あられの日記

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その18)旧高等裁判所

2010年08月29日 04時53分03秒 | 旅順・大連旅行記
明治42年ハルピン駅で暗殺された伊藤博文。犯人は安重根。
1910年に安重根の裁判が行われたのがここ「旧高等法院」です。
トップ画像の左手に史料陳列室があります。

陳列室を出ると通路。

上の画像の右手前にある2つのアーチは2階にある大法廷へ登る階段です。

階段は2つありまして、左側は被告用。右側は傍聴人用。
通路奥に小法廷があります。
小法廷の隣の部屋に馬車が。

この馬車は被告人が監獄から裁判を受ける時に移動する時に使用されました。馬車の隣にはこんなものも。

被告人にかぶされた目隠しです。
2階へ移動。

安重根はこちらで裁判を受けました。ちなみに審議は6回。
安重根は朝鮮の法律で裁判を受けることを望みましたが、日本の植民地での犯罪なので日本の法律で裁かれたそうです。
法廷の壁にはこんな史料も。

え~、どの部屋の画像かわからなくなりました。おそらく裁判官の部屋。

1階へ移動。
あったのはおぞましい拷問器具の数々。

ガイドさんが使い方とか軽く説明してくれましたが、人間ってどんだけ壊れたらこれを生きた人間に使用出来るんでしょうか?拷問を受けた後に息があると思えない…。
あ。
ここは裁判所なので、ここで拷問してたかどうかは疑問です。やるなら監獄だと思うのよね。
ちなみに、伊藤博文を暗殺した安重根は韓国では英雄です。だからこの旧高等法院は朝鮮民族にとってはいわゆる聖地なのです。
ついでに建物の変遷を書きますと、ロシア植民地時代には将校集合所でした。
1906年に関東都督府所轄の高等裁判所となり、地方裁判所の審判に異議のある訴訟について最終審議を行う。
1919年、関東都督府は関東庁に改称。1945年にソ連軍に引き継がれた。
1947年以後、関東公暑、旅順口人民病院に。
13時20分、バスに乗り込み移動。
着いたのは「旅順日露監獄」旧址。

残念ながら外観を道路から臨むのみ。ま、ツアーですから仕方ないですね。画像ではわかりにくいですが、ロシアが作った建物の背後には日本が作った広い監獄が広がっています。1907年に完成したこの監獄は、当時中国東北地域最大の監獄でした。ここでは中国共産党員たちが収監されていました。
安重根もこちらに収監、最後は絞首刑になり、敷地の一角に埋められました。
近年、韓国が英雄として安重根の骨の返還を求めているそうですが、埋めた場所が不明なので不可能なんだとか…。
そういえば、何かの史料で安重根は「銃殺」を望んだけど認められず、絞首刑となったそうです。
コメント
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