ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

ねずこのメガネ

2020-11-23 12:54:36 | Weblog

6月に注文した鬼滅の刃の「ねずこのメガネ」が、やっと届いた。

とっても可愛。

 ケース

 着物の模様とリボン。

 マスク姿のめがね拭き

 マスク姿の缶バッチ

直ぐにメガネ屋さんに持って行って老眼鏡(必要な年になってしまった)に、作り変えた。

お店の人が、メガネケースを見て「鬼滅のねずこですね」と。

亡くなった夫が、メガネをあちこちに置いておいて、それでも「メガネ、メガネ」と探していて私に笑われていた。

今になって、それが良く分かる。

私も、使わなくなった近眼のメガネがいろいろあるので、それらを老眼鏡に作り変えて、あちこちに置いてある。

最近、もう一つ新しいメガネを買おうかなと、出かけた時にメガネ屋さんがあると、見ていた。

そんな時、ネットで見て直ぐに注文した。

今、知り合いや友達に会うと、「可愛いでしょう」と見せている。

 

 

 

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コリンエストラーゼ

2020-08-26 13:21:17 | Weblog

コリンエストラーゼという言葉を、何年振り?何十年ぶりに聞いた。

ロシアの反政権活動家が毒を盛られたという。それは神経の働きを支える酵素「コリンエストラーゼ」の機能を阻害する物質との事。

ずっと以前、子供も大きくなったので、正社員として会社勤務を始めた。

そして、毎年、健康診断の結果を医者が説明してくれた。

結果は、現在と違ってまだ若かったので、どこにも異常はなかったし、医者にも「健康です」と言われた。

でも、結果表を見ていて、ふと、目に止まったのが「コリンエストラーゼ」という欄の数値が平常値のはるかに低い値だった事。

初めて目にする項目。

医者に質問すると、全然、気にする事はありません、低いのは体質でしょう、無視していいですよ、と言われた。

ああ、そうなんだ、と。でも、「コリンエストラーゼ」って何だろう、と考えたが、日々の忙しさで忘れて行った。

そして、その後の健康診断の時には、もう、その項目は無かったので、なおさら記憶の海の底に埋もれて行った。

今だったら、ネットで調べただろうが、あの頃は、携帯だってない頃だ。

医者がいったように、その後私は、気にする事なくずっと健康で生きて来た。今は、健康診断をすると、年相応の数値が出て来るけれど・・・。

朝目覚めると、布団の中でまずはNHKを付ける。

その時、ニュースをやっていて、この言葉が飛び込んで来た。

忘れていた記憶の海の底から、ハッキリと浮かび上がって来た言葉「コリンエストラーゼ」。

えっ、と思い、直ぐに起きて新聞を取って来て、この記事を読んだ。

「コリンエストラーゼ」って、神経の働きを支える酵素だと言う。

私って、神経の働きを支える酵素が少ないの?

会社を辞めてから、何年か、新宿にある健康診断を専門にする医療機関で健康診断を受けて来たが、この項目は無かった。

でも、この酵素が少なくても、何の異常も不都合もなく生きて来た。

だから、これからも、深く考えないで、いつも通りに生活して、健康と事故に気を付けて生きて行こうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今日から7月

2020-07-01 16:51:20 | Weblog

今日から7月に。

いつの間にか、今年の半分が終わってしまった。

気が付いたら、春が無くて、蒸し暑い夏になっていた・・・。

この半年、私は何をしていたのだろう。

思い返しても、ただただ何となく一日一日が過ぎて行っただけのような気がする。

朝目が覚めると「あれ、さっき起きたような気がする」、夜寝る時には「あれ、また寝る用意をしている」と。

マーカーのピンク、黄色、緑、青と色分けされた手帳、いろいろ書き込んでいた手帳は、全て斜線を引いて予定が無くなってしまった。

やっと最近、また、以前のように色分けし、仕事が入ってくるようになって来た。

でも、まだまだ、友達と会わないでいる。

いままでも、時々、「無事?生きている?」とラインで笑いあっていた。

家にこもっていた時は、テレビばかり見っていたような気がする。

録画して溜まっていた映画を見たり。

海外ドラマが好きなので、録画して見ていた。

私が好きなのは、アメリカドラマとヨーロッパドラマ。特にヨーロッパのミステリーが面白い。

今、話題になっているけど、韓国ドラマは観た事がない。

ただ、唯一見たのが、ゾンビ映画「新感染ファイナルエクスプレス」。笑っちゃった。コメディだったっけ。

そして、やっと、J1リーグ始まる。

少しは日常が戻って来るかな、と思ったけど、東京の感染者数が増え始めているのが心配だ。

早く、友達と美味しい料理を食べながら、思いっきりおしゃべりがしたい。

でも、やっぱり、まだ、出かけるのは心配だ。

 

