどのくらいの強さで弾くとよいバランスで響くのか(これはこれでとてもだいじ)
のこととか、
・「音のイメージ」をオーケストラに学ぶ(もちろんこれもだいじ)
のことは書いてあるけれど「具体的に「暖かい音色」、「冷たい音色」ということはどういうことなのでしょうか。これは、感性の問題でもありますが、技術的な問題も含まれます」とあって、「おっ!? 技術について説明してくれるのかな?」という流れになりつつも「天性の感覚で知り、できてしまう人もごくまれにいることは事実ですが、大部分の人は先生から教わり、訓練を重ねてできるようになっていくのです。」だけで終わり。その中身は~??

「挑戦するピアニスト(金子一朗)」では
音色が単調にならないようにすることについて一項を設けているけれど、そこで言う音色を変化させることというのは「前後の音の強弱や響かせ方で印象を変化させること」と定義されている。

「確かに音響物理学的には、ピアノで音色を変えることは困難であろう。しかし、人間の耳が、音響物理学の法則と同じ感覚を持っているわけではないことに注目したい。つまり、人間の耳には、印象というものがあり、その感覚は物理学的ではなく、感情に訴えるものである。従って、演奏者は、音色を変えなければいけないところでは、その印象を、響きを操作することによって変えなければならない。」つまり、金子氏は基本的に(物理的に)音色は変わらない派。

けれど演出的に(?)音色を変えるわけで、そのためにはイメージ作りが大事だということらしい。もちろんそのイメージは、勝手な妄想じゃなくて、和声とか様式感に裏打ちされたものであるべきで(以下、よくわかってないので略)。

こんな感じで、いろんな人の言うことを寄せ集めると、要するに「ほしい音について明確なイメージを持ち、耳でモニタリングしつつ試行錯誤で会得する」ということになるだろうか。それでまぁ、できる人はちゃんとできるようになるわけだ。信じて進め。

ただ、試行錯誤するにしてもおよその目安というか、試すだけの選択肢を提示してほしいものだけど…

いちおう具体的な方法に触れたものとしては
「ピアノ奏法(井上直幸)」
というのがあった。「タッチの方向」という項目があって、
・上から下へ/下から突き上げる
・外側から内側へ/内側から外側へ(腕の振り)
・押し出す/手前に引く(つかむ、ひっかく)
という選択肢があるので適宜使い分けるべきということが述べられている。

「外側から内側へ」は、その声部を浮き立たせたいときに使うとか、「押し出す(はじく)」ような動きは、ごく稀だけどstaccatoの、短く開放的な感じで切れる音がほしいときに使えるとのこと。

そのほか、書いたものは今みつからなかったけど、指の腹を使うか(やわらかい)、先のほうを使うか(かたい)で音が変わるというのはたぶんある。それはまさに「アタックの際の初速(ds/dt)がどのくらい速やかに減衰し、そして弦からハンマーが離れていくのか」に効くことだからもちろん関係ある。というか、井上氏のいうように腕の振りで(物理的に)何が起こるのかはむしろよくわからない。

それと、おゆき先生やMegumi先生が言うように、「鍵盤を触ってから弾け」というのは、上記全般をしっかり試す上でも重要なことは間違いない。少なくとも打鍵スピードのコントロールの精度を上げることができるし、乱暴な音がうっかり出てしまうことを事前に回避できる意味もある。

あとは、そういうあれこれの違いにちゃんと応えて鳴ってくれるピアノが必要だよねもちろん…ということになると、昨日おとといと引用してきた兼常氏の時代には、そりゃあ難しいことだったろうというのもわかる。

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「演奏家なんて誰でも同じ」の誤解の土台となったもの

2017年07月13日 | ピアノ
昨日見たように、ピアノなんていちおうちゃんと弾けていれば(音が並んでいれば)誰が演奏しても同じなんてとんでもない言説が生まれてしまう(それも、ずいぶん詳しくていろいろ考えたであろう人から)というのはなぜか、ということを考えるに…

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←「タッチ」の差の理屈はすべてが明らかになったわけじゃない

「火のないところに煙は立たぬ」というか、やはりピアノという楽器やピアノによる音楽が置かれた状況というものが、こんな誤解を生じやすい特性を持っている(持っていた)というふうにも思える。

まずひとつ重要な基盤となっているのが、やはり「猫が歩いても音がする」という楽器の特徴だ。バイオリンで私がひとつの音のロングトーンを出した場合、その同じ楽器を使って中川先生に同じ音を同じ強さで弾いたもらったとして、その区別はどんな人にだって簡単についちゃうわけだが。

