ずっと、賃貸で生活していた息子が、中古だけどマンションを買ったというので、お祝いを兼て娘の家族と行って来た。
自分で家を買うなんて、感慨深い。
息子は、小さい時から、一人遊びが好きな子だった。
友達と遊びはするが、やっぱり一人で遊ぶのが好きな子だった。
世はまさに「腕白でもいいたくましく育ってほしい」の時代。強い事はいいことだ。
女は主婦、男は会社で目一杯働く時代。
小学校一年生の時、担任の先生に相談した事がある。
先生は「タカシくんは、しっかりと自分の世界を持っています。彼は、弱いのではなく気持ちが優しいのです。本当は彼の様な子が、大人になって世の中を平和な住みやすい世にしてくれるのです」と、おっしゃってビックリした。いまでもその時の学校での夕方の教室を思い出す。
そして、こんな事もおっしゃっていた。
いつも大人しい息子が、何が原因かは分からないが、クラスのボス的男の子と取っ組み合いのケンカをした事があるという。
先生は、そのケンカを止めないで、見守ったという。「彼にとってよほどの事があったんでしょうね。原因は聞かなかったし、無理やり仲直りもさせませんでした。その後は二人とも普通に話したりしてました」と。
今の教育現場とは、かけ離れた先生の対応だったなと思い出し、いい先生だったなと懐かしく子供の小さい頃を思い出した。
小学校、中学校、高校と、世の中は校内暴力や家庭内暴力の嵐が吹き荒れていた時代だった。
でも、息子も娘も反抗期もなく(心の中にはあったのかも)優しく育ち、お父さんの転勤等で、平均で5年ごとに引っ越した。新しい環境には適応して行ったように思えたが、どうだったのだろう。
息子が大学卒業の時は、たいへんな就職難だった。
やっと入った会社は、あの子の性格には会わないと思っていた。
「どんな会社でも、3年は我慢して頑張りなさい。その経験は良きにつけ悪しきにつけ、絶対にあなたの身になり、逞しくしてくれるから」と、送り出した。
結局、5年頑張った。心身ともに逞しくなって、今の会社に入った。もともと、お父さんに似て絵を書いたりイラストを書いたりが好きだった彼にとっては、与えられた仕事場は最適だなと思った。
会社は、食品関係なので、コロナの影響はないという。
私が家を買う時に、「1に駅のそば、2に駅のそば、3、4が無くて駅のそば」と呪文(笑)のように言っていたので、娘も駅の近くで、息子も駅の近くだった。
千葉の中古マンションは、東京に比べて本当に安い。でも、ウチよりも広いかもと思える家の中は、今風の新築のようにリフォームされていた。とにかく収納場所が多くて、娘が羨ましがっていた。
でも、定年になったら戻って来るのかな、と思っていた私は、何となく寂しかった。息子は「お母さん、先の事は分からないから。もしかしたら、戻るかも知れないし」という。そうね、先の事は分からないね。
本当の寂しさは、会うたびにあなたが、おじさんになって行く事。私の中では、まだまだ学校へ通っていた時のままなのかも・・・。
毎年、都心のレストランで、何回か皆で集まって食事をしていたが、今年はコロナだったので、今年初めての家族皆での食事は楽しかったし、美味しかった。
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