 

 

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雪が降る

2020-03-29 17:35:48 | Weblog

今年初めての雪景色。

起きた時には雨だったのに、いつの間にか雪に変わっていた。

こんな雪なら、ほとんどの人が外出を控えただろう。

このコロナ事情の時に、雪は丁度良かったのかも。

コタツに入りながら、お茶を飲みながら降る雪を眺めたりテレビを見たり。

田舎の妹から電話が来た。

私の故郷の柏崎は、子供の頃、今は信じられないほどの大量の雪の降る豪雪地帯だった。

電線が道路よりも下に、1階は雪に囲まれて地下室の様な豪雪の冬があった。

でも、妹の話では、あんまり雪が降らなくなった、と言っている。

やっぱり温暖化なのか。

「こっちは雪が降ってるよ。屋根に積もっているよ」と言うと、

「こっちは陽が出ているよ」と妹。

久しぶりに話をして楽しかった。

もう、両親も姉も亡くなり、妹だけになってしまった。

妹に会いたいなと思いながらも、なかなか会えないでいる。

妹は義父の介護があり、私は生まれた家も、もう無いので田舎に帰る事も無く、何年も会っていない。

お互いに元気で生きて行こうね、とエールを送って電話を切った。

 

 

 

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あれから・・・

2020-03-11 10:29:35 | Weblog

あの震災とは関係ないけど、この時期になると私自身も辛く悲しくなる。

何日か前からTVの放送でも特集が流され、新聞でも沢山の記事が載る。

あの1年間は私にとっても、辛い1年だった。

あの震災の3カ月ほど前に最愛の姉との突然の別れがあり、毎日泣いていた。

お正月も、家族の為にお料理は作ったが色彩のないお正月だった。家族は私に凄く気を使ってくれていた。

そして少しずつ前を向き始め、夫と2月にFC東京の九州でのキャンプと、鹿児島観光に行った。

そこで、サッカーの仲間の一人が鹿児島に移り住んでいたので、一緒に食事をし、磐田との練習試合を応援した。

そして、あの地震と津波。

夫と声も無くTV中継を見ていた。こんな事があるのだろうか、まるで、現実のものとは思えなかった。

東日本大震災。その頃の私の手帳を見ると、その日に赤字で“東北関東大震災”と書いてある。始めはそう言ったのだろう。

そして、その夜、風邪ひいたと言っていた夫が「インフルかも」と言うので、翌日の土曜日に一緒に病院に行った。

病院は凄く混んでいて、長く待たされ夫が「苦しいと」ソファに横になったので、看護婦さんに言ったら、車椅子を持って来て直ぐに診察室に連れて行ってくれた。

診察を終えお医者さんに「直ぐに入院してください」と言われた。

翌日、入院の準備をして病院に行ったら「直ぐに、大きな病院に行ってもらいます」と言われ、救急車で運ばれた。

その夜、私と子供たちが主治医に言われたのは、「早くて1週間、長くても1か月」と言われた。

後は、どういう治療を受けるかという事だった。

姉の時にも言われた、同じ言葉。

姉の時は「早ければ2~3日、長くて1週間」と言われ、どういう治療を受けたいかと。

私は、姉の子供たちに「残りの時間が少ないのなら、無理やり延命をするよりも、苦しまないで穏やかに見送りたい。これは私の願いだけど、それを決めるのはあなた達」と。

子ども達も3人で話し合ってそれを受け入れた。

私はその日まで傍にいようと泊まり込んだが、私の目にもその日が近い事が実感された。

それで、長男に「辛い事だけど、直ぐにお葬式の準備をして」と言った。

そして、その日は思いの他早かった、

辛い治療がなかったので、本当に穏やかな、今にも起きて来そうな優しい顔の永遠の眠りだった。

だから、夫も苦しまないでその日を迎えたいと思った。

桜の季節かなと思っていたが、少し持ちこたえた。

「三沢川の桜が見たいな」と夫が言った。毎年、二人で桜の季節は、「どこに行かなくても、この三沢川の桜が一番だね」と二人で桜を見上げた。

夫は、新緑が美しく萌えあがり始めた季節に逝った。

今日は、仏壇の夫や姉たちに話しかけながら、涙が止まらなかった。

この日は、毎年、一人悲しみに浸る。

娘とも話したけど、あの一年間の記憶が無い。

