李家の主人が客間に向かうと、そこには使用人に案内された道士が芳しい香りを放つ茶碗を前に着席していた。
太極印の入った黒い道袍を纏うのは二十歳そこそこの、綺麗に結い上げられた黒髪と輝く黒い瞳が印象的な若い女性で、隣の席には、やはり道袍姿の、帽子に付いた薄布で顔の上半分を隠した小柄な子供が座っている。奇妙な取り合わせではあるが、間違いなく連絡を受けた通りの風貌をした二人連れだと納得する主人。
「お待たせしました、私は当家の主人、李福順(り・ふくじゅん)と申します」
直後、少年の声で傍らの女性より先に名乗りを上げる子供。
「初めまして、朔夜(さくや)と申します」
続いて、女性が艶のある声で控えめに名乗った。
「黒曜(こくよう)と申します」
恐らくは見習いか助手であろう子供でも、男である以上は女性より先に名乗りたいのだろうと勝手に納得した李は、その無作法に対して目をつぶることにした。
微妙な雰囲気の中で挨拶が終わると、主人である李の前にも湯気の立つ茶碗が置かれ、本題に入る前に一口ほど茶を啜ってから黒曜に対して感嘆したように呟く李。
「しかし坤道(こんどう・女性道士)は珍しくありませんが、貴女のように若くて美しい方は流石に稀ですな」
直後、目に見えてやさぐれた態度を示す朔夜と、少年に対して曖昧に微笑みかけてから李に向かって宣言する黒曜。
「お褒めの言葉は有難いですが、わたしは単なる朔夜道士の助手です」
意外な言葉に対して一瞬だが呆気に取られる李に、黒曜は笑顔を絶やさぬまま滔々と並べたてる。
「しかしご安心ください、こう見えても朔夜道士は齢十四にして師匠より資格を賜った正真正銘の道士です。だからこそ、祭礼で出払っている兄弟子たちの代わりにこうして派遣されたのです」
何しろ、今回の依頼は急を要すると伺っておりますので。そんな風に言葉を締めくくる黒曜の言葉に表情を改める李。確かに、今回の問題は李にとって迅速に処理する必要があるものだった。
「とにかく、詳しい話をお伺いしたいのですが」
居住まいを正した朔夜が掛けてきた言葉には、確かに少年の外見には不相応な道士としての威厳らしきものが感じられた。いずれにしろ他に選択肢はないと悟った悟李は腹を括って話し始める。
* * *
この地方では名のある富豪の李家には、当然ながら数多くの使用人が働いているが、つい最近、数年前に雇い入れた玲華(れいか)という娘が死んだ。気立てが良く、よく働いてくれた娘なので遺体を親元に返して手厚い葬儀を上げさせたいが、玲華の故郷は遠く険しい山岳地帯、とても馬や車で遺体を入れた棺を送り届けることは出来ない。
「そこで道士様の力をお借りしようと思い立ちました。若くして亡くなった哀れな娘と、遠く離れた地で娘を亡くした両親の為に、何卒宜しくお願い申し上げます」
そう話し終えてから丁寧に頭を下げる李に対して、朔夜は重々しい口調で宣言する。
「承りましょう」
* * *
道士の術によって操られる人間の遺体を、赶屍(かんし)という。
赶屍を作り上げる手段は道士にとっても秘術中の秘術とされ、決して一般人に公開されることはない。
赶屍となった遺体に意識は無く、遺体に掛けられた術と額に貼った呪符の力によって術者の鳴らす鈴と共に動く操り人形のような状態となる。死後間もない肉体は硬直しているので基本的な移動は跳び跳ねるような恰好で行われるが、赶屍が移動出来るのは陰の気が満ちる夜間のみに限られ、日中は赶屍を安置する専用小屋を設置してある宿屋に待機することになるのだ。
いずれにしろ赶屍そのものはそれ程珍しい存在でもないので、夜に道を進んでいても役人などに見咎められることはないが、偶然出会った人間がそれを不吉なものと見るのは致し方ないだろう。
李家の心尽くしらしい立派な死装束を纏った赶屍の玲華を伴い、夜を徹して辿り着いた宿屋の安置小屋で朔夜が休んでいると、付近で開かれていた朝市から戻ったらしい黒曜が声を掛けてくる。
「朔夜、食べますか?」
「ん……ああ、貰う」
差し出された湯気の立つ大振りの饅頭は、餡に細かく刻んで甘辛く煮付けた豚肉と様々な食感の野菜を使った馴染みの味だった。朔夜が瞬く間に平らげると、黒曜は実にさりげない動作で饅頭をもう一つ渡してきた。躊躇も遠慮もない動作で受け取ってから再び饅頭に齧り付く朔夜。
「それにしても」
指に付いた肉汁を舐め取ってから、腹が満ちて本格的に眠くなってきた頭で李家を出る頃からぼんやりと浮かんでいた疑問を欠伸交じりに口にする朔夜。
「李家の主人、オレたちに何か隠し事をしていたな」
朔夜が見る限り李の人の好さは本物だが、単に人が好いだけの男が大商人になれるほど、この大陸の風土は甘くない。今回に関しても李家にとって都合の良くない部分を隠蔽した上での依頼である事は容易に予想がついた。
「まあ当然でしょうね。人間が自分にとって都合の悪い情報を隠そうとするのは極めて自然な事ですから」
普段通りの柔らかな笑みを浮かべながら、実にあっさりと身も蓋もないことを言ってのける黒曜。
「それに関してはオレも同感だが、問題は、その隠蔽された内容に騒動の火種が混じっていた時の対処方法だな」
かつて何度も依頼人の隠し事によって面倒に巻き込まれてきた経験のある朔夜がぼやくと、黒曜はあくまで柔らかな笑みを浮かべたまま言葉を続ける。
「いずれにしろ相応の前金は頂いていますから、わたしたちに出来るのは無事に仕事を終え街に戻って、依頼人の不備と弱みをやんわり突ついて報酬に幾ばくかの上乗せ交渉をする事くらいですわね」
今までだって何度もやってきた事じゃないですか、などと物騒な物言いで言葉を締めくくる黒曜の、どんな男でも蕩(とろ)かしてしまいそうな笑顔には一筋の歪みも曇りも見当たらない。
「確かに、そういう女だったよなお前は。まあいい、少し眠らせてくれ」
呟きと共に被っていた帽子を脱いで傍らに置き、倒れ込むような恰好で寝台に横たわるなり即座に寝息を立て始める朔夜。黒曜はそんな朔夜の体に夜具をかけてやりながら、そっと囁いた。
「お寝みなさい、朔夜」