あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

元気が出る黄色ミモザ

2010年03月16日 12時25分06秒 | 花見散歩
撮影日は3月3日。
場所は相模原市の散歩道です。
携帯電話のカメラのテストへ出かけました。いつもの散歩道に黄色いミモザがいい感じに咲いてました。

黄色い花って元気出る~。

私の場合、春の黄色い花で浮かぶのは菜の花です。でもこれもいいよね。

ミモザは菜の花に先駆けて咲くイメージがあります。…まあ、最近は観光用で1月に咲き出す菜の花もありますが。

青空に見上げて視界が黄色っていい~~

ただ、ミモザって香りはあんまりないのが残念です。

でもこれってミモザが通りいい名前だけど、確か正式には銀葉アカシアって言うんじゃなかったっけ?
や、違ったか??

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藤沢七福神5・6番目

2010年03月16日 06時11分58秒 | マンホールのふた
さて、遊行寺&小栗判官と寄道続きでしたが、藤沢七福神めぐりへ戻ります。
実は遊行寺への道すがら軽く登りだったんですが、この辺りは昔ながらの里山っぽい雰囲気が残ってます。
お墓はメジロの社交場と化してました。
…この辺りで気づけよ自分…。
実はですね、私花粉症患者なのですね。
ハンノキ類の。去年アレルギー科で血液検査をして判明したのですが。
こいつってぱ、1月下旬から3月一杯まで花粉を飛ばしやがるんですよ。
で、2月に入って関東では数回雪が降ったので忘れがちですが、今年の1月は暖かかったんですよ。
っで、ハンノキ類っていわゆる雑木林にある木なんですよ。
…お散歩途中から、鼻水とくしゃみが止まらなくなりました!
きゃい~~~ん
でも、お散歩してる時はそれが、花粉症の症状だと気づかず…。何かヘンだな?と。
さて。
藤沢七福神の続きですね。
5つめは「諏訪神社」です。
トップ画像が諏訪神社です。

スタンプを押して続いて6つめへ。
「感応院」

ここは真言宗のお寺なので、石像は空海です。

お参りしてスタンプ押して終了。
と、ここまではYAHOO!の地図をたよりに歩いて来たのですが、ここから藤沢駅へはどの道が最短コース??
迷ってたら遊行寺橋へ出ました。

分かりにくいですが、中央奥に見える大きな屋根が遊行寺です。だいたい広重の東海道53次の図柄はこの辺りから見た図です。
と、取りあえず分かる場所へ出たので、藤沢駅へ向う。
途中でカラーマンホール発見!これ、藤沢だから「藤」の図柄ですね。
ここでやめておけばいいのに、うっかり万歩計を見てしまいました…。
まさかの2万歩超え!
見るんじゃなかったあぁぁ~。


