あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

井伊家の石灯籠

2008年12月26日 08時15分33秒 | 皇居・丸の内・永田町・九段下
本日の更新は、12月28日の冬コミケ合わせの「ひこにゃん」のコピー誌をまだがんばっているぶめちゃんに「がんばって」のもの。
ひこにゃんにちなみまして、東京の井伊家関連を3つ。
一つ目はかつての井伊家の上屋敷跡に残る、井伊家の石灯籠です。
現・憲政記念館のある公園の一角に残っています。
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桜の井

2008年12月26日 07時41分25秒 | 皇居・丸の内・永田町・九段下
井伊家ゆかりの場所その2
桜の井戸は井伊家の屋敷前にあった江戸の名水。
ぶめちゃんに11月30日のひこにゃんの記事のコメントで「桜の井」のネタを振ってもらったので、早速その場所を調べたのですが、これが確定出来ず…。
でも憲政記念館にあるとは分かったので、現地で調べる!と勇んで出かけたのですが、これが難航しまして…。
憲政記念館で聞けばいいやと踏んでたのですが、有楽町線の桜田門駅で下車。上がってみるとなんか…。
小高い公園を上っても肝心の憲政記念館がどこにあるかわからず、周りは小学校の校外学習の子どもらで一杯。ともかく探し歩いてると、発見が困難と思われた「井伊家の庭にあった石灯籠」の方を先に発見してしまいました。
取りあえず石灯籠をカメラに納め、桜の井の自力発見を諦めた私は知ってそうな人を探すことにしました。
で、石灯籠の正面にはなぜかレストランがありまして、そこで聞こうと店内へ。
「すみませ~ん」
「いらっしゃいませ」
返事したのは小さい岡八郎。吉本新喜劇に出てた奥目の人そっくりのおじさん。
「ちょっとお伺いしたいのですが…」
そう言うと、このチビの岡八郎はすんごく愛想が悪くなりまして、そりゃもうかまわないのですが、
「このあたりがかつて井伊のお殿様の屋敷だった頃、「桜の井」と呼ばれた井戸がまだあると聞いたんですが、どこにあるか教えて下さい」
と丁寧に頼んだ私。しか~し、その男は露骨に(ちっ、客じゃねえのかよっ)という表情になり、まるで野良犬でも追い払うように
「坂を下りて!」
と吐き捨てたんですよ。
それじゃわかるかっ!と思いましたが、さすがにこの男にこれ以上ものを尋ねる気は失せレストランを跡にしました。
確かに私は客じゃないけど、接客も仕事のうちのレストラン。しかも支配人でこれでいいのか?
まあ場所がら常連客は国会議員の先生方か警察庁に勤務している人あたりでしょうが、偉いのはお前じゃない。
ちなみにこのレストランはリーズナブルです。メニューが見えたからね。確かカレーが800円くらいだったような。
私だって、高級フレンチレストランでこういう対応されてもむかっ腹立てたりしないよ。でもさあ~、ここは見た目は公園の一角にある普通のレストランって感じだったんだよ?そこでこういう対応されるとは思わないじゃないか!
この日のお散歩は出だしからむっかり!しつつ、他に知ってそうな人を探し直しました。
と、公園の落ち葉を掃いている職員さんを発見。
尋ね直すと、丁寧に対応してもらい好感触。
結局憲政記念館&公園の中ではなく、桜の井の跡は公園の外。皇居のお堀に面した道路の側に残ってました。
上の画像からは読み取れないでしょうが、由来の石碑なども。
奥に立っているのは「井伊掃部邸跡(前加藤清正邸)」と書いてあります。併せて『この公園一帯は、江戸時代初期には肥後熊本藩主加藤清正の屋敷でした。加藤藩は二代忠広の時に改易され、屋敷も没収されました。
その後、近江彦根藩主井伊家が屋敷を拝領し、上屋敷として明治維新まで利用しています。(歴代当主は、掃部頭を称しました)
幕末の大老井伊直弼は、万延元年(1860年)3月に、この屋敷から外桜田門へ向かう途中、水戸藩士等に襲撃されました』と書かれてあります。
ちなみに熊本藩の下屋敷も近江彦根藩に与えられてまして、これは現在の明治神宮の一角となってます。だから明治神宮には加藤清正の井戸という名前が残ってるんだね。ちなみに、明治神宮が東京の有名なパワースポットという記事を11月26日に書きましたが、そこをさらに絞り込みますと、この加藤清正の井戸の周辺の力が強いポイントらしいです。感心のある人はぜひ。
それと、現在残っている桜の井は実はニセモノだって知ってます?
ここは昭和43年に道路工事の為、もとの場所から10メートル離れた現在地に移設復元されたのだそうです。
由緒ある井戸の形だけを移設することに意味はあるのか?
国会議事堂の近くだからあえて形だけでも残したのか?
謎の思考だなあ。
コメント (1)
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桜田門

2008年12月26日 05時57分41秒 | お城&御所
井伊家所縁のものその3
いや、これを井伊家ゆかりと言い切っていいものかどうか?と異論もありましょうが、この場所で有名なのは「桜田門外の変」ではなかろうかと。
時の大老井伊直弼は、登城の途中で水戸浪士達にこの門の外で暗殺されました。
彦根藩井伊家の上屋敷跡の現・憲政記念館からは目と鼻の先です。
江戸城の入口の桜田門から井伊家のお屋敷までの距離の方が、桜田門に入ってからお城の中の勤め先の建物より近いです。
ん~~???
昔、毎日江戸城に日参していた役人って、どこで籠を下りてたのかな~?
今、自由に参観出来るのは「東御苑と北の丸公園」だけ。東御苑には皇居が江戸城だった頃の建物や遺構が残ってます。

ところで「相棒」でたまに警視庁の空撮が映ることがありますよね。なにげなくいつも見てたのですが、憲政記念館から徒歩で日比谷公園へ向かい、桜田門から二重橋経由で東御苑へ向かったのです。自分の足で歩いてみると、警視庁はこの桜田門の向かいに立ってるんだとわかりました。ついでに言うと、警視庁の隣の道の奥が国会議事堂なのね。
警察の桜の代紋ってここから来てるの?
浅見光彦シリーズで、刑事局長の兄さんと光彦が日比谷公園で会談するシーンが多い訳も納得。警視庁の近所だったのね。
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