あられの日記

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その23)大谷コレクション

2010年08月24日 05時08分44秒 | 旅順・大連旅行記
17時にホテル5階の会議室に添乗員がツアー客を集めたのは「大谷コレクション」について講義開催の為。
ちなみに自由参加でした。でも大谷コレクションの話は興味ある。この添乗員の歴史オタク疑惑もあったし…。歴史好きならこだわりの話も聞けるやもしれん…。と、少し期待して参加しました。
大谷コレクションは前出の記事で少々説明しましたが、ざっくり書くと、京都の浄土真宗本願寺派の宗主大谷光瑞が中心となって仏教が伝来した道筋を探す旅で発見した数々の発見・発掘物のこと。
それが現在「幻のコレクション」と異名を持つのは、コレクションが国をまたいで散逸したから。
散逸した理由はズバリ大谷家の資金難。…財政難でコレクションをお金に代えた結果、現在日本中国韓国とあちこちに散らばったのです。
でも、大谷光瑞の生きた時代と近代史を照らし合わせるとなんか、凄いです。
説明行きます。興味なかったら、後ろの方へスクロースして下さい。夕飯ネタが載ってます。
『大谷光瑞(こうずい)は1876年(明治9)に第21世法主大谷光尊の長男として誕生。貞明皇后の姉、九条筹子(かずこ)と結婚。
1902年(明治35)、教団活動の一環として西域探検としてインドに渡り、仏蹟の発掘調査に当った。
探検の目的は大乗仏教の伝播の道筋を調べる為。
1903年1月、ビハール州ラージギル郊外で長らく謎の地の山であった釈迦ゆかりの霊鷲山を発見。
またマガタ国(お釈迦様の国)の首都を特定。
同年1月、父光尊死去し、法主を継ぐ為帰国。探検・調査は1904年まで続けられた。これがいわゆる大谷探検隊(第一次)である。ちなみに1904年は日露戦争攻防の年。
探検隊は途中で西域南道と雲南ルートの二手に分かれた。雲南で建築家の伊東忠太と出合った縁で、築地本願寺は彼が設計した。
法主継職後も探検を続行し、第二次探検隊は1908-1909年。(光瑞は不参加)
橘瑞超はロプノールへ。アスターナでミイラを発見(旅順博物館に展示してあるもの)。
第3次探検隊は1910-1914年(光瑞不参加)
橘瑞超はトルファン、ローラン、敦煌へ。
1914年まで計3回発掘調査は実施された。ただし、大谷光瑞の参加した探検は第1次のみ。
彼は教団の近代化に努め、日露戦争には多数の従軍布教使を派遣。海外伝動も積極的に進めた。
(かつて旅順には本願寺派のお寺がありました。場所は白玉山の南側。黄河路、旅順駅の東側あたり)
1913年には1911年に辛亥革命で中国の近代の幕開けを興した孫文と会見。これを機に孫文が率いていた中華民国政府の最高顧問に就任。
1908年、神戸六甲山麓岡本(東灘区)に、二楽荘を建て、探検蒐集品の公開展示・整理の他、学校(現在の甲南大学理学部)、園芸試験場、測候所、印刷所などを設置。
1914年、大谷家が抱えていた巨額の負債、教団の疑獄事件で法主を辞任。大連に隠退した。二楽荘と探検蒐集品もこの時手放している。(二楽荘は1932年に焼失)
隠退後も文化活動を続け、1919年には仏典原典(梵字で記述)の翻訳にあたり、1921年には上海に次代を担う人材育成の書院を開校した。
太平洋戦争中は近衛文麿内閣で参議、小磯国昭・米内光政内閣で顧問をつとめた。
終戦の年、1945年ガンに倒れ、入院中にソ連軍に抑留。1947年帰国。翌年12月、別府にて死去。72才』
波瀾万丈ですね…。
ところで、西域探検と言えば有名人いますよね。
フランスのペリエ(彼は中国語がペラペラだったので、いいものを持ち帰れた。現在はパリのギメ美術館にある)イギリスのヘディン。ロシアの…え~と誰だっけ?ブルジェンスキー?違ったか??量的に一番多く持ち帰ったのはスタインだったそうで。
20世紀初頭といえば列強が探検隊をこぞって送っていたのです。イギリスはインドが植民地だから南から。ロシアは南下政策をとってたから北から。真ん中に挟まれた中央アジアは一種緩衝地帯でありました。そこへ出かけていった大谷光瑞ですが、めぼしい発掘は既に持ち去られた後でもあります。有名なのは大英博物館に納まってますね。
さて、ここに激動の20世紀初頭の政治と戦争を併記すると、すんごいことになります。
この辺で、大谷コレクションの講義は45分で終了。
ほどなく18時。夕食へ。
バスに乗り込みほどなく、到着したのは新紀元大酒店。旅順の軍港に面した3つ星ホテルの中のレストランです。
料理の味付けは農家料理がベース。海の側なので、海鮮を豊富に使ったメニューです。

こちらでも青島ビール20元。ジュース10元。
でも…。味はともかく、どうも席の選択をミスりました。冷房の風が首筋に直撃する~~。
ヤバい~~。ぞくぞくしてきたよ~。
ええ…。おそらくこれが敗因ですね。案の定、翌朝には体調に異変が生じていました~…。
やっちまったぜ…。
20時30分、夕食を終えレストランを出ると、夕焼け空が。7月6日。一年で一番昼間が長い季節の夜は遅いです。
コメント
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