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小栗判官の墓

2010年03月15日 06時47分51秒 | 墓所巡り
遊行寺の裏に小栗判官のお墓があります。
他にもあります。
ところで、小栗判官と照手姫のお話って知ってますか?
実はこのお話ってバージョンが多彩なんですよ。
おそらく!
もともと庶民受けするお話を、語り継ぐ上で語り手が手を加え創作を重ねた結果何が真実で何が創作だかわからなくなってしまったと思われます。素の話が跡形もないのはヒーロー&ヒロインの名前まで違ったり、お話の舞台の場所すら違う辺りにも伺われます。
さて…。
ここは一つ。
WIKIに書かれているお話を紹介しますね。
『1415年、上杉禅秀が関東において乱を起こした際、満重(小栗判官自身)は管領足利持氏に攻め落とされ、落ち延びる。その途上、相模の国に10人の家来とともに潜伏中に、相模横山家(横山大膳)の娘、照手姫を見初め、結婚の約束をかわす。
横山は、旅人を殺し金品を奪う盗賊であった。照手姫は本来上皇や法皇の御所をまもる武士である北面の武士の子であったが、早くに父母に死に別れ、理由あって横山大膳に仕えていた。
小栗の行為に怒った横山親子は、小栗を人食い馬と言われる荒馬「鬼鹿毛(おにかげ)」に乗せかみ殺させようと企てるなど、さまざまな計略を練るものの失敗。
しかしついには権現堂にて酒に毒を盛り、家来もろとも殺してしまう。横山は小栗の財宝を奪い、手下に命じて小栗と家来11人の屍を上野原に捨てさせる。
この事実を知った照手姫は密かに横山の屋敷を抜け出すが、不義の罪により相模川に沈められかける。
危ういところを金沢六浦の漁師によって助けられるも、漁師の女房に美しさを妬まれてさまざまな虐待を受け、最後には六浦浜で人買いの手に売り飛ばされてしまう。姫は売られては移り、移っては売られて各地を転々とするが、最後まで小栗への貞節を守り通す。
一方、小栗は地獄に堕ち、閻魔大王の前に引きずり出されるが、裁定により地上界に戻されることができた。しかし異形の餓鬼阿弥の姿で、癩病にかかっており、歩くこともままならない。幸いに藤沢の遊行寺の大空上人の助けを蒙り、地車に乗せられて東海道を西上する。
小栗が殺された夜、遊行寺では大空上人の夢枕に閻魔大王が立ち、「上野原に11人の屍が捨てられており、小栗のみ蘇生させられるので、熊野の湯に入れてもとの身体に戻すために力を貸せ」と告げていた。上人はそのお告げに従って上野原に行き、死んだ家来達を葬るとともに、まだ息のあった小栗を寺に連れ帰ったのであった。
小栗を乗せた車は大垣青墓の宿で偶然照手姫に行き会うが、2人はお互いの素性に気づかない。小栗は照手姫の手によって大津まで引かれて行く。病はさらに重くなるが、遊行上人の導きと照手姫や多くの善意の人々の情けを受けて熊野に詣で、熊野詣の湯垢離場である湯の峰温泉の「つぼ湯」の薬効によりついに全快する。
小栗は新たに常陸の領地を与えられ、判官の地位を授けられる。
常陸に帰った小栗は兵をひきいて横山大膳を討ち。家来の菩提を弔う。
更に小栗は美濃の青墓で下女として働いていた照手姫を見つけ出す。こうして2人はようやく夫婦になることができた。小栗の亡くなった後、弟の助重が領地を継ぎ、遊行寺に小栗と家来の墓を建てた。照手姫は仏門にはいり、1429年に遊行寺内に草庵を結んだという』
はあ、長かった。
でね。
トップ画像は小栗堂。
続きまして、名馬「鬼鹿毛」のお墓。

小栗判官と毒殺された家来10人のお墓。

照手姫のお墓。

照手姫が建立したと伝わる厄除地蔵尊。
物語の登場人物達のものが小栗堂の裏にありました。



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広重の遊行寺

2010年03月14日 06時10分53秒 | 神社・仏閣
東海道53次の浮世絵は、江戸時代の江戸日本橋から京都四条大橋までを繋ぐ東海道を紹介して旅情を高める庶民の為の旅行ガイド絵です。かつての宿場が絵の舞台。藤沢はかつての藤沢の宿でして、図柄は大きなお寺の遊行寺を橋から望む絵となってます。
その舞台が藤沢七福神巡りの途中にあったので寄道しました。
ここが入口。
参道の緩い坂を登ると広い境内へ。

季節柄葉が全て落ちてますが、立派なイチョウの大木です。
イチョウらしく見えないのは、昭和31年の台風で折れてしまったから。かつては樹高が31メートルもあったんだって。
現在は樹高は21メートル。幹周り710センチ。樹齢は650-700年とか。
イチョウの周囲を取り囲むようにベンチが配されてて、具合が良いのでここでいつものあんパンで昼ご飯。
さて、遊行寺は時宗の総本山。

時宗?ナニソレ??
でも一遍上人の名前には聞き覚えが…。
あ、わかった!アレだっ!
2009年6月3日「無量光寺はかつて」の記事。ここで一遍上人の名前を見たんでした~。

さて、まずはお参り。本堂はでっかくて、上がってお参り。
立派な堂内を座って見上げると、久遠の浄土が見えて来る。
昨今の大きなお寺というのは、とかく人が多くて心静かにとかあり得ないと思ってましたが、ここは誰~もいないんですよ。お参りする人も私が堂内にいた時はいらっしゃらなかったので、正面で正座して堂内を見上げてました。
なかなかない体験を味わえて良かったですよ~。

訪問したのは1月27日でしたが、既に春の花が迎えてくれました。
本堂の脇に回ると、

わんちゃん、ねこちゃんの為の供養所がありました。

本堂の右脇を上がる。
実は、ウォーキングマップル神奈川によりますと、この辺りに小栗判官のお墓があるハズなのよね。
実は小栗判官って知らないんだけど、恋人の照手姫は知ってるんだな。なぜって、私の住んでる相模原の郷土の和菓子の名前なんだよ。

