春先にgooブログの体験版があって、その時「閲覧記事」の多い記事はどれかな~?と確認したら『アサガイモ』
2009年3月3日の記事でした。
アサガイモはアサガオとサツマイモが合体した植物です。
今日紹介するあじあ号は、かつて南満州鉄道で一番早かった車輌です。アサガイモより検索回数が多い記事になるといいなと思います。
私はどちらかと言えば鉄道好き程度。撮り鉄の方の車輌の萌えツボがわからない~。どこを写すべきかわかりません。だから、私とダンナが撮って来た画像を増量してお届けしますね
あじあ号の機関車は大連に現存してます。旅のパンフレットに「満鉄のシンボルでもあった特急列車アジア号の展示をご覧いただきます」と書いてあって、楽しみにしていたのですが…。

バスが止まったのは工場のようで…。こんな所にあじあ号が??アレ??大層な展示室を夢想していたので拍子抜け。
疑問を抱きつつ、少しだけ期待してわくわくわく

なんんじゃこりゃあ~~
だ…大事にされてない…。
で、でも、これ、何か、アニメのオープニングとか、お宝発見のノリの保存方法という良心的な解釈も出来るかも??

あじあ号の説明板が壁にかけられていました。説明文を読んでみる。
『1934年日本製。長さ25,675メートル。旅客機関車。
この列車は日本川崎重工株式会社が日中戦争の時に生産して、生産量はわずか12台でした。そのうち3台は日本で組み立てた後、中国大連に輸出しました。他の9台は部品を大連に運んで、大連機関車車輌敞で組み立てました。戦争が原因でこの12台の機関車は全部運行させたばかりでなく、あの時に新京(長春)ー朝鮮プサン、新京(長春)ー大連の間に高級豪華旅客列車を牽引して、東北地域内に運行しました。「アジア号」と命名されたが、日中戦争が終るまで、戦利品として「ヌ17」に改名しました。戦後瀋陽機関区に配備されて、瀋陽ー長春、大石橋、大連間の旅客列車牽引車になって活躍しました。
この機関車は流線型のデザイン、駆動輪径2メートル、構造スピードは時速130キロ、自動石炭添加システム、給水予熱器を整備してます。この旅客機関車は当時最先端の技術を代表しました』だそうです。
形式:パシナ
総重量:203トン
全長:25、7メートル
動輪直径2メートル

車輪がでかいでしょ?

全幅3.4メートル(車体の下の方のスカートみたいなとこにある金色のライン…。なんだか手書き風味たっぷりのような…?もしかして、最近塗り直したのか??あり得る…
)

あじあ号は1934年11月1日に大連ー新京を8時間30分(表定速度82.5キロ)、1935年9月に大連ーハルピンを12時間30分で結んでいました。食堂車にはロシア人女性のウエイトレスさんがいたんだって。
以上、添乗員さん作成の資料より抜粋。
側面です。

保存してある倉庫が狭くて、これ以上離れて写せません。
背面です。


せっかくなので運転席へあがってみた
垂直の鉄のはしごをせっせと上がる。
車輌が巨大ということは運転席も大きかったです。撮影には失敗しました。だって暗かったんだもん…。
最後に記念撮影。
前面に上ってみた
いいだろ~。じ・ま・ん
ちなみに、自分もあじあ号を見て見たい~と思った方へ場所のヒント!(旅行雑誌にも載ってないと思うので)
2010年7月現在、あじあ号はここにあります。

大連市の北側、露西亜風情街の近く、港側にあります。(露西亜風情街から徒歩圏です)
何が驚いたって添乗員さんが「私どものツアーは比較的年配のお客様のご利用が多いんですが…。『私はかつてアジア号に乗ったことがある』とおっしゃる方がいたんですよ…」へ…へえ~~
マジかぁ??
既出の記事に『私はかつてヒトラーを見たことがある』のネタのインパクトに継ぐ衝撃具合です…。
YHAOO!で検索かけてみた。(ヒトラー 来日)答え:ヒトラーは日本に来たことありません。と出ました。
なんかねえ、ヒトラーを見たという人の言うことには、「小学生の時、動員されて青山通りだか靖国通りだかで旗を振りました」とのこと。なんだかコメントがリアル…。もしかして、本人は来日しなくとも、影武者は来たのか??いや、当時小学生の記憶というのは信用出来るのか??
近代史はそれ以前と違って今なら鮮度はまだ新しい。まさか自分が歴史の証人と気づいていないだけで、今ならまだ情報収集ギリギリで間に合うんか~?少し前ならば、戦争=タブーで口を噤んでいたけど…ってこと?
う~~む…。謎だらけだ。
ヒトラー来日の事実をご存知の方いません?
追記:2012年3月19日
ヒトラー来日の件について、ブログを閲覧した方から書き込みをいただきました。ありがとうございます。
「来日したのはヒトラーではなく、ヒトラーユーゲント(子ども親衛隊)」だったとのこと。
それって…。映画『サウンド・オブ・ミュージック』にも出てたアレかもしれん。トラック一家を通報した少年。あれがヒトラーユーゲント?
日本史 ブログランキングへ
2009年3月3日の記事でした。

