テレビでたくさんの車が雪で動けなくなった柏崎の様子を、流していてビックリした。
柏崎に住む妹にラインしても、冬に雪が降るのは当たり前の事。
「ほら、こんなもんよ」と写真が送られてきた。
妹が住んでいるところは、街の中心に近いので、積もるといってもそれほどでもない。
でも、私達の生まれた所は、もっと山の方なので、子供の頃は、それはそれはたくさん積もった。
今と違って、子供の頃は幹線道路が雪で除雪が出来なくて、車が通れないことはよくあった。
それに、自家用車とかマイカーなんて言葉も無かった頃。
雪に振り込められても、毎年の事とそんなに気にもしなかった。
ただ、父は早く起きて、新聞配達者の為に、カンジキで歩くための道をつけていた。
今は、どこの家にも車が1〜2台はあるので、雪が多いと困る。
だから家庭用の除雪機を備えている。
朝日新聞の天声人語に草野心平の、雪の詩が書かれていた。
しんしんしんしん/しんしんしんしん
しんしんしんしんゆきがふりつもる・・・・
これが92文字繰り返されている。
子供の頃、何日も何日も降り続く雪は、全ての音を消し、本当に世界はしんしんの世界になる。
でも、今は、車の音や生活音など諸々の音が聞こえ、無音の世界は少くなった。
本当に降り積もる雪には、雪の降る音がある。
子供の頃、そんな雪をあかずに見ていたことがある。
積もる雪は、砂粒のような粉雪だ。
その粉雪が、サラサラサラサラと音を立てて降る。
濃密度の粉雪は、世界を白灰色の一色に染める。
隣の家も屋敷林も、輪郭も分からない。
私が中学生の頃、38(さんぱち)豪雪の時、そんな雪が何日も何日も降り続いて雪は電線を越えた。
そんな積もる雪の時は、風も無くそんなに寒くない。
だから、じわじわと雪が降り積もって行く様子を、テレビも無かった子供の頃、じっと見つめていた自分が懐かしい。
今年、15年も空き家になっていた実家を、更地にしたので、どれだけ雪が降っても心配しなくてよくなった。
私が小学生の頃に、国語に載っていた詩が今でも忘れられない。
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