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藤沢七福神4つめ

2010年03月13日 06時29分52秒 | 記念スタンプ
この記事は昨日の「義経首洗い井戸」に続けて書こうか?と思ったのですが、ビッグネーム『義経』に全て持って行かれると思い、別にしました。
トップ画像は藤沢七福神めぐりの4つ目『常光寺』です。
ここ、実は迷いました。
地図を見て入口がわからず、おそらくこっちと思ってたらお寺の裏山のお墓ゾーンに迷い込んでしまいました。
ちっ!
地図って山ってわからないんだよね。この辺は小さめの里山が点在していて、雑木林もまだ残ってるんだよね。
ちなみに、迷い込んだ里山は藤沢市指定の天然記念物だそうです。そう言えば回りは大きな樹だった。

本堂へ降りて来てお参りを終え、上の石碑に気づきました。
これ、おそらくかつての一里塚に使われてた石じゃないかなあ?
よく見ると、石の下に言わざる見ざる聞かざるの彫りがあります。
これがホントに一里塚だったか、記事を書くにあたり検索常光寺のかけたんですが、そっちは見つからなかったのですが、ここに弁慶のお墓があったんだそうで。

確かに墓地には古いお墓が多そうだなあと思いましたが…。本当にこのあたりは義経と弁慶所縁の場所なんですね。
さて、弁慶のお墓が事実かどうかは確認出来ず、伝説のお墓ということで伝わってるそうです。
弁慶の墓石は本当にあるらしい。でも日本人好みの義経と弁慶の事だから、後世の人が作ったものの一つかもしれない…。

スタンプを押して元の道へ戻る。
さて、「ウォーキングマップル神奈川」を見ると、この道は「町並がなつかしい」「多い時で49軒の旅籠が並んでいた藤沢宿跡」とあります。この本は97年度に発行された本で、既に10年以上昔。今ではだいぶ昔の建物も減っちゃって、車の多い通りです。
が、それでも懐かしい日本家屋がいくつか残ってます。





ついでにおまけです。

明日はちょっと藤沢七福神を外れて寄道です。
そこは安藤広重の東海道53次の浮世絵の舞台でね。前からちょっと気になってたのよ~。




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源義経首洗い井戸発見

2010年03月12日 06時06分39秒 | 歴史散歩
白旗神社の社務所に、件の井戸の地図がありました!
覚えて早速目指す(…今、気づいたんですが、携帯のカメラで地図を写しておけば、覚える必要なかったんじゃあ…)
井戸は白旗神社からは直線距離ではすぐだけど、現代の道は迂回しないといけません。
トップ画像の井戸の脇にある立て看板が読めますか?
『「吾妻鏡」によりますと、兄頼朝に追われた義経は、奥州(東北)でなくなり1189年に義経の首が鎌倉に送られてきました。
義経の首は首実検ののち腰越の浜へ捨てられました。それが汐に乗って境川をさかのぼり、この辺に漂着したのを里人が救い上げ洗い清めた井戸と伝えられます。』
だって。
首実検って分かるよね?
昔は本人かどうか確認する為に首を落として目でいちいち確認したんだね。たぶん遠方へ運ぶ時は腐敗を避ける為に首を箱に入れて塩漬けにして運んだハズ。や、違ったか?またあやふやな知識で語っちゃってます~。
にしても、首実検を終えた義経の首を埋葬もせずに浜へ捨てるなんてことがあるのか??
なんか、疑問が残るなあ~??
日本って怨霊とか祟りを恐れるから神として祀って恨みを鎮めるって考え方が普通じゃないの~?
その辺の下っ端じゃなくて、義経は仮にも御大将頼朝の弟だよ?
確か先日紹介した永福寺跡って、頼朝が奥州藤原氏と義経の為に建てた壮麗な寺じゃなかったっけ??
なのに、弟の首を浜に捨てるってなんだかなあ??

