今日は、母の月命日。
ロウソクが燃え尽きるように、静かに息を引き取った母。
作られて日にちも浅い綺麗な、安城市の老人ホームで最後を迎えた。
年に何回か、新幹線で会いに行っていた。
姉が亡くなって、こっちの老人ホームに連れて来ようと、夫とあちこちに足を運んだ。
こっちに連れて来れる目途が立った矢先に、夫が病気で入院した。
医者には、「覚悟を決めてください。早ければ今週末かも知れないし、1カ月、2カ月、3カ月になるかも知れませんが」 と言われ、子供たちと茫然自失。
母を連れて来る状態ではなくなった。
夫が亡くなって、母を連れて来ようと思えば連れて来れたけど、精神的に無理だった。
そして、施設からの連絡で駆け付けた時には、母はもう深い眠りに入っていた。
ある日、突然、食事も水も拒み、眠りに入ったという。
私は、二晩、施設に泊まり込み、母を看取り、姉の子供達と一緒に、母を柏崎へ連れて帰った。
そして、身内だけでの葬儀を行った。それでも、実家の近所の人達や母と近しくしていた人たちが参列してくれた。
何となく、今日は心が苦しくなったので、一日用の無い日だったこともあり、山に入る事にした。
こんな日は、山の中で笹刈りをするのが一番。
キノコ山の山道で、保育園のお散歩の子供たちに会った。
この、南山は、駅の周りにある保育園の散歩コースになっている。
子供たちが元気に、「ドングリだよ。一杯集めるんだよ」 と口々に教えてくれた。
先生が、「この間来た時にも、ドングリ拾いしたので、今日は、袋を作ってきました」と、子供たちが、それぞれぶら下げている手作りらしい袋を見せてくれた。
小さい子がいたので、「何才?」「3才!」。
他の子供達も、口々に「4才」「5才」と教えてくれる。
ここが、子供達の一番のお気に入りの遊び場なんだという。
何だか、私も楽しくなった。
道具を持って森に入り、取り敢えずポットの熱いお茶でお菓子を食べる。
そして、心の中で、母たちとの思い出の旅に出る。
お昼になり、畑に下り、道具をしまい、畑の嵩上げ工事を見つめる。
来年には、どんな風景になるのだろう。