今日の更新は円覚寺の3回目。ラストです。
12月12日の記事で源頼朝のお墓を紹介しました。
上の画像は北条一族のお墓です。
八代執権北条時宗の廟所。子の九代執権貞時、孫の14代執権高時も合葬されています。
ここを拝観するには円覚寺の入口で支払った拝観料とは別にまた拝観料が必要です。
拝観料100円。
円覚寺には18ケ寺の塔頭(支院)があって、これらは別々のお寺なので、無料公開。非公開。有料公開など、それどれに運営されています。
上の画像は「開基廟」で「佛日庵」と呼ばれています。
廟所とは石碑を建ててその上に木像を祀るお堂を建てたものが正式のお墓で、国に特に業績のあった人にのみ許されたものです。
お堂の下には祀られている北条一族3名の遺骨が納められた石棺があると伝えられています。上にお堂がある限り、確認出来ないそうです。
拝観料を払うと煙の上る線香を1本渡されます。それを大きな線香立てに納め、お堂にお参りすると、中に僧形の男性座像が3体安置されているのが伺い見えます。
すっかり忘れていましたが、そもそも円覚寺はおよそ700年前の蒙古襲来として歴史上有名な文永・弘安の役という空前の国難を迎え、時の執権北条時宗が禅に帰依し、中国から招いた無学祖元を師として作ったお寺です。
蒙古の大群が去った後、二度の戦いで亡くなった両軍の戦没者を弔うことが建立の目的です。
円覚寺建立の2年後に時宗は1284年4月4日に死亡。開基廟はその後作られてますが、上の画像のお堂は江戸時代1811年に改築されたものです。
鎌倉にあるお寺は、蒙古襲来に端を発する寺も多いので、寺を訪問したら由来にも次いでに目を通すとよいですよ。
昔は今よりずっと、災難除けには仏に祈る習慣があったんですね。つーか、それくらいしか出来なかったみたいだなあ。
12月11日の記事で「色とりどりのモミジの綺麗な寺」として、観光の穴場、覚園寺を紹介しましたね。あそこはお寺の境内案内ツアーに参加しないと中に入れない。写真撮影禁止のお寺でした。でも覚園寺にある薬師堂は建物も仏様もそりゃあ立派で、一見の価値がある。でも昔の薬師堂はそもそも病除けとか、病治癒の願掛けの場所だったそうです。つきものの、触れば病が直る仏様もあって、それは触ってもいい仏様だったので、私はもちろん仏様の左足をなでさすってきましたよ。
現代人のは気休めみたいなものですが、現代のような薬とか外科治療とかなかった昔は、庶民、武家を問わず本気で薬師如来に祈願してたんでしょうね。お寺を回ると歴史の本で学ぶよりずっと勉強になることがまだまだあるなあ~。
私の姪っ娘は日本の歴史の勉強が大の苦手で受験で苦労してましたが、こういう歴史の舞台を見るのは大事よ?
歴史の勉強は覚えることが基本だけど、のべつまくなし、丸覚えするのは辛い。それも嫌いな科目なら嫌さが増す。どうせなら楽しんでやらなきゃ。
まっ、受験が切羽詰まってからそれを言っても無駄なんだが。
受験が始まるせめて1~2年前までに、世のお父さんお母さんは歴史の現場を子どもに見せて回るのをお勧めします。
するとなぜそういう戦いが起ったのか?とか、なぜ○○氏と●●氏は敵味方に別れたのか?とか、宗教はどうだった?食料事情は?何月に戦があったのはどういう理由か?など、無理して覚えなくともすんなり理解出来ることもある。
一つ謎が解けると、後はその法則に当てはめると回答が導き出されることも多い。
人間なんでバカだから、大概歴史はその繰り返しなのよ。
歴史の教科書全てを丸覚えなんか出来るかっ!
