あられの日記

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その41)満鉄総裁室公開

2010年08月06日 04時32分15秒 | 旅順・大連旅行記
2007年、旧満鉄が大連に本社を移して100年が経ちました。それを記念してこれまで非公開だった「満鉄総裁室」が公開されました。合わせて総裁室のある旧満鉄本社2階に「満鉄旧址陳列館」がオープン。満鉄の歴史を知るパネルや当時使われていた食器や腕章などが展示されています。ってなことで「満鉄本社総裁室を見たい~~」と、路面電車で行きました。

路面電車の故障で予定より遅れて9時30分に到着。…なんだかヤバい?だって予定では(10時15分にホテルに戻る)となってるからね。

建物は現在大連鉄道局として使用されています。上の画像の看板の裏には、社屋の歴史が書かれてます。つい最近までここに満鉄のロゴマークがついたマンホールがあったのですが、歴史的価値を認められマンホールは現在どこかの博物館に納まってるそうです。

トップ画像の右端に写っている建物に旧満鉄総裁室の入ってます。
入口の向こうにはどこかの美術館のような内装。

階段を上がると陳列館到着。

残念ながらここから先は撮影禁止。
陳列館を案内してくれるのは日本語ぺらぺらの係の人。やって来るのを待つ間、立ち入り禁止先の廊下を撮影したり。

陳列館は入場料70元。これは旅行代金に入ってないので一人一人徴収して添乗員さんが切符をまとめて買って来てくれます。

陳列館は撮影禁止なので、下の画像はパンフレットから抜粋。
 
陳列館を見た後は秘書室へ。そして総裁室へ。
画像奥が秘書室になります。
同じく撮影禁止だったのでパンフレットより満鉄総裁の机。
画像の机には置いてませんが、実際は黒い旧式の電話が2つありました。なんかねえダイヤルがない。電話機にぐるぐる回すハンドルがついてました。
あと、画像左奥にある棚には天目茶碗と嗅ぎ煙草の壜等が納められてました。満鉄が配ったもののうち、出来のいいのを納めてあるそうで。

説明を聞きながら総裁室の開いていた窓からの眺めです。満鉄9代総裁もこの風景をこの窓から眺めたりしたんですね。
画面の左右に続く奥のアンティークな建物は全て旧満鉄の本社建物です。

ガラスの反射で分かりにくいですが、かつての満鉄の建物です。

陳列館には売店が併設されています。
時間がなくて買い物出来なかった~~。敗因は路面電車が故障してなかなか来なかったから!つくづく自力で来るべきでした。密かに楽しみにしていた満鉄グッズを目の前にしつつ何一つ購入出来なかったんです
この後のスケジュールは10時30分にスーツケースを部屋の外へ。
11時にロビー集合&出発。帰国。ですが、満鉄を出た時点で既に10時10分だったんですっ!もちろん私はスーツケースは既に部屋の外に出して来ましたが、中途半端に時間があるのって困る~。それになんだか頭痛いし~~



と・こ・ろ・で…。満鉄の説明いります?今更な気もしますが、サクッと簡単に。
日露戦争終結の翌年の1906年(明治39年)に設立され、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終結まで満州(中国東北部)に存在した日本の特殊会社です。
鉄道事業を中心とするが、主要株主が大日本帝国政府(50%)だったことから当時の政府の政策と深い関係がありました。本社は大連ですが、1932年に満州帝国が建国された後は新京特別市に本部が置かれた。最盛期には80余りの関連企業があった。

コメント
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