画像で見えるかどうか謎ですが、これには弁慶の名前も確かかかれてました。
確か確か、後に弁慶の首も届いたとかなんとか…。
すみません。
既に1月以上前の話なんで、記憶が曖昧です。
この画像はだいぶ興奮して撮影したのは確かなんですが…。
この碑に武蔵坊弁慶とか久郎判官源義経公って書いてあったハズ。

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鎌倉のイチョウがっ

2010年03月11日 11時31分41秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
暖冬には積雪が多いといわれてますが、今年は既に何度雪が降ったのか…。
未だ丹沢山系が雪をかぶってます。もう3月も半ばなのに…。せっかく咲いた梅の花も、雪で大分痛んでて悲しい~。と、小市民は考えてたら、ナンと!!
昨日、鎌倉の大イチョウが倒れたとのニュースがっ!!
何っ!?
鎌倉の大イチョウってまさかまさか~~~
ええ、アレでした。
鶴岡八幡宮の大イチョウです。
まさに、源氏の終焉の歴史を目撃したと思われるイチョウです。
最もこの大イチョウは樹齢1000年は眉唾と言われてまして、鎌倉三代将軍源実朝が暗殺された時にあったのはこのイチョウの先代で、それでも600年は硬いと言われてるイチョウの樹。それがまさか、倒れるだなんて!
しかも、修復不能だなんて…。
か~な~し~い~…
思わず、アルバム開いてありし日の大イチョウの姿を確認してしまいました。
トップの画像は2008年12月7日の夕方のものです。
もちろん去年も鶴岡八幡の大イチョウに会いにゆきましたが、去年のイチョウの勇姿は写してません。
実はですね。
去年の秋、立て続けに台風がやってきました。確か一つは平塚辺りに上陸したんじゃなかったっけ?
でね。
鎌倉はもとより、関東の海岸近くのコスモスは大ダメージを受けました。
で、鎌倉も海に面して開けてまして、去年の秋はカエデもイチョウのそれなりにダメージがあったんですよ。
もちろん、鶴岡八幡宮のイチョウにもダメージがありました。
私が訪問した時は、大イチョウの先端は海風の影響を受けたようで、葉っぱがなくなってて、哀れ~な姿をさらしてました。
で、昨年の秋に訪れた時は写真をパスして今年の秋にまた…と、祈念してたのに…。
まさか、あの哀れなイチョウの姿が最後だっただなんて…。
か~な~し~いいぃぃぃ~~。

せめてもの供養に、ありし日の大イチョウの姿を紹介します。



この大銀杏をバックに記念撮影は、鶴岡八幡宮を訪問した時の定番でした。
あの存在感を失った八幡さまの姿を想像出来ない~。
近いうち、一度自分の目で見てこなくちゃ!
………。
そう言えば、ここって、源頼朝が作った八幡さまじゃなかったっけ?
鎌倉に現存する数少ない源氏の造った建物。
あれ?
違った??


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源義経所縁の神社

2010年03月11日 09時33分45秒 | 記念スタンプ
藤沢七福神めぐりの3つめは白旗神社です。
実はここ歴史好きの私は楽しみだったんだよねえ~。
お出かけ前に地図で確認したら近くに「源義経首洗井戸」があったんですよ。

でね。
白旗神社は「義経の首を祀ったと伝えられる」と書かれてました!
源義経
源平合戦に於いて義経は一番のヒーローです
そして悲劇的な最後を遂げた人でもありまして、わびさびを愛する日本人の情感に訴える人でもあります。
でも、鎌倉って義経所縁の場所ってあんまりないんだよね。
だから地図上で所縁の場所を見つけて私はわくわくなんでした。
ええ、例え義経「首洗い」井戸だとしても!

ですがその肝心の井戸の場所がわからない。
私の持ってる本は「ウォーキングマップル神奈川」という本なのですが、標準4万分の1。拡大しても2万分の1の地図でして、倍率が悪くて細かな場所がわからない。頼みのYAHOO!の地図に首洗い井戸は載ってない。
まあ、行けばなんとかなるだろう~。何しろ義経はビッグネームだし!と白旗神社に行く道々探しながら歩いたんですが、見つかりませ~ん
そ、そんなあ…。
ヤサグレ気分のまま白旗神社に到着してしまいました…。
なんてこった~

まずは神社の履歴なんかを読む。ここのご祭神はズバリ義経公。すげ~~

日本人には馴染みある表です。
と言っても自分が厄年かどうか確認する位ですが。
それでいつもの狛犬チェック!

微妙に気分が浮上しないまま階段を登る。
と?

