あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

長寿寺に足利尊氏の墓が

2013年11月16日 05時43分48秒 | 墓所巡り
鎌倉に、足利尊氏のお墓があるのをご存知ですか?
知ってはいたけど、なかなか訪問出来ませんでした。なぜなら、拝観に制限があるからです。

しばりは、季節・曜日・更には天候と、何気に大変。でも本日、明日ならば拝観可能です。場所は北鎌倉駅から徒歩。建長寺からほど近い長寿寺さん。

訪問日は、2013年11月3日です。この日は円覚寺の国宝・舎利殿並びに宝物風入れと、建長寺の宝物風入れがありました。何度も鎌倉を訪問してるわりに、一度も見た事なかったので、この機会に行って来ました。そのついでに長寿寺を訪れたのです。や。予定では、入間基地で航空祭だったんだけどね。風邪っぴきが今一よくならず。ダンナからダメ出しが出てしまいました~。ンでも鎌倉なら近いしって事で。マスク装着&防寒着着用で無理しない行程での訪問です。なので、本来なら円覚寺の紹介から記事を書くべきなのですが、長寿寺の拝観しばりがあるので、本日記事アップです。

長寿寺縁起:建長寺の塔頭寺院。
足利尊氏の邸跡に1336年(建武3年)に創建し、諸山第一位の列に定めた。
尊氏は1358年(延文3年)4月29日、54歳で京都において死去。
法名を京都では等持院殿。
関東においては長寿寺殿と称す。
尊氏没後、父の菩提を弔うため、第四子関東管領足利利基によって、七堂伽藍を備えた堂宇が建立された。
境内裏山には、足利尊氏公の遺髪を埋葬したお墓がある。
という事で、トップ画像が尊氏のお墓です。ずいぶん小さいよな。あ。立て札があるのが尊氏のお墓です。
 
入山料300円を支払うと、順路に進みまずは本堂にて参拝です。
本堂でお参りした後は、書院・小方丈で座る。これ、どこでも出来そうで、出来るお寺は鎌倉ではここだけじゃないかな?建長寺とか、お庭を望みつつ、ベンチに腰掛ける事は出来るんだけど。時間が合うなら、外国人の観光コースに入れたら喜ぶかも?訪れた時も、嬉しそうに緋毛氈に座る西欧人を見かけました。

西欧人観光客が見ていたのはこの景色。彼等が立ち去った後、気になって同じ場所に座ってみたのだ。

長寿寺さんは、お庭も素敵です。モミジの木も多いので、訪問出来る時はぜひぜひ立ち寄ってみて下さい。損はないよ~~。
 
上記の2枚は、尊氏公のお墓周辺の画像です。観音堂裏にあります。忘れずに回ってみて下さい。

観音堂は、上の画像左奥に写ってます。この建物は奈良県の古刹忍辱山円成寺より、室町時代に建立された多宝塔を大正時代に改造移築したものです。
今年の拝観日は、12月第一週金・土日まで(12月1日まで)かな?
2013.12.2訂正:今年の公開は、12月6日(金曜)・7日(土曜)までだそうです。
拝観時間は、午前10時から午後3時まで。時間を繰り合わしてお出かけ下さい。
なぜこの地に墓があるのか?と言えば、長寿寺が経っている場所に、その昔この地に足利尊氏の館があったからだとか。いや。知らなかったんだけどね。
長寿寺さんの軒瓦は、○に二の足利の家紋です。
長寿寺訪問の後、建長寺の宝物風入れを観賞してたらば、長寿寺関連の書類があれこれあったのですよ。それがもう歴史上のビッグネームが目白押しで、さすがは建長寺!と歴史の長さにうなりました。
ちなみに、建長寺といえば、名物はけんちん汁。って事で、お昼はけんちんうどんをいただきました。

鎌倉は観光地価格です。そこそこ満足したけど、これで1200円は今どき高過ぎる…。
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赤ソバのお花畑

2013年11月15日 11時32分19秒 | 昭和記念公園
5月にポピーのお花畑・10月にコスモスのお花畑だった花の丘の北側の斜面では、今赤ソバのお花畑が出来ています。
トップ画像の白いソバで描かれた「30」の花文字は、今年昭和記念公園が開園30周年を迎える事からです。今、園内のあちらこちらに30周年を記念して限定のお菓子とか、プレートとかが配置されてます。
こんな感じで。
赤ソバは斜面に咲いてます。

