今日の更新は12月7日鎌倉観光その2です。時系列は2つ下の「鎌足稲荷社」~「杉本寺」~「鎌倉宮」。順番間違えちゃったよ…。
画像の左下に少し見えている「獅子」の絵柄の絵馬。ピンと来た方もいるかな?
ここは先日11月27日に紹介した大きな獅子頭のある「鎌倉宮」です。11月25日に来た時は青かったモミジの木もだいぶ色づいてます。
境内は無料ですが、背後の護良親王が幽閉されていた土牢や護良親王の首が置かれた所、明治のビッグネームのあれこれが納められている宝物殿を見るには300円の拝観料が必要です。(江ノ島・鎌倉フリーパスを見せると100円割引)この有料区域にモミジの木が沢山あるのを前回気づいてたので、もう色づいたかな~?と、いそいそと回ったら…。モミジは全て青いまま。つーか、色づく気ないだろう?って位。
も、もしかして、ここのモミジは紅葉しない種類なんじゃあ…。
密かに疑う私。
さて由来を少し紹介します。
鎌倉宮は、後醍醐天皇の皇子大塔宮護良親王を祭神として、明治2年(1869年)に建武の中興に尽くしたものの若くして命を奪われた護良親王の遺志を後世に伝えることを望まれた明治天皇が創設した。
護良親王とは、鎌倉幕府討幕運動の中心として活躍。鎌倉幕府は滅亡し、護良親王は元弘3年(1333年)に征夷大将軍となり軍勢を率いて入洛。その後、足利尊氏との対立を深め捕えられた。
護良親王はその後土牢に幽閉された。建武2年(1335)に殺害。首は薮に捨てられた。その首を葬ったのは明治始めに廃寺となった理智光寺。墓は現在宮内庁の管理。
毎年10月に鎌倉宮境内で薪能が開かれる。演目は毎年多彩。
ちなみに、鎌倉の観光地は寺院が多いのでベンチなどはない。散策の途中腰を下ろして休憩出来る場所が少ない。食事や軽食が取れるレストランやカフェはなんでこんな路地の奥にまでと思う程多彩でいくらでもあるが、観光地価格なので懐の寒い昨今には厳しい。だけどここ鎌倉宮には大きな休憩所があるのである。ここを分岐として左へ行けば覚園寺。右へ行けば瑞泉寺。ハイキングコースの天園ハイキングコースの入口にもなるので、休憩所として当てにしてる。ちなみに私たちは時間調整も兼ねてここで昼食。持参のあんパンとか。マフィンとか。お茶とかとか。
画像の左下に少し見えている「獅子」の絵柄の絵馬。ピンと来た方もいるかな?
ここは先日11月27日に紹介した大きな獅子頭のある「鎌倉宮」です。11月25日に来た時は青かったモミジの木もだいぶ色づいてます。
境内は無料ですが、背後の護良親王が幽閉されていた土牢や護良親王の首が置かれた所、明治のビッグネームのあれこれが納められている宝物殿を見るには300円の拝観料が必要です。(江ノ島・鎌倉フリーパスを見せると100円割引)この有料区域にモミジの木が沢山あるのを前回気づいてたので、もう色づいたかな~?と、いそいそと回ったら…。モミジは全て青いまま。つーか、色づく気ないだろう?って位。
も、もしかして、ここのモミジは紅葉しない種類なんじゃあ…。
密かに疑う私。
さて由来を少し紹介します。
鎌倉宮は、後醍醐天皇の皇子大塔宮護良親王を祭神として、明治2年(1869年)に建武の中興に尽くしたものの若くして命を奪われた護良親王の遺志を後世に伝えることを望まれた明治天皇が創設した。
護良親王とは、鎌倉幕府討幕運動の中心として活躍。鎌倉幕府は滅亡し、護良親王は元弘3年(1333年)に征夷大将軍となり軍勢を率いて入洛。その後、足利尊氏との対立を深め捕えられた。
護良親王はその後土牢に幽閉された。建武2年(1335)に殺害。首は薮に捨てられた。その首を葬ったのは明治始めに廃寺となった理智光寺。墓は現在宮内庁の管理。
毎年10月に鎌倉宮境内で薪能が開かれる。演目は毎年多彩。
ちなみに、鎌倉の観光地は寺院が多いのでベンチなどはない。散策の途中腰を下ろして休憩出来る場所が少ない。食事や軽食が取れるレストランやカフェはなんでこんな路地の奥にまでと思う程多彩でいくらでもあるが、観光地価格なので懐の寒い昨今には厳しい。だけどここ鎌倉宮には大きな休憩所があるのである。ここを分岐として左へ行けば覚園寺。右へ行けば瑞泉寺。ハイキングコースの天園ハイキングコースの入口にもなるので、休憩所として当てにしてる。ちなみに私たちは時間調整も兼ねてここで昼食。持参のあんパンとか。マフィンとか。お茶とかとか。