ピアノの場合、超初心者がとりあえず丁寧に単音を鳴らしたとすれば、それは別に特に耳障りな音ではなく、ふつうに鳴る。バイオリンでいう「のこぎりの目立て」とか、管楽器の裏返った音なんかとはわけが違う。

つまり、タッチによって音色が変わるにしても、その変わり方はかなり控えめであるということだ。それに、発音の仕組みがかなり間接的(人が直接触っていない)ことから、タッチと音色の関連は直感的にわかりにくく、理屈のつけにくいものとなっている。

打鍵の瞬間の速度によって、出る音に変化があることは誰もが認める真実だけど(簡単にいって速いほど音量が大きくなる)、それ以外に、物理的に何の差が音色を決めているのかがわかりにくい。

そしてまた、美しくピアノが弾ける演奏家だからといって、自分のやってることを物理で語れるわけじゃないので、ますますその技術は謎に包まれオカルトの域に達してしまう。

「音楽界の迷信」(兼常清佐)では、そうやってオカルト入り(?)してしまったピアノ教師の類がカリカチュアライズされているともいえる。

「お前は手の形、指の形などを十分によく注意して、よく先生の言うとおりに直して、いいタッチの出来るように勉強しなくてはならない。」…まぁたぶんそれはそうなんだけど、先生が実際に行っている動作のうち、ある部分が真に音色を変える動作であり、それ以外に迷信行動ともいえる、実際には音色に影響を与えない動作も含まれているということは、今よりもずっとあっただろう。

「もう音の出てしまった後の鍵盤で、どんな手踊をしてみたところで、その音と何の関係もあるわけがない。ピアノ演奏家の生命といわれているタッチの技巧は、まず大抵こんなようなものである。これが迷信でなくて何であろう。」ピアニストがついやってしまう動作の中には(手を高くあげる、ドヤ顔をするなど)、確かに結果として音には反映されないものも混ざっているし、優れたピアニストだからってそのへんの切り分けがうまいとは限らないから、生半可、物理のわかっているらしい筆者に馬鹿にされてしまい、

「つまり槌の速さだけが人々で変えられる唯一のものである。この距離をsとし、槌の動く時間をtとすれば、槌が絃を叩つ途端の ds/dt[#「ds/dt」は分数、縦中横] はピアノの音を変えうるただ一つの要素である。そしてこの ds/dt[#「ds/dt」は分数、縦中横] をきめるものは、簡単にいえば、鍵盤が沈む時の角速度である。今パデレウスキーが鍵盤を押し沈めた時と同じ角速度で猫の足が鍵盤を押し沈めたとしたら、この猫の足のタッチからは、パデレウスキーが指のタッチと同じピアノの音が出たにちがいない。」…こんなことを言われてしまう。

実際のところ、ここでいうds/dtはピアノから出る音を決める主な要因ではあるけれど、パラメーターがそれしかないわけではない。アタックの際の初速(ds/dt)がどのくらい速やかに減衰し、そして弦からハンマーが離れていくのかはアナログに変わりうることであり、たぶんこのへんが通常、重い音/軽い音とか、明るい音/暗い音、硬い音/やわらかい音といった表現で指し示される現象なんだろうと思う。

しかしそこをコントロールするための動作については21世紀の今になっても結局「定説」はできてないような気がする。あちこちでいろんなピアノ教師が互いに違うことを言っている現状に変わりはあまりない。

当時のピアノ教師は、今よりずっと、自分のやり方を問答無用で弟子に教えこんでいただろうし、その教えるタッチなるものが、(美しい音を出すために)正しいことと間違っていることと、どちらにも関係ないものがごちゃまぜになったものだとしたら、そりゃ評論家風情に突っ込まれてしまうことにもなるだろう。

また、弟子のタッチについて云々するわりには自分の耳のほうが鈍感で、タッチ以外に音の響きを左右するあれこれ(その一部はこの評論の中にも述べられている)については無頓着であったりしたら、そりゃもう追加で突っ込まれてしまうというわけだ。

(もちろん、自分が理解できない/観測できないもの(音色の差)をそのまま「ない」結論づけてしまう態度はちっとも科学的とはいえないけどね)

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猫が鍵盤を歩いても

2017年07月12日 | ピアノ
ピアノという楽器の場合、猫が鍵盤の上を歩いても音は出る。それも、演奏時の音と似た音がともかく出る。

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これが、たとえばトロンボーンとか、バイオリンとかの楽器だったら、猫が戯れてもうっかり演奏音に似た音が出ることはない。ガタンとかバタンとか、せいぜいそんなもん。