斜面の上から見た所。





花の丘の西側に、木もれ日の丘があります。期待して紅葉を見に行ったのですが、まだ早かった~。ところがところがこんなん見つけてしまいました…。

来年飛散するひのきの花粉です。既にスタンバイしてるので、後は時期が来るのを待つだけ~って!!
あれ?
花粉の量が多くない??
これが全部飛ぶんか~…。嫌なもん見てしまったぜっ。
花の丘は、砂川口が近い。砂川口の休憩所では、こんな写真展が開催中です。
他にも花の丘に近いこもれびの里では、昭和ファッションギャラリー菊花展が11月17日(日曜)まで開催中です。

こもれびの里には、古い武蔵野の農家が復元されました。出来上がってすぐに見物した事あるのですが、今回行ってみると中が色々作り込んでありました。たとえば、養蚕の棚に桑の枝が置いてありました。これでかつてどのようにかいこが育てられてたか想像出来るんだ。

週末が来る前に紹介したいと思いまして、今日は記事を2つつっこんでみました!楽しんで下さいね。
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昭和記念公園の日本庭園

2013年11月15日 05時19分05秒 | 昭和記念公園
昭和記念公園の日本庭園に入ってすぐの所は既にモミジが色づいていました。見物客が多かった~。ノリノリで撮影してると、日光が陰ってしまった!!撮影日は2013年11月12日。お天気が今ひとつだったのが残念です。
お日様が雲に隠れてしまったので、そのまま池を周遊することにしました。ンでは画像紹介。



ああっ!いい感じに亀が甲羅干しをしています。
ンが、私の携帯電話では拡大出来ん~~~~ので、iPhotoでトレミングしてみた。

ん~~、この位が拡大の限界か?今なら紅葉と亀のみ切り取れば、いい感じの構図になるのに~~~っ!デジカメを持ってくればよかった!残念だっ。

八つ橋と、木橋と遠くに和風の建物を配してみました~。…ちょっとくど過ぎるかな?

ならば、木橋中心で、紅葉を配してみましたっ!



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相模原公園のメタセコイア

2013年11月14日 05時55分02秒 | 相模原公園と麻溝公園
訪問日は11月6日午後13時半頃。
新磯野のざる菊・日本庭園陵墓紅葉亭・モナの丘と散策しました。この辺りはウォーキングには最適のようで、途中で海老名ウォーキング会の団体さんとすれ違いました。新磯野のざる菊の周辺には、竪穴式住居を再現した史跡勝坂遺跡・幕末期の和洋折衷住宅旧中村家住宅・日本各地の凧が展示している相模の大凧センターなど散歩コースには最適のポイントが点在してるのですよ。
モナの丘から相模原公園は自転車でほんの十分弱。

自転車置き場周辺は、既に紅葉の見頃を迎えてました。
これ、何の木かな?最初に色づくのってケヤキ類だけど、ケヤキはこんなに赤くならないっ。ンでも綺麗だからいいか~?
お昼が食べれる場所を目で探しつつ公園を散策。
いつも池に浮いてるカルガモの姿がないっ!綺麗に掃除し過ぎたか?
温室の側を抜けて移動。

メタセコイアが見えてきました。画像には写ってませんが、上の画像の左右には、皇帝ダリアの株があります。まだ咲いてません。
ここのメタセコイアの紅葉は、毎年12月の第一週がおススメです。おそらく今年の見頃もその辺かと?
なぜに詳しく書くか?と言いますと、先日までgooブログのアクセス解析サービスがありました。その時に検索キーワードも解析されていて、11月に入ってから「相模原公園 メタセコイア」というワード検索があったのね。確かにここのメタセコイアは本数がまとまっていて、紅葉するととても綺麗です。でもまだ早いのです。メタセコイアの紅葉が綺麗な画像はこちらの記事で確認下さい。
相模原公園のメタセコイア見頃(2012年12月6日)の記事
相模原公園のメタセコイアの紅葉(2011年12月14日)の記事
さて。お昼ごはんです。

今日のお昼は、ランチパックです。しかもドラマ安堂ロイドとのコラボです。きなこクリームの味がたっててうま~いっ!!
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昭和記念公園の紅葉2013

2013年11月13日 18時49分37秒 | 昭和記念公園
撮影日は2013年11月12日。
お天気は今ひとつ。カバンに傘を突っ込んで昭和記念公園へ。
昭和記念公園といえば、イチョウ並木と黄色の落ち葉で出来たじゅうたんですが、そちらの見頃はまだこれからでした。今見頃なのは日本庭園の紅葉です。
では早速画像を紹介します。

トップ画像は一番人気のモミジが集中して植えてある辺り。既に綺麗に色づいてます!なぜにイチョウよりモミジの紅葉の方が早いのか不思議です。
この脇にせせがぎが作庭されてます。

年甲斐もなく参戦しちゃいましたっ!

