ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

携帯を買い換えた

2007-02-10 23:47:29 | Weblog
やっと携帯を買い換えた。ドコモショップのお姉さんに「約8年間もお使いいただいてありがとうございます」と言われた。もう、そんなに使っているのか。

99年に必要に迫られて携帯とパソコンを買った。それは、FC東京を応援するようになったから。初めはPCの方が先だった。サポーターの連絡やイベントなどが全て、PCがないと分からないのだ。とりあえず、PCがあればオフ会やサポーター主催の応援バス応募や各種の連絡が分かる。

でも、会社でやっとパソコンのパの字が分かる程度の自分が、よくもまあ無謀にもPCを買ったなと思う。買って来てもすぐに使えるわけではない。各種の設定や登録をしなくてはならない。今の簡単になったPCと違って本当に苦労した。春のまだ寒い時期だったけど、汗びっしょりになって一日かかった。取扱説明書がクシャクシャになるほどに。

その内にPCだけでは、仲間との連絡に時差がありすぎる為、携帯を買った。しばらくして、水に落として新製品に買い替えiモードなるものが使えるようになり、機動性がグッと増した。

手になじみ、もう本当に手の一部のように愛着のある携帯だが、液晶も暗くなりいつも見ているFC東京の携帯サイトに載っている写真が暗くて全然見れない。写真の所だけ夫の携帯で覗いていた。もう、そろそろ寿命かなと思っていた。

去年、初めてこれなら替えてもいいかなと思えるデザインの携帯が発売された。でも、愛着があり、何日か悩み「やっぱり買い換えよう」とドコモショップに行った。所が「申し訳ありません。この機種は不具合が出て、今、発売を中止しています」と言われた。「えええ・・・」と思ったが、なぜかホッとした。携帯の裏側には大好きなFC東京の選手のサインもあるし。

会社の帰りにドコモショップにいったら、私が唯一欲しいと思っていた機種が、また売り出されていた。ドコモショップのお姉さんに「もう、この機種は不具合がなおったのね。」と言ったら怪訝な顔をされた。「去年、買いに来たら、発売を中止していると言われたのよ」と言ったけど、知らなかったみたい。

随分、進歩していて使い方にジタバタした。今度は写真も取れる。娘に笑われたけど、取扱説明書を全部読んだ。私はどういうわけが、この手の本が好きなのだ。会社でも、コピー機やファックスやその他の機械でも、読むとイロイロな使い方があって面白い。

もう、本当に携帯もPCも生活の一部になってしまったと、つくづく思う。生活必需品である。
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早くFC東京サッカーが見たい

2007-02-09 22:23:01 | FC東京とサッカー
日中は本当に春のように暖かくなって来た。

サッカーのキャンプ便りを読みながら、そろそろ今年のアウエ観戦予定を立ててつつある頃になって来た。私のFC東京はどんな状態なのだろうと、気になってしょうがない。

それで、会社に何だかんだと理由を付けて水曜日に半休で帰った。そして、小平まで湘南との練習試合を見に行って来た。寒かった、寒かった。でも、どうしてこんなに沢山の人が来ているの。平日なのに。自分の事は棚に上げて「皆さん、仕事は大丈夫なのかしら」と。

2-1で負けたけど、まア、今の時期ならこんなものかと思う。30分の3本。金沢さんが、走り回っていたのがとっても嬉しかった。

隣の女性と話をして、彼女が「去年よりも、ずっと今年はシュートが枠に行っている。去年は本当にどうしょうもなかった。今年は楽しいかも」とニッコリ笑った。そう言えば、枠のはるか上に行ったのはワンチョペの一本だけ。後は、キーパーに何本か取られたが。

平山のゴールは迫力があった。ゴール前に青と黄緑が固まりになって飛び込んで来た。そして、ジャンプした平山は完璧に頭以上が出てドンピシャだった。

若い吉本君、森村君達が元気一杯で。ナオくんも嬉しそうに足をブラブラさせていた。塩田ゴールキーパーが「○○たー!」と怒鳴るが、「え、そうた?ゆうた?こうた?」と突っ込みを入れた。

沢山の見物人。見学場所がフラットなので後ろの人達が見えなくて、フロントがすぐにゴール裏の通路を半ばまで開けて、そこに誘導していた。休日ならこれだけの人が来るのもわかるけど、平日。皆、サッカーの試合に飢えていて待ち遠しいのだろうな。私も含めて。

帰りのバスも、ギュウギュウの満員だった。バスに乗る錦城高校の生徒がバス停に並んだ普段と違うだろう人達に近寄れなくて一歩離れて固まっていた。

五輪代表に梶山、伊野波、平山が選ばれた。やっとサッカーの季節が動き始めようとしている。そろそろ、チケットも売り出され、FC東京のアウエバスツアーも募集が始まる。冬眠も終わり。今から、ドキドキワクワクしている。
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日本の男女格差について

2007-02-03 20:41:49 | Weblog
ある月刊のマネー情報誌に国別男女の賃金格差が載っていた。日本の男女の賃金格差は世界で119番目。そして、その差はさらに広がっていると書いてあった。

たしかに、私自身もそれは強く感じてはいた。娘も娘の友達や会社の女性の同僚も、「こんなに一生懸命に働いている私達が給料が安くて、仕事中にパソコンゲームをやっているおじさんや、たばこを吸ってしゃべっている男性が沢山もらっているなんて、悲しくなる」と嘆いている。