それが誤解のモトなのかもしれないが、「誰が弾いても(楽器が同じなら)同じ音色」と主張する人は、けっこういた(いや、今もいるのか?)。

それが極端なカタチできっぱり書いてある文章を昨日見かけて、なんかもうそれはいっそすがすがしいくらいだったんだけど、曰く、
「ピアノさえ一定すれば、パデレウスキーが叩いても、私がこの万年筆の軸で押しても、同じ音が出るにきまっている。」(「音楽界の迷信」兼常清佐)
より詳しくいえば、可変のパラメーターとして唯一、打鍵速度というのはあって、速く叩けば大きな音が、遅く叩けば小さな音がする。そこまでは認めている。

しかし、タッチが変われば音色が変わるなどというのは「迷信」であるということを、大掛かりな実験をしたうえで主張している。

実験というのは、「ニッポン当代の名演奏家、第一流のピアニスト、イグチ」に依頼して、素人くさいタッチから極上のタッチまでいろいろ試してもらって「そしてピアノの音をトーキーのフィルムに撮影した。」「また私共はイグチの指の動き方を高速度活動写真でも撮影した。」というもので、その結果「その音の写真はどれもみなほとんど同じ音質を示している。」といっている。

「トーキー」などと言っていることからわかるように、これは相当古い(昭和10年)文章なので機材などは相当しょぼかったと思われる。

ただ、「音の写真」といっているものがどういうものかよくわからないけれど、なんらかの観測方法で違いが見られなかったからといって、違いはないと結論するのはむしろ非科学的ではないだろうか? 「(その実験では)違いが観測できなかった」ということは「違いがない」ことを示しているわけではない。

違いがあると主張している人にダブルブラインドテストをやってもらうほうが簡単確実で機材もいらないと思うのだが、それをやったという記述はない。

ともあれ、そんな昔にそんな「誤解」があったからといって今から見てとやかく言っても始まらないのだけど、この文章には非常に不思議な部分がある。

この文章中、「音の混雑」という項目には、同じ音を連打したときに一つ目と二つ目の音が違うということが細かく述べられている。前の響きが消えきらないうちに次のが鳴るから違った結果になるわけだ。この筆者が述べているように、ダンパーで止めるのは弦だけであるから、「箱」部分の振動は止められているわけではないのである。

そんなふうに、ほかの音とのからみや、ペダルの使い方や、いろんな複雑な響きが作れることはこの筆者もわかっていると思われるのだけど…

ピアノの演奏家に許されている自由は、「アレグロ」と書いてあるのを実際にはどんなテンポで弾くかだけであって、それさえ決まればすべて同じ。「もし楽譜が改良されて、作曲家の考えを数量的に書くようになれば、ピアノの演奏家には全く独創という事はなくなる。全く機械と同じものになる。」

美術系と音楽系の学生について言及した箇所はことのほか衝撃である
「私は時々ウエノの森を散歩する事がある。そこで音楽学校の学生が美術学校の学生と仲よく話をしながら帰ってくるのに出会う。それを見る度にいつも私は異様な感じがする。一人は自分の独創的な芸術を画布の上に描き出そうという事を理想としている美術学校の学生で、まさかその一生をラファエルやセザンヌの模写をして過そうと思うような人はあるまい。またその模写にしても、先生が青といえば青、赤といえば赤、何から何まで先生の言う通りに追随する事が一番大きな事業だと思うような人はおそらく一人もあるまい。しかし音楽学校の学生の方は、その美術学校の学生の決してやるまいと思う事だけをやっている。そして仕事は模写と追随だけである。曲はショパンやリストの作ったものである。ピアノはピアノ会社の作ったものである。その弾き方は何から何まで先生の言い付け通りである。もし個人的なものが知らず識らずタッチの上に表われるというかも知れないが、不幸にしてそのタッチというものは世の中には存在しない。やはり今のピアノの学生の仕事を取ってみれば、ただ模写と追随という事より外に何物も存在しない。」

ピアノの響きの複雑さの、少なくとも一端を理解していて、ピアノ曲を弾いたり聞いたりして楽しんでいたらしい人が、なぜこのような結論に至ってしまったのか?? (つづく)

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必死になるほど弾けなくなる

2017年07月11日 | ピアノ
前回、モーツァルト二台のピアノのためのソナタをやったときは、とにかくせっせせっせと練習しないとマッタク弾けなかったし、そうやってせっせせっせと練習するとけっこう腕とか指とか疲れていた。

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今は、この曲を練習してても「めるちゃんきれいだね、かわいいね」とうきうきわくわく弾いてる分にはぜんぜん疲れない。つまり自分のペースで弾きたいように弾いてる分には、ということだ。

それでも、前回メトロノームを小刻みに上げていきながらせっせせっせと練習したのよりやや速く弾ける。

何が違うのかというと、まぁ弾く姿勢や指の動きとか違うのかどうか、そういえば録音は残っててもビデオがないのでそのへんはあまりはっきりしないけれど(*)、ともかく結果として、無駄な力があまりいらなくなったということだろう。