ふおおおおお~~~。
源義経って書いてあるう~~!!
上の画像の左下にある石碑が読めますか?
「源義経公鎮霊碑」って書かれてるんですよ。
う~~ん。テンション上がって来た~~!!
現金にも足取り軽く階段を登ると、綺麗な本殿がありました。

幕に描かれてあるのはもしかして、源氏のササリンドウ?
皆さんもご存知の通り、源平合戦は源氏の勝利で幕を閉じたのですが、源氏の天下は短かったんですね。頼朝は急死してるし、後を継いだ息子達も治世は短くて、3代目の実朝君も暗殺されてます。なので、源頼朝が開いた鎌倉幕府といいつつも実質北条氏の幕府です。しかも頼朝も元々鎌倉に拠点があった訳じゃなく、頼朝の奥さんだった北条政子のパパ北条氏の地盤だから鎌倉に行っても現存する源氏所縁の場所とか少ないし、源氏が作った現存する建物とか咄嗟に思い出せない。
まして、義経に限定すると、思い浮かぶのは腰越状くらい?
そりゃ舞い上がってもいいじゃんねえ。
にしてもこの建物なかなかいいなあ。

ちょっと分かりにくいけど、軒下がいい感じなんだよ~。
こういうの鉄筋コンクリート製じゃ出ない味わいだよな。
関東は空襲と関東大震災のダブルコンボで出来たオリジナルの建物が残ってる神社仏閣って少ないんですよ。
京都や四国に比べちゃいかんと思いつつ、敷地にあるのは本殿のみ!しかも全てコンクリート製。地面までもコンクリート!って場所もあったりして私ゃべっくりしたよ…。
に比べてこの本殿はなかなか。私的には評価が高いです。もちろんこの本殿もオリジナルのものではなく、痛みが激しいからって明治期に立て直されたものです。でも私的に、鉄筋コンクリート製じゃないだけでも嬉しいの

本殿の脇に「弁慶の力石」を発見!
義経所縁のものが少ないなら、弁慶所縁の品があるのが不思議じゃ!
真贋はともかく見つけてうれしい~。

階段を降りて来てこんなん見つけました。
さて、落ち着くと、次の目的は「義経の首洗い井戸」だ!
どこだろう??





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藤沢七福神2つめ

2010年03月10日 06時10分01秒 | 記念スタンプ
養命寺の参拝を終え、地図をたよりに二つ目の皇大神宮を目指す。
かきそびれてましたが、藤沢本町駅から養命寺へは一本道。かつての街道です。
でね。地図じゃあ気づきませんでしたが、辺りは結構な里山が点在してます。
おや?
マンホール…。

お散歩をしてて疲れて来ると足元に視線を落としがち。で、気づいたんですがマンホールってバリエーション豊かなんですよ。
で、これは藤沢市のマンホールです。
…カラーマンホールはないかな~?

続いて見つけたのは道路に直接描かれた道路標識です。なかなかラブリー
ううっ。
目的地はまだか…。
あれ?
これってよくある選挙の政党掲示板だよね?
なんか…。
ひっかかる…。
何が??

ああっ!!
いくぞうだから象のイラストなんだっ!
なんてナイスアイデア
確かにおじさんのポスターを貼るよりインパクト狙いならこっちの方が優れてるわ。
これ、名前を漢字じゃなくてひらがな表記にしてあるのも効果を増してるわ。
一笑いいただきました
元気出た。
さあ、あとちょっと!

●皇大神宮です。
ん~、皇大神宮っていう名前なんだから伊勢神宮に所縁が?
七福神めぐりのチラシをみれば、この神社は主祭神はアマテラスさま。
あれれ?
チラシをよく見ると「源平屋島の戦いで有名な那須与一が弓と矢を奉納したと伝えられる」って書かれてます。
何っ!
私の田舎は讃岐香川なんですよ。香川の子は遠足で必ず屋島へ一度は行くんですよ。
で、源平合戦の話を聞いて屋島の歴史の名所を巡るんですね。なのでとっても馴染みある名前が。
でも一般的にはRPGゲームでよくある「ヨイチの弓」の方が馴染みあるかも?
主人公は大概剣使い。で、魔法使いは杖。サポートするのが弓使いってのはありがちです。で、「ヨイチの弓」は結構攻撃力が強い弓で欲しいと思う弓なので聞き覚えあるかもね~。
ここに本物のヨイチの弓があるならば、見たい~~

……探しましたが見つかりませんでした…。
この神社は結構大きいようで、鳥居をくぐった先に山車を納める倉庫が左右に数基並んでいました。
訪問した時はシャッター降りてて山車は見えなかったんだけどね、お祭りに来れば見えるよね。