覚えなきゃならないものと、法則に当てはめるだけのものを分けるんだよ。それが歴史の勉強の極意さ。
歴史にはイレギュラーもあるからね。大概それが変革なんだけど。革命とかルネッサンスとか宗教改革とか後々大きな流れを作るあけぼの的なもの。
歴史は物事を分類して時系列に並べるのよ。枝葉と根幹を見極めるのよ。
って、去年のお正月に日本史、世界史の勉強で泣きそうになっていた姪には切羽詰まった時期には遅過ぎて、寝言にしか聞こえない助言だなあ。
なんか話がだらだらと流れまくりだなあ。やっぱ今日はまだ昨日の疲れが抜けてない模様。
昨日は都内に終日出かけてたのだ。
期間限定情報もゲットしたので早めにお知らせするつもり。
12月12日の記事で源頼朝のお墓を紹介しました。
上の画像は北条一族のお墓です。
八代執権北条時宗の廟所。子の九代執権貞時、孫の14代執権高時も合葬されています。
ここを拝観するには円覚寺の入口で支払った拝観料とは別にまた拝観料が必要です。
拝観料100円。
円覚寺には18ケ寺の塔頭(支院)があって、これらは別々のお寺なので、無料公開。非公開。有料公開など、それどれに運営されています。
上の画像は「開基廟」で「佛日庵」と呼ばれています。
廟所とは石碑を建ててその上に木像を祀るお堂を建てたものが正式のお墓で、国に特に業績のあった人にのみ許されたものです。
お堂の下には祀られている北条一族3名の遺骨が納められた石棺があると伝えられています。上にお堂がある限り、確認出来ないそうです。
拝観料を払うと煙の上る線香を1本渡されます。それを大きな線香立てに納め、お堂にお参りすると、中に僧形の男性座像が3体安置されているのが伺い見えます。
すっかり忘れていましたが、そもそも円覚寺はおよそ700年前の蒙古襲来として歴史上有名な文永・弘安の役という空前の国難を迎え、時の執権北条時宗が禅に帰依し、中国から招いた無学祖元を師として作ったお寺です。
蒙古の大群が去った後、二度の戦いで亡くなった両軍の戦没者を弔うことが建立の目的です。
円覚寺建立の2年後に時宗は1284年4月4日に死亡。開基廟はその後作られてますが、上の画像のお堂は江戸時代1811年に改築されたものです。
鎌倉にあるお寺は、蒙古襲来に端を発する寺も多いので、寺を訪問したら由来にも次いでに目を通すとよいですよ。
昔は今よりずっと、災難除けには仏に祈る習慣があったんですね。つーか、それくらいしか出来なかったみたいだなあ。
12月11日の記事で「色とりどりのモミジの綺麗な寺」として、観光の穴場、覚園寺を紹介しましたね。あそこはお寺の境内案内ツアーに参加しないと中に入れない。写真撮影禁止のお寺でした。でも覚園寺にある薬師堂は建物も仏様もそりゃあ立派で、一見の価値がある。でも昔の薬師堂はそもそも病除けとか、病治癒の願掛けの場所だったそうです。つきものの、触れば病が直る仏様もあって、それは触ってもいい仏様だったので、私はもちろん仏様の左足をなでさすってきましたよ。
現代人のは気休めみたいなものですが、現代のような薬とか外科治療とかなかった昔は、庶民、武家を問わず本気で薬師如来に祈願してたんでしょうね。お寺を回ると歴史の本で学ぶよりずっと勉強になることがまだまだあるなあ~。
私の姪っ娘は日本の歴史の勉強が大の苦手で受験で苦労してましたが、こういう歴史の舞台を見るのは大事よ?
歴史の勉強は覚えることが基本だけど、のべつまくなし、丸覚えするのは辛い。それも嫌いな科目なら嫌さが増す。どうせなら楽しんでやらなきゃ。
まっ、受験が切羽詰まってからそれを言っても無駄なんだが。
受験が始まるせめて1~2年前までに、世のお父さんお母さんは歴史の現場を子どもに見せて回るのをお勧めします。
するとなぜそういう戦いが起ったのか?とか、なぜ○○氏と●●氏は敵味方に別れたのか?とか、宗教はどうだった?食料事情は?何月に戦があったのはどういう理由か?など、無理して覚えなくともすんなり理解出来ることもある。
一つ謎が解けると、後はその法則に当てはめると回答が導き出されることも多い。
人間なんでバカだから、大概歴史はその繰り返しなのよ。
歴史の教科書全てを丸覚えなんか出来るかっ!
覚えなきゃならないものと、法則に当てはめるだけのものを分けるんだよ。それが歴史の勉強の極意さ。
歴史にはイレギュラーもあるからね。大概それが変革なんだけど。革命とかルネッサンスとか宗教改革とか後々大きな流れを作るあけぼの的なもの。
歴史は物事を分類して時系列に並べるのよ。枝葉と根幹を見極めるのよ。
って、去年のお正月に日本史、世界史の勉強で泣きそうになっていた姪には切羽詰まった時期には遅過ぎて、寝言にしか聞こえない助言だなあ。
なんか話がだらだらと流れまくりだなあ。やっぱ今日はまだ昨日の疲れが抜けてない模様。
昨日は都内に終日出かけてたのだ。
期間限定情報もゲットしたので早めにお知らせするつもり。