既にモミジが落葉してて…。ハッ!!何でやねんっ!
ここのモミジは色づくのが格別早いんですねっ。
まあ、足が弱い人にはここの紅葉見物は最適かもな。昭和記念公園はとても広くて普通ならだいぶん歩かなきゃなりませんが、園内は1回300円のパークトレインが走ってます。日本庭園の目の前にパークトレインの停車場があるので、歩くのが不安…という方におススメです。往復の場合は、フリーパス券(500円)を購入して下さい。私はとにかく歩きたくなると、昭和記念公園へ行きます。1回で普通に回って6キロ位は歩くから、ここものぐさな私のウォーキングにピッタリなんだよね~。
 
この後、せっかくなので、池を一周してみた。楽しかった!

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半沢直樹ロケ現場

2013年11月13日 05時16分28秒 | 相模原・座間・大和市
ドラマ「半沢直樹」を視聴してて、銀行の撮影現場ってどこだろう?と。ネットで検索した。
キーワードは『半沢直樹 ロケ現場』で。と。第一話から順番にロケ地が出てきたのですが…。中にロケ地「相模原市 紅葉亭」とあったのです。
相模原市は私が住んでる場所です。でも~?紅葉亭って墓地だよ??
設定は料亭『浅野匡・東田満・藤沢未樹が会食していた料亭の店内』ちなみに複数回ロケ地になってます。
ならば行くしかあるまい~?
新磯野でざる菊を見物した後、自転車で10分程離れた日本庭園陵墓紅葉亭を初訪問。なにしろモノが墓地ですから、初訪問なのです。線香の香る中おそるおそる庭園へ。

入口からして何やら高級感があるのはなぜなのか?

入ったら、日本庭園だった!うん。『日本庭園陵墓』の名にふさわしいお庭です。ってな事でまず画像紹介。
 
池には錦鯉が泳いでいて、人工の滝までありましたよ。もう少ししたら、モミジも色づいて、いいかも~??

あ。半沢直樹で料亭設定だった建物です。普段は、会食・法要・法事を行える場所のようで。
ふ~ん?と見て回っていたら、管理人さんかな?客を案内してやって来ました。彼いわく「ここは一般の公園として登録してあるので、どなたでもご自由においでいただけます。カメラ愛好家が撮影を楽しんでいることも」それって私?つーか、この日本庭園が公園扱いなのね?ならば安心して見てまわれるなあ~。
今後お散歩コース入りの場所になるかも?
またまた自転車を走らせていつものモナの丘へ。
実は、紅葉亭とモナの丘は地図上では隣接しています。まあ、実際は入口が違うからね。自転車移動するんだけどね。

モナの丘の裏のハーブ畑では、既に赤いコキアが見頃過ぎ。なんだか名前が分からないハーブが野生に帰ってました。モナの丘に到着したのは午後1時頃だったから、レストランではお客さんが屋外テーブルで賑わってました。
あ~、カレーの薫りをかいだらお腹が更に減って来ちゃったな~。どこで食べようか…。やっぱ、いつもの相模原公園だな。
空きっ腹でまたまた自転車を走らせる事に。
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新磯野のざる菊が満開に

2013年11月12日 05時57分16秒 | 相模原・座間・大和市
11月5日、ヤクルトおばちゃんから「新磯野のざる菊が見頃になってるよ」と教えられ、5日は無理だったので6日の正午過ぎに行って来た。
毎年同じ場所でざる菊が咲いてるけど、植物相手だから見頃には変動があるんだよね。今年もボチボチか?と思ってたところだったので、期待しての訪問です。では早速画像をば。








 




ざる菊の開場には、ベンチがいくつか配してあります。ここでお昼ごはん…とも思いましたが、次々と見物客がやってきて落ち着かない。これは…。他で食べる事にしょう!
ちなみにざる菊会場はこちらです。