昨日、おゆき先生と合わせをしているときも、順調に弾けているときは自分ひとりで練習しているときと同じく、あまり力の入らない弾き方をしていたと思う。

それが、ちょっとミスタッチしたり、一瞬、指使いがわからなくなってアレってなったり、自分の想定テンポより速いまま難所に突入して焦ったり、そういう微小事故で「おっと」となると、そこからなんか必死になって…

姿勢は前のめり、
腕や手はガチッと力が入り、
心臓はどきんと余計な拍を打ち、
昨日は暑い日ではあったが冷房は効かせているのに別な汗が出る(笑)

こうなると、ただでさえやっかいな十六分音符のカタマリが余計弾けなくなり、崩壊する。

弾けなくなるというのは、
・指が速く動きにくくなり、
・頭が冷静に働きにくくなり、
・ミスタッチしやすくなり、
・ミスタッチしたときのリカバリーがしにくくなる

ということだ。悪いことがまとまって襲ってくる感じ。

つまり必死になってもいいことはホントまったくないわけなので、ちょっとアレッて思ったときも、そのまま気を楽にして、いい姿勢と楽しい気持ちを保ち、余分な力を入れずに、ラクーに弾いたらずっとマシな結果になりそうだけどね。

実践となるとなかなか難しい。なにしろ、弾けなくなるときのパターンというのは、よく考えてみると人間が危機を乗り切るための生理的反応とでもいうべき由緒正しいものなので…たぶんそうやってアドレナリン出して敵と戦うなり素早く逃げるなりするのに役立っていたのよね。

でも、二台アンサンブルする役には立たないので、ぜひその危機スイッチを入れないですらーりと行きたいものだけど。なかなか頭でそう思ってもできない。

別に敵と戦ってるわけじゃないし、いくら崩壊したっておゆき先生も取って食いやしないだろうけどねぇ(たぶん)。


(*) 録音からでもわかることは、音がきたないということだ。

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えっ、そのテンポでいくの!?

2017年07月10日 | ピアノ
8月恒例の「音楽の星座」(8/5)では、おゆき先生とモーツァルト「二台のピアノのためのソナタ」第一楽章をやるのですが、今日はその初合わせでした。

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…え? 遅い??

んー、合わせが難しい(数えにくい)ような曲ではなし、一回やったことあるし、なにせ相手はおゆき先生なんだから、私さえ弾ければ問題ないわけで(←ココ重要だけども)別に大丈夫かなと思ったんですが。

「じゃー、まず一回合わせてみましょうか~」ってなときに、私が「このくらいのテンポでお願いします(^-^)」とか呑気なこといったら「それじゃ遅い」と、のっけからダメ出しされ(o_o) えっ、まずゆーっくりで合わせ確認するのって、ふつうやりません??

で、いきなり、「このくらいで行きましょう」と軽快テンポで開始するおゆき先生。その先も、あおるあおる…

えっと…1ページ目はまぁなんとかならなくもないけど、めくった途端、破綻します。

「せんせい!! こんなテンポで練習したことありませんー!!」

なにしろ、私は前回udurannさんと弾いたときのテンポ(超遅)を基準に、「あのときよりちょいと改善できそう」ってな気持ちでいたもんだから、
「超遅」→「遅」
になったあたりで平和に(?)練習してたんです。

めるちゃんで弾くと気持ちいいわ~(はぁと)

前のときよりすごく弾きやすくなった♪

そう、前回はまだめるちゃんもいないころだったんで、環境も全然違うんですけど、めるちゃんが来てから音階弾くのがずいぶんラクラク(当者比)になったもんだから、今回は楽勝と思って、幸せ~にまったりと練習してたんですがね。


おゆき先生曰く、全体をゆっくり弾くとダレちゃうので、音符が細かくないところはサクサクと「あるべきテンポ」で行って、十六分音符のカタマリのところへ突入するときに自分の弾きたいテンポに引き入れる!! まじか~可変テンポ。

そこから、おゆき先生のアオリとこちらの引き戻しの具合とか、
私がどのくらいのテンポを超えると崩壊するかとか、
ずいぶんと実験・格闘しまして…

おゆき先生「大丈夫ですよ、本番は優しくしますから(にっこり)」
今日のところは脅しといてちゃんと練習させよう、ってな完璧な計画のおゆき先生であった。。

だいたい完成形がこんな線だろうというところを探り当て、
練習用音源を録音しました。

いろいろと音抜けとか大ハズシとかありますが…
これを使って練習して…

実際の合わせ練習は残り一回(本番一週間前)。

これ、本番なんとかなるんだろうか?? おゆき先生、本番はあおらないってほんとう!?

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