あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

ここを作ったのは明治天皇

2008年12月10日 04時39分44秒 | 鎌倉
今日の更新は12月7日鎌倉観光その2です。時系列は2つ下の「鎌足稲荷社」~「杉本寺」~「鎌倉宮」。順番間違えちゃったよ…。

画像の左下に少し見えている「獅子」の絵柄の絵馬。ピンと来た方もいるかな?
ここは先日11月27日に紹介した大きな獅子頭のある「鎌倉宮」です。11月25日に来た時は青かったモミジの木もだいぶ色づいてます。
境内は無料ですが、背後の護良親王が幽閉されていた土牢や護良親王の首が置かれた所、明治のビッグネームのあれこれが納められている宝物殿を見るには300円の拝観料が必要です。(江ノ島・鎌倉フリーパスを見せると100円割引)この有料区域にモミジの木が沢山あるのを前回気づいてたので、もう色づいたかな~?と、いそいそと回ったら…。モミジは全て青いまま。つーか、色づく気ないだろう?って位。
も、もしかして、ここのモミジは紅葉しない種類なんじゃあ…。
密かに疑う私。

さて由来を少し紹介します。
鎌倉宮は、後醍醐天皇の皇子大塔宮護良親王を祭神として、明治2年(1869年)に建武の中興に尽くしたものの若くして命を奪われた護良親王の遺志を後世に伝えることを望まれた明治天皇が創設した。
護良親王とは、鎌倉幕府討幕運動の中心として活躍。鎌倉幕府は滅亡し、護良親王は元弘3年(1333年)に征夷大将軍となり軍勢を率いて入洛。その後、足利尊氏との対立を深め捕えられた。
護良親王はその後土牢に幽閉された。建武2年(1335)に殺害。首は薮に捨てられた。その首を葬ったのは明治始めに廃寺となった理智光寺。墓は現在宮内庁の管理。

毎年10月に鎌倉宮境内で薪能が開かれる。演目は毎年多彩。

ちなみに、鎌倉の観光地は寺院が多いのでベンチなどはない。散策の途中腰を下ろして休憩出来る場所が少ない。食事や軽食が取れるレストランやカフェはなんでこんな路地の奥にまでと思う程多彩でいくらでもあるが、観光地価格なので懐の寒い昨今には厳しい。だけどここ鎌倉宮には大きな休憩所があるのである。ここを分岐として左へ行けば覚園寺。右へ行けば瑞泉寺。ハイキングコースの天園ハイキングコースの入口にもなるので、休憩所として当てにしてる。ちなみに私たちは時間調整も兼ねてここで昼食。持参のあんパンとか。マフィンとか。お茶とかとか。


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鎌倉で一番古い

2008年12月10日 04時28分31秒 | 鎌倉
「杉本寺」には登れない階段がある。
すり減って苔むして、時代を帯びて実に絵になる。水彩画か日本画がしっくりくるいい階段だ。紹介しようと写真も写して来たのに、光が強すぎて影の部分は真っ黒!
……まるで、沙漠か高山で写真を撮った時みたいだ。ここは日本?ううっ。
仕方がないので茅葺き屋根の本堂の画像を選びます。

ここの歴史はとっても古い。
天平3年(731年)行基が自ら彫刻した十一面観音像を安置し、その後光明皇后の恩召により行基が本堂を開創した鎌倉で一番古い寺。だから鎌倉にあって天台宗のお寺。珍しい。
文治5年(1189年)11月23日火災が起ったが本尊3体が大杉の下で火を避けられたので杉の本の観音と今日まで呼ばれたと『吾妻鏡』は伝えている。
建久2年(1191年)源頼朝が以前の3尊を内陣に安置し、別に十一面観音像を寄進して再建。
マニア魂から言うと、ここの山門の仁王像はハンサムくんです。お顔を見てると嬉しくなる。(私だけ?)
あと本堂の茅葺きの外見も風情があって良いのですが、本堂の中の雰囲気もなんか良い。昔話に出てくる和尚さんとか映画のセットみたいで鎌倉の格調重視の寺とは全然違う。ぜひお参りしてみて下さい。
場所は「浄妙寺」から金沢街道を鎌倉駅方面に戻り徒歩6分。「十一面杉本観音」の旗が翻っている所。階段を上って下さい。
拝観料200円
拝観時間8:00-16:30

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「鎌倉」の地名の由来の場所はここ。

2008年12月10日 04時22分01秒 | 鎌倉
昨日の記事の「浄妙寺」にある神社です。
階段の上に綺麗なモミジが見えたので登ったらあった。
画像より綺麗な写真が一杯撮れた。でも光が強すぎて、日陰は真っ黒な写真になったので、3番目に綺麗な写真を選んだ。
ふ、不本意…

上の画像は「鎌足稲荷社」です。もちろんそんな言われある歴史の場所とは露知らず…。
面白い由来を見つけました。
『鎌槍伝説…その昔、大化の改新で活躍した藤原鎌足が、鹿島神社に参詣する際、鎌倉に立ち寄った。夢に現れた老人から「鎌槍をこの地に埋めれば、天下はよく治まる」といわれ、白狐に案内されるまま浄妙寺の裏山に鎌槍を埋めたという。この「鎌槍」から「鎌倉」という地名が生まれたという』
それが上の画像の社のある場所。
かつては浄妙寺の四方を守るように4つの神社があった。現存するのは3つ。南が欠けている。「鎌足稲荷社」は浄妙寺の境内の左手にある。モミジの木が数本あるので今の時期はそれを目印にするとよい。
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