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藤沢七福神

2010年03月09日 06時07分47秒 | 記念スタンプ
今日から1月27日に出かけた「藤沢七福神めぐり」散歩を紹介します。
画像はコンパクトカメラと携帯電話で撮影したものが入り交じってます。
いや~~。
やっと紹介出来る…。感涙。

その日は1月とは思えない程暖かく、またよいお天気。
朝一番、マンションの廊下から丹沢山系を見る。
う~~ん…。
よく晴れてるんだけど、いまいちすっきりしていないな~。
何を悩んでるのかと言うと、山がくっきり見えるということは、富士山もきっと綺麗に見えるハズ。
ならば、二宮町へ行き、富士山と菜の花のコラボ写真を撮りたかったんですよ。
むむむ…。
ふと、思いついたのは「藤沢七福神めぐり」。
確かこれって1月末までがスタンプラリーの期限だったよね?
…。
さあ、藤沢へ行こう~
早速、YAHOO!で藤沢の地図をプリントアウトしておでかけです。
降り立ったのは小田急線の藤沢本町駅。
え~と、まず目指すのは。
●養命寺です。
てくてくてくてく
と、遠い~…。しょっぱなから後悔気味。
こんなことなら、ちらしに推奨されている藤沢駅からバスを使うコースにすれば良かった~。

…着いた。
誰もいない。

お寺の人もいない。
ってゆーか、建物の中にいるのか?

スタンプラリーの判子があったので勝手に押しちゃいました。
ベンチで休憩。

石碑は時代がかってる。いつのかな~?
あとこんなんありました。

本殿は閉まってて仏像を見る事はかないませんでしたが…。
昨今、無人の神社仏閣からご本尊が盗まれたりしているから、こういうのもアリかもしれん…。
でもさみしいなあ…。

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携帯岡山城

2010年03月08日 06時26分55秒 | お城&御所
そんな訳で、携帯電話のカメラ機能を使いこなせない私は、せっかくの岡山城だと言うのに時間がなくてほとんど写してません。
だって時間がかかるんですもん。この時は1月3日だから、初心者だったんだもん…。
でも四苦八苦してた時にこの携帯カメラにズームがついてるって発見したんだよなあ~。
してみるものですね。四苦八苦。
さて、今日は数少ない携帯電話で撮影した岡山城の紹介です。
トップ画像は岡山後楽園の南門を出た所から旭川ごしに見た岡山城。
あ、以前にも書きましたが、岡山城は第二次世界大戦の時の空襲で焼け落ちて失われました。
今あるのは戦後再建された鉄筋コンクリート製の天守閣てす。

上の画像は旭川にかかる月見橋から撮影。
 
ここでサクっと携帯で写すのを諦めたので、この辺りの記事はこちらを見てね。
岡山城の本丸2010年1月31日の記事
岡山城へ2010年1月31日の記事
天守閣はエレベーターで5階まで一気に上り7階へ。
で、後楽園から歓声が上がったので何事か~?と見る。

あ!!
鶴登場時間~~。

フォトショップで画像を切り取ってみた。見える~?
岡山城の歴史2010年1月30日記事です。お城の中の画像も載せてます。
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寒風の中を待つ人々

2010年03月07日 06時23分48秒 | お城&御所
トップ画像、一体なんだ?と思います??
実はこれ、「鶴」の登場を待つ人々なんです。

私が岡山の後楽園を訪れた目的は、後楽園に放し飼いされている鶴を見る為でした。
お正月に、優雅な鶴が日本庭園の空を舞うってなんか雅というかめでたい感じでいいでしょ?
とワクワクして出かけたのですが、鶴は時間が来るまで檻の中にいて「登場時間」に放される方式だったんですね。
で、みなさん思い思いの場所で待ってる訳です。
トップ画像を写した時点で登場まであと30分くらいですかね?
みなさん待つ気まんまん。
しかも、どんどん来園者は増えていく。明らかに鶴目当ての客です。

中には通の人もいて、鶴の登場の仕方から飛行コースまでレクチャーしてくれます。
おじさん曰く「ここからやとな、左の奥から係員に連れられて鶴が出て来るんよ」
私「へえ~へえ~。鶴って1羽です?」
おじさん「いや。3羽やな。でな。左からこっちに飛んでやね。右手の池に向って飛んでってターンするんや」
みたいな会話をしたり。
鶴おじさんおすすめの場所で暫く待ってたのですが、この日は1月3日(日曜日)だったのですね。
つまり、帰省先から神奈川に戻る途中で岡山に途中下車したのです。
つまり~~!!
滞在時間が限られてるのです。確保済みの新幹線の指定席。その時間は絶対ハズせない。ええ、ダンナも岡山駅で待ってますし…。
で、無念にも鶴を諦めて後楽園の散策を再開。