目印は、座間キャンプ。
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重要文化財指定の茶室

2013年11月11日 05時08分19秒 | レトロ建築
長々と連載してきた、旧前田家本邸。今日で最終回です。最終回は、和館1階にある茶室です。この茶室も今年重要文化財になったようです。

上の画像左に茶室。右奥に和館と洋館を繋ぐ渡廊下が見えています。ちなみに、この渡廊下も重文指定を受けました。

茶室前の廊下から、渡廊下を見ました。石の使い方が楽しいですっ!
茶室は…。
え~、きっと素晴らしいのであろうと、想像はつきますが、私は茶の湯にはうとくてですね。どう素晴らしいのか、観賞のポイントがわかりません。
ではありますが、画像を撮影したのでそれを紹介しますね。

こちら茶室の天井の網代天井です。小田原の旧黒田伯爵邸(現:清風荘)で見た網代天井よりこちらの方が趣きがあります。床から天井の高さが低い所がこう篭れる感じですね。

茶室の窓です。わざと古びた感じに作ってあります。

大きな開放窓があるのに、にじり口があるのって不思議です。ちなみに、廊下側にも小さなにじり口と、立てってくぐれる入口があります。こうなると、にじり口がある意味がわからん…。まあ、外国の人には出入口は大きい方がいいのでしょうが…。

こちら、茶室から庭を見た景色です。
ちなみに、主室と茶室の間は狭い廊下で繋がっています。

和館を堪能した後、ふと、和館入口の門に目が行きました。
 
なんか、よく出来た指物の如く。いい門ですねえ。こういうのを寸分の狂いも無く!って言うんでしょうね。

和館に大きな石がゴロゴロあったので、和館の外にある溝に使っている石にも目がいきました。枯れ溝のようで、水は流れてません。この構図なんともいえず良いでしょう?来る度に新たな発見があります。

最後に、敷地内にある前田育徳会の建物。こちらもレトロ建築物だなあ~と。非公開ですが、3棟ある建物は国の登録文化財です。
後、ブログ記事を書いていて画像撮影しそびってたのに気付いたのが、正門及び塀。門衛所。和館門及び塀。これらも今年国の重要文化財に指定されたのだとか。
旧前田家本邸に到着したのが、午前10時半。見学して後にしたのが、13時前。なんと!2時間半も滞在してしまいました~。つき合った友人は何も言いませんでしたけど、私の知識欲の赴くままに見学してたらついやり過ぎたっ!ごめ~んっ!
それにお腹がすいたので、小田急線東北沢駅に戻る途中で腹ごしらえ。

駒場周辺を見て回るか?それとも当初の予定通り、東京駅側のKITTE JPタワー内の東大の博物館を見学するか?迷ったのですが、結局東京駅へ移動しました。
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旧前田家本邸和館1階

2013年11月10日 05時12分11秒 | レトロ建築
和館一階は、主室「御客間」と次の間「御次の間」と、合わせて40畳近くなる続き間を中心に、周囲を畳廊下や入側・縁側でぐるりと囲む、特徴的な平面です。「御居間」は伝統的な書院作りで、床・違い棚・付け書院を備えた格式の高いものです。廊下を挟み、居間「小座敷」や茶室が配されます。大広間からは、水を配した日本庭園が望め、庭園内には茶室待合もあります。茶室及び待合は、3代目木村清兵衛の設計になるものです。以上説明ハガキより。
ってな事で、まずは普段茶室として貸出している部屋です。今回始めて中に入りました。トップ画像がそれ。よく見ると、手前にお湯を湧かせるように、畳に細工があるのですが分かりますか?あと。照明ですが、形が前田家の梅形となってます。撮影してみたのですが、私のレトロ携帯は、強い光に弱くて、撮影失敗しました~。やっちまった~。

杉板のカキツバタ。ここもお茶室。この部屋に珍しいものが展示されてました。

トップ画像の奥でお庭を楽しんでる方が立ち去ってから、私も同じ場所に座ってみた。

こんな感じになってます。お庭にはポツポツと石燈籠や石塔が配置されてますが、庭には降りられません。
茶室を出て御次の間へ移動。

これは釘隠しの細工です。城の本丸や、大きな寺院ではちょくちょく見る事があるのですが、さすが加賀前田藩の建物っ!って所です。

お庭へ降りたい…でも降りられません。でもこの素晴らしい石を見て欲しい。和館には素敵な石がふんだんに使われています。石好きにはおススメですよ。

こちらが主室の御客間です。すんごい床の間。でもかつてその辺りは紹介済みなので、今回は1枚おさえて撮影しただけです。
縁側にこんなんありました!