二人で、振り返っても断片的にしか思い出せない。

あの年は日本の国にとっても、個人的にも悲しい辛い年だった。

今日の朝日新聞に別すりが入っていた。

一面は「春へ 一歩ずつ」の言葉に一面、満開の桜。

ページをめくると、2ページ、3ページはそれぞれ東北の満開の桜木と、桜の木を植え続ける人々の話。4ページめは、今の日常。

特に、NPO法人「桜ライン311」の活動を、感動を持って知った。

高田市が、津波が到達した地点に10メートル間隔で、170キロに桜を植えるという。

津波が来たら、その桜よりも上に逃げるんだよとの教訓と癒しのためだという。

1千年も残る桜並木のために、ソメイヨシノではなくオオシマザクラや八重桜などを植えるという。

そういえば、三沢川の桜並木は、ソメイヨシノもあるが、大島桜や山桜も数多く植えられている。

桜が咲いたら、娘を誘って三沢川を歩こうと思っている。

 

 

 

 

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新しい年が始まった

2020-01-05 11:44:26 | Weblog

去年は、本当に忙しい年だったように思う。

家族にサッカーに仕事にボランティアに友達との遊びだったり・・・。

お正月は、いつものように暮れから子供たちが集まり、楽しかった。

小さい子がいると、その子が中心となる。遊びの相手をしたり。

特に、保育園で覚えた「ウノ」に夢中で、何回も一緒にやらされた。

皆で一緒にやったり、名指しで一対一で勝負したり。なかなか手ごわいので私が負ける事も多い。

ピカチュウのウノは、ルールが微妙に違う。始め、ゆうなは私の息子にルールを教えていて、幼児なりの教え方が可愛いなと思った。

娘の家族は、紅白が後半に差し掛かった頃に帰って行った。

除夜の鐘を聞きながら、夫が生きていた時には、必ず近くのお寺さんに出かけて鐘をついたね、と息子と話した。

転勤でどこに住んでも、除夜の鐘が鳴り出すと、家族皆で「寒い寒い」と言いながら近所の神社やお寺さんに初詣に行っていた。

そして、お正月が明けると、ちょっと遠くの神社・お寺さんに行っていた。

世田谷に住んでいた時には明治神宮に、川崎に住んでいた時には川崎大師に。

ここに住んでからは、毎年、3が日の間に大國魂神社に行っていた。

だから、夫が亡くなってからも息子と一緒にお正月の2日に行っている。

毎年、3日には息子が帰るので、娘の家族と予約したお店で新年を祝って、私は息子の車で夫の眠る新宿のお寺さんにお参りに行く。

去年は、家族にも親戚にも友達・知り合いにも、これという不幸は無かったから、いい年だったんだと思う。

今年の暮れにも、いい年だったなと思える一年であって欲しい。

FC東京の今年一年も、去年のように楽しい年であって欲しい。

でも、ACLがあって大変だとは思うが、サポーターとしては、いまからワクワクしている。

今年もよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

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友達と久しぶりに会う

2019-10-04 12:50:24 | Weblog

毎月1回は会って出かけたりおしゃべりをしている友達と、久しぶりに会った。

夏は忙しくて、本当に忙しくておしゃべりが出来なかった。

お互いの会える日を打ち合わせて、電車の時間を決めて都心に出かけた。

まず、東京ドームシティで開催されている「篠山紀信展 写真の力」を見に行った。

もう、1カ月近くも過ぎているので、そんなには混んでいなかった。

昔、話題になって、よく覚えている写真が一杯、あった。

ジョン・レノンとヨーコ。百恵さん。りえちゃん。本田美奈子さん。等々・・・。

力士達の群像や刺青の男達には圧倒された。

そして最後のパーツは、あの東北の地震の被害者の人達の白黒の写真。

瓦礫や潰れた家屋の前で、ジッとカメラのレンズを見つめる老夫婦、家族、子供、お母さんと抱っこされた幼児。その幼児もジッとカメラのレンズを見つめている。

何か、胸が苦しくなった。

お腹が空いたので、そこのフードコートで食事をした。まだ、お昼前だったので席は余裕だったけど、お昼になったら混んで来た。考えてみたら都民の日で、学校が休みのためか子供が多かった。

