夫は、東北地震の年に亡くなった。
あの津波をTVで、声も無く二人で見つめていた、その翌週に入院した。
夫の具合が悪いのは、インフルエンザが流行っていたので、インフルエンザかなと病院に行ったら、即入院となった。
翌日、入院の準備して病院に行ったら、「大きな病院に行ってください」と救急車で運ばれた。
その夜、集まった私と子供たちに、医者は、「余命は・・・」と。
前月には鹿児島に旅行に行ったりと元気だったのに。
でも、お医者さんが言っていた日数よりも、1カ月くらいは長く生きてくれたのかな。
私や子供達、お医者さんや看護婦さんが見守る中で、夫は静かに逝った。
よく、ロウソクの火が消えるようにというか、夫のその時は分からなかった。
でも、私や子供達には、何となく「えっ」と思った。見た目には分からなかったが、何か、何かがフワッと、そんな感じがしたのだ。
そして、それは、前の年の暮れに亡くなった姉の時に感じたのと一緒だった。その時にも、私と姉の子供たちと、「えっ、今?」と思った。
私は、後ろにいるお医者さんを振り返り、子供達もお医者さんを見つめた。
医者が近寄り、聴診器を当てたりして、「ご臨終です」と言った。
翌年、母が老衰で亡くなった時にも、やっぱり、そうだった。ドラマと現実は違う。
そして、思ったのは、3人を見送り、何年も前に父を見送り、人間って、やっぱり誰もがいつかは死を迎えるのだなって。早かったり遅かったりはあるけれど。
そして、寿命のおもむくまま、自然にまかせてゆっくりと穏やかにその時間に付き合えば、死って全然怖くないなと思った。
本当に、3人とも眠りながら穏やかに旅立って行った。
私も、いつになるか分からないが、穏やかに旅立っていきたい。
住職さんのお経を聞きながら、夫達の事を静かに思い出していた。
ゆうなも、今回は静かに座ってお経を聞いていた。時々、小さな声でお母さんに何かを話していたが。
住職さんが、「随分、大きくなりましたね」と、優しい笑顔で話しかけていた。
夫が生きていたら、どんなにゆうなを可愛がってくれただろう。
近くのレストランで、お昼を食べながらお父さんの思い出を話し合った。