今日紹介するあじあ号は、かつて南満州鉄道で一番早かった車輌です。アサガイモより検索回数が多い記事になるといいなと思います。
私はどちらかと言えば鉄道好き程度。撮り鉄の方の車輌の萌えツボがわからない~。どこを写すべきかわかりません。だから、私とダンナが撮って来た画像を増量してお届けしますね

あじあ号の機関車は大連に現存してます。旅のパンフレットに「満鉄のシンボルでもあった特急列車アジア号の展示をご覧いただきます」と書いてあって、楽しみにしていたのですが…。

バスが止まったのは工場のようで…。こんな所にあじあ号が??アレ??大層な展示室を夢想していたので拍子抜け。
疑問を抱きつつ、少しだけ期待してわくわくわく


なんんじゃこりゃあ~~

だ…大事にされてない…。

で、でも、これ、何か、アニメのオープニングとか、お宝発見のノリの保存方法という良心的な解釈も出来るかも??

あじあ号の説明板が壁にかけられていました。説明文を読んでみる。
『1934年日本製。長さ25,675メートル。旅客機関車。
この列車は日本川崎重工株式会社が日中戦争の時に生産して、生産量はわずか12台でした。そのうち3台は日本で組み立てた後、中国大連に輸出しました。他の9台は部品を大連に運んで、大連機関車車輌敞で組み立てました。戦争が原因でこの12台の機関車は全部運行させたばかりでなく、あの時に新京(長春)ー朝鮮プサン、新京(長春)ー大連の間に高級豪華旅客列車を牽引して、東北地域内に運行しました。「アジア号」と命名されたが、日中戦争が終るまで、戦利品として「ヌ17」に改名しました。戦後瀋陽機関区に配備されて、瀋陽ー長春、大石橋、大連間の旅客列車牽引車になって活躍しました。
この機関車は流線型のデザイン、駆動輪径2メートル、構造スピードは時速130キロ、自動石炭添加システム、給水予熱器を整備してます。この旅客機関車は当時最先端の技術を代表しました』だそうです。
形式:パシナ
総重量:203トン
全長:25、7メートル
動輪直径2メートル

車輪がでかいでしょ?

全幅3.4メートル(車体の下の方のスカートみたいなとこにある金色のライン…。なんだか手書き風味たっぷりのような…?もしかして、最近塗り直したのか??あり得る…


あじあ号は1934年11月1日に大連ー新京を8時間30分(表定速度82.5キロ)、1935年9月に大連ーハルピンを12時間30分で結んでいました。食堂車にはロシア人女性のウエイトレスさんがいたんだって。
以上、添乗員さん作成の資料より抜粋。
側面です。

保存してある倉庫が狭くて、これ以上離れて写せません。
背面です。



せっかくなので運転席へあがってみた

車輌が巨大ということは運転席も大きかったです。撮影には失敗しました。だって暗かったんだもん…。
最後に記念撮影。

前面に上ってみた



ちなみに、自分もあじあ号を見て見たい~と思った方へ場所のヒント!(旅行雑誌にも載ってないと思うので)
2010年7月現在、あじあ号はここにあります。

大連市の北側、露西亜風情街の近く、港側にあります。(露西亜風情街から徒歩圏です)
何が驚いたって添乗員さんが「私どものツアーは比較的年配のお客様のご利用が多いんですが…。『私はかつてアジア号に乗ったことがある』とおっしゃる方がいたんですよ…」へ…へえ~~


既出の記事に『私はかつてヒトラーを見たことがある』のネタのインパクトに継ぐ衝撃具合です…。

YHAOO!で検索かけてみた。(ヒトラー 来日)答え:ヒトラーは日本に来たことありません。と出ました。
なんかねえ、ヒトラーを見たという人の言うことには、「小学生の時、動員されて青山通りだか靖国通りだかで旗を振りました」とのこと。なんだかコメントがリアル…。もしかして、本人は来日しなくとも、影武者は来たのか??いや、当時小学生の記憶というのは信用出来るのか??
近代史はそれ以前と違って今なら鮮度はまだ新しい。まさか自分が歴史の証人と気づいていないだけで、今ならまだ情報収集ギリギリで間に合うんか~?少し前ならば、戦争=タブーで口を噤んでいたけど…ってこと?
う~~む…。謎だらけだ。
ヒトラー来日の事実をご存知の方いません?
追記:2012年3月19日
ヒトラー来日の件について、ブログを閲覧した方から書き込みをいただきました。ありがとうございます。
「来日したのはヒトラーではなく、ヒトラーユーゲント(子ども親衛隊)」だったとのこと。
それって…。映画『サウンド・オブ・ミュージック』にも出てたアレかもしれん。トラック一家を通報した少年。あれがヒトラーユーゲント?
