あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

豪徳寺はどこもフォトジェニック

2008年12月01日 06時12分56秒 | 歴史散歩
猫三昧して満足~
境内をぶらぶら歩く。どこもフォトジェニック!
ふと視線の奥になにやら看板があるのに気づく。
ふらふらと誘われるように近づくと…。

な、なんでこんなものがここに~~~~!!!!!!
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井伊家墓所全体図

2008年12月01日 06時06分38秒 | 墓所巡り
な、なんでこんな所に??
彦根にあるんじゃないの??

Wikiで調べました。豪徳寺…起源と歴史より「寛永10年(1633)彦根藩主伊井直孝が伊井氏の菩提寺として伽藍を創建し整備した。寺院名は直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」による」

つまり、豪徳寺のお寺の名前自体伊井家に由来してたのです。

そのままWikiを読み進めますと、招き猫伝説…「伊井直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、後に伊井家菩提所としたという」
だから招き猫なのか~。納得!
あれ??でもそしたらもしかしてコレは「ひこにゃん」の由来なの?

Wikiでひこにゃんを調べる。
なぜ「ネコ」か…「江戸郊外武蔵の国世田谷村の豪徳寺で彦根はん代藩主の伊井直孝が、にわか雨にあって大木の下で雨宿りをした際に、手招きする白描を見て近寄った所、その大木に落雷があった。直孝はこのネコに感謝し、後に豪徳寺を伊井氏の菩提所とした。この白描伝説(いわゆる招き猫発祥伝説)から決定された」
とありました…。び、微妙に違ってるとこもあるけど?
でも、そうなのね。この由来があったからひこにゃんで白いのね。
友人がひこにゃんにハマって本まで自費出版したけど、私、まだ本物のひこにゃんを見た事なかったけど。まさか、発祥地を私が先に見ることになるとは…。しかもうっかりだ!!!
な、なんかヘンな電波受信してないだろうな、私…。

ところで、この豪徳寺はまるっきり商売する気がないようで。
紅葉を見に結構な数の人が訪れてるのに、売店がないんだよ。つーか、お寺のお守りとか招き猫を売ってる所がない。
そんなはずは…。
と探したら、奥まった所にありました。でも照明がついてません。覗き込んだけど、誰もいない感じ。
ヤル気がないのか、それとも檀家がリッチでお布施に不自由してないのか…。

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井伊直弼のお墓

2008年12月01日 06時03分37秒 | 墓所巡り
歴史上有名な1860年の桜田門外の変(安政7年3月)で暗殺された大老井伊直弼のお墓です。
直弼の遺体もここに埋葬されたそうです。
ちなみに井伊直弼のお墓は東京都の史跡に指定されてます。
彦根藩主伊井家墓所全体は国指定史跡です。
墓所の北側の一角には、早世した伊井家子息子女らの墓石に混じって、江戸で亡くなった藩士の墓もある。
直弼、藩士や藩民にはいい藩主だったのかもね。今でもちゃんとお花が供えられてる。安政の大獄とか強引な政策を取った人ってイメージが強すぎたかな~?
そのへんどうなの?彦根のお城に行ったことのある人のご意見を聞きたいわ~。
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井伊家の墓所近景

2008年12月01日 06時01分26秒 | 墓所巡り
井伊直弼の墓から。
手前から11代道中正室の墓。
2つ目は12代直亮の正室の墓。
一つ置いて、4つ目が5代目直通正室。
一つ置いて、6つ目が7代直惟正室の墓。

Wikiで彦根藩を調べると、歴代藩主の名前もズラズラっと出て来ます。でも豪徳寺の敷地に立っている看板となぜか微妙に●代目と書かれてあるのと名前がズレてるのね。どちらを取るか考えましたが、豪徳寺にあるお墓の紹介なので、Wikiではなく豪徳寺の看板を選択しました。
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