今度は、松屋銀座で開催されている「天気の子」展へ。

友達とすっかり新海誠さんのアニメのファンになった。

彼の描く自然が凄く綺麗。

雨の降るシーン、雪の降るシーン、青空と雲と太陽の光・・・。

そして、そこで動き回り、話をし、泣き、怒る人々が、あの滑らかな表情のディズニーアニメと違って、日本風の漫画アニメなのがいい。

私は、新海誠作品の中では、「秒速5センチメートル」が一番好きだ。帰って来てから、録画してあるのをもう一度見た。

その後で、東京駅の丸ビルに行った。

テレビでラグビーの為に丸の内15丁目を作って、パブリックビューイングもやっているというので、何かグッズを買えるかなと。

ラグビー神社があり、ラグビーボール型の絵馬があり、日本らしいと思わず笑ってしまった。

調布でお茶しようかと、新宿に向かったら、京王線が人身事故で動いていなかったので、新宿で甘いものを食べながらおしゃべりをしてから帰った。

 

 

 

 

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調布の花火

2019-09-08 10:11:08 | Weblog

今年初めて見た、生の花火。

BSで私の故郷の「柏崎の花火」をライブで放送していたので、それは見た。

それはそれは、なかなか豪華で打ち上げた花火の数も半端なかった。

柏崎に住んでいる妹と話していて、来年、お墓参りも兼て行って見ようかな、と思った。

調布の花火は、稲城に引っ越しして来た時には、うちの外廊下から遮るものが無く、家族で見ていた。

でも、直ぐに対角線上にマンションが出来て見えなくなった。

それで、午前中に稲田堤の多摩川河川敷に場所取りに行って、夕方家族で行って見るのが恒例になっていた。

夫が亡くなってからは見なくなった。

花火を打ち上げる場所が変わったので、今度はベランダから少し身を乗り出したら見えるようにはなった。

娘の家は京王多摩川駅から直ぐの所で、庭から綺麗に見える。

お昼頃娘の家に行ったので、河川敷に様子を見に行った。

あちこちに場所取りのシートが敷いてあった。

娘は調布の花火の時は、毎年、自分の友達家族と夫の友達家族と交互に招待して、宴会しながら見ていた。

今年は、娘の友達を招待する番だけど、夏バテでやめたから、私においでというので、一緒に見た。

確かに庭から綺麗に見えるけど、家の前の道路の方がよく見える。

花火の時には、娘の住宅街への入り口はバリケードが作くられガードマンがいて、通行券が無いと入れない。

だから、道路の真ん中に椅子を出してそこで花火を見た。

下の方の花火は見えないけど、十分、堪能した。

そして、「次はFC東京のスタマインです」のアナウンスが聞こえた。

おおー東京だ。

選手入場の音楽が流れ、上がった花火は、赤い大輪の花がポンポンポン、そして、それに被せるように青い大輪の花がポンポンポン。

シンプルで豪華に感じた。思わず拍手。

そして、写真を撮るのを忘れた。

初めて見る花火もあり、堪能した。

真夏と違い、暗くなるのが速いので、始まる時間も早く終る時間も早い。

だから、花火客がその後に調布で飲んだり食べたりしてくれたらいいなと、この時期になったと聞いた事がある。

ゆうなと同じ病院で同じ頃生まれ同じ保育園に行っているゆうなの友達の家が、同じ住宅街の同じ道路沿いにある。

そこの家は2世帯住宅で、家の前の車2台分が置ける広い駐車場は、子供3人のお友達を招いてバーベキューパーティーをしていた。

ゆうなも家とそこと行ったり来たりしていて、花火が終わったら直ぐにそこへ行った。

私は、娘の家で食べたり飲んだりした後片付けをして、帰る事にした。

娘と一緒に歩いて行ったら、本当に沢山の人が集まっていた。ゆうなも交じって何か食べていた。

娘が、「年々、人が増えて行くね」と言っていた。

そこで娘と別れ、娘はその人達の中に入って行き、私は侵入防止ゲートを出て駅に向かう人の群れの中に入った。

 