娘が始めて会社勤めをしたのは女性だけの会社だった。会社内ではもちろん差別はなかったが、対他会社ではやはり女と言うことで随分悔しい思いをしたらしい。イロイロあって別の会社に移ったが、ここは普通の会社。初めて娘は歴然と会社内に賃金や待遇等に男女差別があるのを知った。「お母さんが言っていた事が始めて分かった」と言った。

私は長年事務職として働いて来た。子供が小さい時はパートで働いた。同じ仕事を同じように、いえ、それ以上に頑張ったと自負している。でも、ふっと気が付いた。どうして、時間給に換算して2倍以上の差があるのか。仕事内容は好きだったし、同僚とは楽しく仕事をしていたが、正社員として別の会社に勤めた。

それから、15年。一般事務職なので年収はほとんど変わっていない。でも、男性は年と共に上がって行く。「ダンナがいるんだから、どうせ小遣い稼ぎだろ」とか「まさか男に事務職なんてさせれないだろ。男は家族の面倒を見ないといけないんだから」と言われた。

私が入社した時は女性は4人いた。でも、辞めても補充しないで今は私の部は私一人で同じ4人分をこなしている。もちろん、パソコンのお陰でもあるが。昔はワープロしか無かった。初めてパソコンが来た時は、「私が使いこなせるのかしら」と思った。でも、事務職の女性が辞めるたびに、イロイロと見直し、能率よく出来るように工夫して来た。こんなに自分の能力をアップし、会社にも貢献してきたのに私は女で一般事務職である。

男は喫煙所でどれだけしゃべっていても、何も言われない。でも女性がそこでタバコをすっていると、生意気だと言われ、サボるなと上司にいわれる。「稼いでいるのは男で、事務職は扶養家族なんだから」と。

最近の「女は産む機械だ、産む為の装置だ」とか言う発言は、柳沢さんだけの問題とは思わない。古い男性は本心ではそう思っているのではないだろうか。女は黙って、男の言うとおりにしていればいいのだと。生意気に人間としてとか自立とか言ってと。男と女が違うのは当たり前だと。格差があるのは当たり前だと。

最近、正社員とかパートとか派遣とかの格差問題が話題になっている。でも、そんな事はずっと昔からあったが、昔はそれは女性の問題だった。だから、政治的にも問題にされなかった。でも、バブルが弾けてからリストラや新卒の就職難でパートや派遣に多くの男性が加わったから、これだけ大問題になったのだと思う。

女性の差別問題が、やっと男性の問題でもあるのだと言う事に、時代が追いついて来たのだと思う。でも、柳沢氏のような長年権力の場に居る人達には、彼らが言っている言葉ほどには時代を理解してはいないと思う。

娘の年若い男友達で自由人の人たちがいる。仕事をしたり、国内外を旅をしたり、どこかの土地で暮らしてみたり。とっても屈託無く優しく楽しい人たちだ。年も年齢も超えてお喋りするのは楽しい。柳沢氏達のように国会に住んでいる人達には理解出来ない人種だと思う。でも、私は彼らに日本の明るい未来を感ずる。私は、日本の人口が減ったっていいではないかと思っている。平和で優しく楽しい日本なら。今のように人口が多くてもギスギスした日本より、よっぽどいいと思う。


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「下流喰い」須田慎一郎著

2007-02-01 21:27:48 | Weblog
作者の須田さんは我が社では伝説の人。それで同僚に進められて読んだ。主にサラ金、ヤミ金の事。知っているつもりだったが、改めてその恐ろしさを知る。TVCMは可愛く、華やかに、親しみやすく、にこやかだ。有名俳優も使ってる。“ご返済は計画的に”と必ず可愛い女性がニッコリとほほえんでいる。でも、何事も計画的にやれる人なら手を出さないだろうし、泥沼にははまらないだろう。

消費者金融で借りれない人はヤミ金、090金融に流れて行く。そして、彼らのターゲットは多重債務者や自己破産者達と言う。

新聞やTVや雑誌などで、サラ金からの借金はどんなに悲惨な最期を迎えるかを山ほど伝えているのに、どうして借りる人が絶えないのだろう。ちょっとだけだから、自分だけは大丈夫だと、このぐらいすぐに返せるからと最初は思うのだろうか。

私自身、田舎の農家の貧しい家に生まれた。子供の頃は回りも同じような生活だった。他の世界を知らなかったので貧乏とは思わないで遊んでいた。今の生活から思えば、あんな時代があったのが不思議な気がするが。

欲しいものはお金を貯めてから買うものと、思っていた。そして、身体の芯まで、それが染み付いているように思う。今でも、基本的に溜めてから買う習慣が身に付いている。クレジットカードも持っているが、あまり使ったことが無い。そのように躾けられたせいか、罪悪感を感ずるのだ。さすがに、家はローンで、つまり金融機関に借金をした。でも、借金がイヤでイヤで必死に働いて返した。

そう、借金は返さなくてはいけないのだ。クレジットは忘れた頃に銀行から引かれる。ローンと言えば軽いけど、借金は借金だ。やっぱり、私には品物やサービスは現金との引き換えがいい。


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