●茶祖堂
幕末の家老の下屋敷にあった利休堂を、明治20年に移築したものです。

蘇鉄畑。
以前ここの池にかかる八つ橋を紹介しました。この池の側は蘇鉄畑になってます。
…ふと疑問に思ったんですが、蘇鉄って花咲くの?
つ、次行ってみよう~。

●茂松庵
これ、なんかスズメのお宿みたい~~。
岡山後楽園は見所盛沢山ですが、時間が足りなくなったので早く岡山城に移動しなくちゃ~。
…それって、携帯電話のカメラの撮影に四苦八苦してて時間が足らなくなったんじゃあ~。
はい、その通りです。
この後、岡山城は時間のかかる携帯で写真を撮るのを諦めました!
ダメダメだったころ。
いや~。
この時は撮影モードにまだこだわってたんだよね。今はさっくり撮影モードでいちいち設定してから使用して写すの諦めましたよ。


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携帯で岡山後楽園

2010年03月06日 06時21分18秒 | お城&御所
いつまでも携帯写真を検証しててるのもいかがなものか…。
検証は続けないとダメなのですが、それではへこみ~の。落ち込み~のするのだね。
私が
なので、再び検証を棚上げに、お散歩ネタの再開です。

1月の記事で既に岡山後楽園を紹介済みなんですが、
岡山後楽園2010年1月27日の記事など。
その時には携帯電話で撮影した画像を載せれませんでした。
なぜなら、私にそのスキルがなかったから。
が、この度、めでたく携帯電話の画像を取り込む事に成功したのですよ。
だから今日は「携帯で岡山後楽園」です。

トップ画像は後楽園の唯心山という築山から見下ろした沢の池。奥に見える建物が鶴鳴館です。

同じく築山から池の右側です。池の中に見えるのは中の島と御野島。中之島には和舟が浮いています。

という事で、流店です。
流店は建物の中央に水路を通してあります。かつては藩主が庭を散歩する折りの休憩所だったそうです。
現在は散歩するお客さんが休憩場所として利用しています。

こんな感じで。
私もここで休憩したかったのですが、携帯電話初心者には、携帯カメラに翻弄されてしまいまして…。
やたら時間がかかってしまい、うっかりのんきに休憩しては新幹線の時間に遅れそうでパスするハメに…。