 

 

 

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大津の悲しすぎる事故

2019-05-11 20:34:40 | Weblog

最近、小さい子の悲しい事故が多すぎる。

大津の保育園児の事故は、悲しくて胸が詰まる。

孫のゆうなも保育園に通っている。そして、毎日、お散歩に行く。

園の玄関には、お散歩コースの地図が貼ってある。

歩いて行ける範囲に、公園が多い。よく行くのは多摩川の河川敷。運動会もそこで行う。

私の家の近くには、保育園が5か所ある。

だから、園児のお散歩は、毎日の見慣れた風景だ。

「おはよう」とか、「こんにちは」と言えば、可愛いい声で「おはようございます」とか「こんにちは」と答えてくれる。

赤信号で止まると先生が「青になったら教えてね」と言うと、皆真剣な顔で信号を見ている。

青になると、「先生、青になったよ」 そして、右左見て手を上げて渡って行く。

「青になったら渡ろうね」と言うよりも、「青になったら教えてね」という方が、子供たちは真剣に信号を見る、なるほどな、と思った。

ゆうなは、歩道の無い道路を手を繋いで歩く時に、必ず自分から道の端側の方を歩く。ちゃんと癖になっているのだ。

大津の保育園の子供達も、ちゃんと先生の言葉を守り、そして、先生に守られて毎日を楽しく過ごしていたはずだ。

FC東京の応援番組の「COLORS」に“青赤写真館”というコーナーがある。

選手の赤ちゃんの時から幼児、小学校、中学校へ、そしてサッカーの選手へと成長して行く過程の映像が流れる。

そのバックに「思い出がいっぱい」の曲が流れる。

♪ 大人の階段のぼる~  の歌声が・・・。

たった2歳までしか生きられなかった、あの子たちは、大人どころか子供の階段も登れなかった・・・。

テレビを見ながら涙があふれた。

幼子を亡くしたお父さん、お母さんの事を思うと言葉が無い。胸が痛い。

ご冥福をお祈りします。

 

 

 

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池袋の悲しい交通事故

2019-04-25 20:41:54 | Weblog

テレビで新聞で目にするたびに、涙がこぼれる。

あまりにも悲しすぎる。

そして、私の娘と孫娘と重ねてしまう。

帽子をかぶる真菜さんに抱っこして、にっこりとVサインをしている莉子ちゃん。

娘も、真菜さんと同じような帽子をかぶっている。

自転車に乗っている時に風が吹いて、

「あ、帽子が飛ばされそう」とお母さんが言うと、後ろに乗ったゆうなが

「お母さん、大丈夫。ゆなちゃんが押さえているから」と、後ろからしっかりと、お母さんの腰を抑えるゆうな。

写真の莉子ちゃんと一緒で、ゆうなも眉毛がしっかりした眉毛ちゃん。

今、手元に、真菜さんと莉子ちゃんのように、お母さんに抱っこしてⅤサインをしている4歳のゆうなの写真がある。

あまりにも可哀そう。

ちゃんと信号を守って、ちゃんと横断歩道を渡って、何の落ち度もないのに。

自転車が真っ二つになるほどの衝撃を受けて、想像しただけで怖い。

安全な歩道を歩いていても、自動車が突っ込んで来て無くなる子供達もいる。

運悪くどこでどんな災難が降って来るか分からない。

娘には、前々から言っている。

ゆうなと一緒に出掛ける時には、絶対にスマホを手にしないで、しっかりとゆうなの手を握って、周りに気を配っていてね、と言っている。

こうして書いていても涙が止まらない。

病気で病院で亡くなった姉や夫のいない生活でさえも、辛く悲しい日々だった。

まして、理不尽に奪われた最愛の奥さんと娘さん。

どうか、残された旦那さん、頑張ってとは言えないけど、二人の分も生きて行ってください。

まずは今日一日、今日一日と、生きて行ってください。

真菜さん、莉子ちゃん、安らかに。ご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

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