あられの日記

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その17)2日目の昼食

2010年08月30日 04時13分01秒 | 旅順・大連旅行記
2日目の昼食は「晋元亭食府」にて。

レストランの名物は「刀削麺」、厨房はガラス張りで、料理人が腕をふるうところを見学出来る。
ちなみに、トップ画像の左奥で刀削麺を作ってます。

中華料理を作ってる所を見るのは楽しいですっ
ビールは青島ビール20元。ジュースは10元。でもお茶は食事に無料でついているので、お好みで注文。
旅順・大連のある遼東半島は、渤海を挟んで山東半島の向かいにあって、地理的に近いせいか、ビールと言えば「青島」。旅の全てのレストランで出るビールは青島でした。

メニューはあらかじめ旅行会社から配布されてましたが、どれがなんだかわからない…。ので、わかる範囲でいくつか紹介します。
豆腐料理

白の皮が黒い謎の練り物料理

きのこと豚肉の炒めもの

謎のスープ雑穀のスープです。

きゃべつとトマトのスープです。




12時45分、再びバスに乗り込んで、今度は白玉山の東側へ。こちらは開発が進んでて、高いマンションビルが林立する現代の中国の街です。西側の街並とは全然違います。途中、3つ目の塔がたってます。
ホテル前の勝利塔、旅順博物館前の友誼塔。この東の広場の塔は解放塔。合わせて三塔。
面白い話を聞いた。
ロシアは日露戦争で図らずも租借権利を失った遼東半島。(南下政策とか不凍港とか世界史で出て来ましたよね?ロシアの政策でして、遼東半島はターゲットでした)
だが1945年、日本の敗戦で旅順はソ連の租借地へ戻り、ソ連は旅順に軍を置き開発を再開。つまりソ連は大戦が終り、旅順が再び自分の国の一部となったと思いました。
しかしそれは中国にしたらとても迷惑な話。交渉上手の中国は角がたたないように巧くやりました。
『中国は日本から解放してくれてありがとう。お礼に塔を建ててソ連を讃えます。またソ連と中国は今後も仲良くしましょう。ついては、旅順を返して!』ってな感じで、ソ連としてはしぶしぶ…いや、嫌々中国に返還し引き上げたという経緯がある。
これって、なんかぴったりな四字熟語があったような…。

現代的な街並の旅順の東側にも、かつての植民地時代の建物は少し残ってます。

上の画像は「旧赤十字病院」。ロシア植民地当局が建てた官営総合病院。
1905年から日本植民地当局の赤十字病院。その後40年、改称はあったもののずっと病院。
1945年にはソ連赤軍の航空師団の指揮所。後に中国人民解放軍所属。
こちらはかつて日本統治時代の写真。同じ建物です。

さて、次なる場所は…。高等法院です。
コメント (4)
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