奥に見える建物は同じく流店ですが、手前の畑のように見えるのは花菖蒲畑です。



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天守の数

2010年03月05日 11時53分42秒 | お城&御所
2月14日の創作同人誌即売会で梅原の「まだやる!さぬきの昼は具ないうどんななたび」の本を勧めた時に、セールストークの定番がありまして…。
「香川は日本で一番小さい県でしてね」
大概ここで掴みはOK!
「関東からだと香川は遠いから大変だけど、行っちゃえばさぬきうどんの有名どころをハシゴ出来るんだよ~」
で、笑いと供に興味を引ける。
「すると、女の子はうどんを何杯食べれるかが勝負になる訳よ」
ここで同意を得る訳だ。
「で、お薦めなのがこんぴらさんで階段のぼり。こんぴらさんは讃岐でもうどん所にあるから有名店も近くに点在してるよ
てな感じです。
が、今回ついうっかり口を滑らせて、ここに私のお城ブームを折り込んじゃった。
「私、最近お城巡りに興味がありまして…。NHKの名城紹介みたいな番組で最近「丸亀城」をやってたんですよ。見ました?」
と尋ねると、大概「いいえ~」
「ここ。面白いんですよ」
「どこが?」
「実は、時代が江戸から明治に変った時に、時の政府の役人が丸亀に調査に来まして…」
「ふんふん」
「何の為に来たのかと言うと、武士の象徴するお城の処遇…。ってゆうか、ぶっちゃけ天守閣のおとり潰しについてです」
「へえ~。そんな事あったんだ」
「あったんですよ」
「でね。天守を壊されたくない丸亀の人は考えました」
「何したの?」
「天守を柴で隠したんです!」
「え?」
「木でね。こう天守を隠して、『うちには天守はない』って言い張ったんですよ!」
「ええっ!出来るの?」
「出来たんです!丸亀城の天守はすんごく小さいので」
「出来たんだ…」
「でも明治政府のお役人もバカじゃないから騙されないですよね。『じゃあ、あの白いのは何だ?』と重ねて尋ねてきたので丸亀の人は更に答えて『砦です』って言い張りました!」
「言い張ったんですか…」
「ええ!!」
「ところで、日本のお城でオリジナルの天守閣っていくつ残ってるか知ってます?」
「え~、知らない…。100個くらい?」
「違います!10個なんです」
「ええっ!たったそんだけ??あれ??でも…」
「大概あるのは戦後起きた『うちの県のお城ブーム』で再建されたなんちゃってお城か鉄筋コンクリートで再現したのがほとんどなんですよ」
「そうなんだあ~」
「丸亀もうどん所ですよ。周辺に名店多いですからね。腹ごなしに丸亀城の天守閣に登るのはお薦めです。低いですからこんぴらさんより上り易いですよ~」
「あはは~~」
「でも天守は姫路城より立派な石垣の上に建ってるので、瀬戸内海が望めます。かつてはここがこんぴら参りの港だったんですよ」
みたいな感じでうどん本を売ってました。
が!
ここで重大な間違いに気づきました。
おととい、NHKで歴史ヒストリア名作選『姫路城 美と強運の400年物語』という番組が放送されました。
ご覧になりました?
番組の冒頭に「現在残されたオリジナルの天守は12城…」というナレーションが…。
はい?
私はセールストークの落ちを間違えていたのです。
がが~~ん
あかんやないの~~~!!
うろ覚えでしゃべったらいかんなあ…
反省&お詫び&訂正。
現在日本に残る天守のオリジナルは10個じゃなく12個です!
さっくり10個くらいでもいいような…。
そんなこと思ってるから、正確に覚えとらんのじゃ~~!!
自分で自分に突っ込むのは空しい…。


コメント
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携帯で朝の空を撮る

2010年03月05日 06時52分42秒 | 
携帯電話の取り扱い説明書を開く。
と、この携帯電話のカメラは有効画素数が約809万画素もあるんですっ!
と言っても搭載されている機能を使いこなせていないへっぽこには宝の持ち腐れ状態なんですが…。
なんで計算機メーカー(いわゆる一つのCASIOです)がそんなすぐれものな携帯電話を作ってしまったんだか…。
化石のような昔人間には機能満載の携帯は手強過ぎるよ。

さて、フォトショップに読み込んだオリジナル画素は903、11×677.33ミリ&72ピクセル=14.1Mでした。
え~、これって携帯画像をまずPowerBookに読み込んだ時に、プレビューで読み込んだのでそこがそもそも間違いだったかもしれませんが、ブログに掲載する時は、出来るだけ容量を減らしたいと思うんですね。
で、まずは画像をフォトショップで加工して容量を減らそうとしてる訳です。
でもどう減らせばいいのか?
減らした画像をブログに掲載したら、どれくらいのサイズでどのように見えるのか?
テストしない事には何もわからない。
そこをまず確認したいと思いまして…。
どうすっかな~。

いい素材がありました!
空の画像です。
うちのマンションのベランダは東から南に向いて視界が開けてまして、朝窓から見える朝焼けをたまに写してました。
では行きます。
全ての画像の解像度はもともと72ピクセルのを100ピクセルに変更してみました。
あれ?
そもそもここが間違ってるのか?
ま、いいや。
もうやっちまったよ~。
まずは画像フォルダから「オリジナルサイズ」で取り込んでみた。
トップ画像は120×90ミリ=490Kに変更したもの。

上の画像は130×97.5ミリ=576Kミリに変更したもの。

上の画像は140×10、5ミリ=667Kに変更したもの。

上の画像は150×11.3ミリ=767Kに変更したもの。

上の画像は160×120ミリ=871Kに変更したもの。(うっかり間違えて、この上の画像だけサイズ加工を間違えて、携帯で撮影したオリジナル画像を消去してしまいました。で、グンと容量が減ってしまったのを「画像の横のサイズ」のみ160ミリに変更したものだから、画像が荒れてしまいまいた。この失敗をすると後悔するって分かったので、以後気をつけよう)
わかりやすく、横幅を10ミリづつ大きくしてみました~。
さあ、どない?どれ位の大きさの画像で見たい?
閲覧者の意見をお待ちしています。

コメント (2)
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