ほどなく、バスが止まったのはロシア風情街。
かつて中国東北部を満州と呼んでいた時代、在留邦人は児玉町と名付けられた一角を露西亜町と呼んでいた。この辺りは今「我羅斯風情街」と呼ばれている。露西亜(日本語)も我羅斯(中国語)も、ともにロシアを意味する。
バスが止まったのはトップ画像の建物の脇。
この建物はロシアが設立した東清鉄道汽船の事務所が置かれていた建物で、後に日本が接収。現在は東方適し芸術博物館となってます。もっとも建物は当時のものじゃなく最近当時のままに復刻立て直したらしいです。

トップ画像の建物の左側には、中国国内で作られたと思われる、我羅斯土産物屋さんが軒を連ねています。

ロシアと言えば、マトリョーシカなのでしょうか?

大連は海に近く、海産物の土産物屋さんも。

入らなかったけど、この建物も1階は土産物屋さんが数件入ってました。

今やすっかり一角は観光地となってますが、よ~く見ると歴史に彩られた建物がちらほら。

かつて中国東北部を満州と呼んでいた時代、在留邦人は児玉町と名付けられた一角を露西亜町と呼んでいた。この辺りは今「我羅斯風情街」と呼ばれている。露西亜(日本語)も我羅斯(中国語)も、ともにロシアを意味する。
バスが止まったのはトップ画像の建物の脇。
この建物はロシアが設立した東清鉄道汽船の事務所が置かれていた建物で、後に日本が接収。現在は東方適し芸術博物館となってます。もっとも建物は当時のものじゃなく最近当時のままに復刻立て直したらしいです。

トップ画像の建物の左側には、中国国内で作られたと思われる、我羅斯土産物屋さんが軒を連ねています。

ロシアと言えば、マトリョーシカなのでしょうか?

大連は海に近く、海産物の土産物屋さんも。

入らなかったけど、この建物も1階は土産物屋さんが数件入ってました。


今やすっかり一角は観光地となってますが、よ~く見ると歴史に彩られた建物がちらほら。
