あられの日記

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その28)大谷光瑞住居跡

2010年08月19日 04時40分45秒 | 旅順・大連旅行記
街歩きを終えてホテルに戻ると、何じゃこりゃ~。白山街は小型バスで大渋滞です???
楊さんに尋ねますと、「試験が終った学生達が『蛇類博物館』に遊びに来てるんですよ」
へ…へえ~
中国人の好みっつーか、萌えツボがわからん…。
大谷光瑞は既出の記事「旅順博物館」8月15日と、「大谷コレクション」8月26日で詳しく紹介しましたが、旅順には彼が住んでいた家が現存してるのです。

で、訪問したのですが、これって現存してるって言っていいのか?上の画像のブルーシートに覆われている家が大谷光瑞の家。
ガイドの楊さんは「先日来た時は工事してなかったんですけど~。残念ですねー」って、コレ、残念の範囲超えてるだろう~…。
幸い取り壊しじゃなくて改装のようですが、

二階の床も外されて、階段も途中で途切れてる。
暖炉とか台所の竃の煤痕とか壁に残ってます…。え~と??これってもしや、弥生とか奈良時代の遺跡を発掘した時見つかるのと同じ…。イヤイヤイヤイヤ! ぜひとも黒こげ跡が残る壁をお見せしたい所ですが、画像を撮り忘れました。工事中にお邪魔した外国人の一団に目を白黒させる工事関係者をよそに建物をあちこち。カバーのない場所発見!

ほぼ100年もこの場所に建っている建物ですから、既に何度も修築されたようで、壁がつぎはぎです。
いや、明治の建物の作りがよく分かります。骨組みって言いますが、この時代の建物に鉄骨って存在しないんですね。基本レンガで作られた家です。え~と?遼東半島あたりって地震ないんですかね?
つーか、最近中国のでっかいビルの建設ラッシュで鉄の値段がうなぎ上りってニュースを見ましたが、さもあろうと思います。旅順なんて中国の端っこなのに、市の東側にでっかいビルが何本もにょきにょきと!う~ん…?もしかして、とっくに中国は日本より近代的な都市が多くなってるんじゃあ…?旅順ー大連間は去年移転してきた大連の大学が2つも!これなんか、凄いです。まるで未来都市。そんで敷地は筑波大学。
変わりゆく中国!!
25年前に初訪問した時はどこの街も50年前の日本風味が漂ってましたが、今や東京より未来都市!って感じが漂ってます。まるごと未来都市でなくとも、市の中のどこかの区画は超未来的っていう場所を見て、日本はとっくに中国に発展具合も中国に追い抜かれてるなあという疑問は確信へと変りました。特に沿岸部の街に近くなる程半端でない超開発です。5年以上前に中国を旅した人~~!!情報が既に古いんで見比べるためにもっぺん中国行くべきですよ~~!!
ま、脱線はこれくらいに…。
旅順の東側は30階建てくらいのビルがにょきにょきですが、西側は緑多く明治の建物が多く残っている旅情溢れる街なんですから!

ほらね
大谷光瑞の住居は、旧関東軍司令部や旅順博物館を見下ろすように建ってます。もう、海ー博物館ー司令部ー大谷光瑞住居と一直線!…狙って建てたんですかね?上の画像の右奥の平べったい赤い屋根が旧関東司令本部です。少し分かりにくいんですが、赤い屋根の奥、海に近い所に博物館が写ってます。
あ…。確か楊さんが「神戸に似た坂の街を気に入って家を建てた」って言ってました!夏草がぼうぼうで視界を遮ってますが、上の画像でもそれらの建物が確認出来ます。ついでに、左奥に「勝利塔」や宿泊したホテル・蛇類博物館も写ってます。
しかし、青ビニールカバーに覆われた場所だけ見てもアレなので、工事前の姿を紹介。

上の写真は旅行会社のパンフレットより抜粋。
コメント
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