一見座布団置き場なのですが、ここの土壁は何気に素敵です。土壁なのに、表面がキラキラしています。もっと近くで観察してみたかったけど、これ以上近づけなかった~。
さて。普段は御客室と御次の間のみ公開されてますが、重要文化財登録記念で、裏手も公開されてます。ここが素敵でしたっ!

では行ってみようっ!!
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旧前田家和館2階

2013年11月09日 06時13分55秒 | レトロ建築
東京都文化財公開ウィークの一環で、ふだん上がれない和館2階が公開になりましたっ。
う・嬉しいっ!何度か訪れてますが、2階に上がるのは始めてですっ!

2階に続く階段は、広めに作られています。また天井も高く、開放感があります。和館にしてはちょっと変わってる作りになってます。その訳は…。
説明ハガキ発見!:「旧前田侯爵家駒場本邸の和館は、洋館に附属する迎賓館として昭和5年(1930)3月に竣工し、設計は、塚本靖(工学博士)と佐々木岩次郎(帝室技芸員)等です。
木造2階建ての近代和風建築で、洋館の東側に建ち、独立した門構えを持ちます。塀は腰までを割竹打ちとし、門は一間一戸の平唐門(薬医門形式)です。和館と洋館は裏手では渡廊下で繋がれ、渡廊下の意匠は、中央を境に、洋館側は洋風、和館側は和風となっています。
和館2階は寶形屋根を載せた楼閣風の外観で、2階「御居間」の床構えは、数寄屋風を加味したものとなっています」
階段を2階に上がってると、途中にレトロなトイレがありました。

これ、オリジナルかな~?と見ていると、トイレの脇から男の人が出てきましたっ!!
え?と。互いに見つめ合ったものの、男の人は職員さんのようで、「この便器はオリジナルです」って解説して下さった。ラッキー。
「ほらね、ここに『東洋陶器』って書いてあるでしょう?」ということは、TOTOなのねっ。
昭和5年に既に水洗トイレだったのよ~。さすが加賀前田家の殿の迎賓館っ!
トイレに隣接する手洗い場。その隣に風呂場があるようなのですが、中は立ち入り禁止になってます。
踊り場にあるトイレ。その踊り場から2階を見上げてみました。
ああ。まるで料亭のようだ…。なんだかわくわくと嬉しいですねえ。
さて、階段を上がると、こんな感じです。
こんな風に、杉板に松が描かれてたり。

照明のデザインもいい感じ

こちら窓からの眺め。

2階の手洗い場です。

2階は3部屋あります。

奥の部屋の照明と素敵な天井。

照明には、お殿様にはよく似合いそうな紫の房が下がっています。

 奥の広い部屋には床の間や丸窓があります

2階窓から庭を見下ろしてみた。もう少し紅葉してれば、もっと素敵だったのに~。でもここなら、日本文学の素敵な作品が出来そうな…。世の先生方、挑戦してみれはいかがです?
こちら、1階の玄関を見下ろしてみました。かつては、玄関の向こうに、使用人達の社宅や温室・馬場などが立ち並んでいた区画です。

家具類が一切置かれていないのが残念です。最後に和館1階を見て終わりーー。つーか、お腹がすいた…。
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実は邸宅の半分が非公開でした

2013年11月08日 05時42分38秒 | レトロ建築
前田邸の各部屋に設置された暖炉はフェイクで、地下のボイラー室から各部屋に暖気が届いてました。いわゆるセントラルヒーティングって奴です。なので、煙突はトップ画像の1本のみ。イギリスを旅すると、特に北を旅するとどの建物にも煙突が沢山林立してました。前田公は特にイギリス滞在が長かったのですが、この辺りは最新式を採用してるのですね。ちなみに、煙突は建物中央に空いた明り取り用の中庭にあります。
さて使用人区画へ移動しました。1階の使用人区画は全て非公開となっています。いただいたコピーによりますと、1階には小さな応接室が4つ。お客様の外套などを預かる部屋が玄関脇に。更に事務用玄関と玄関脇に執事室が。更に事務室・宿直室・小使室。お勝手口。ここまではコピーに部屋の名称が書いてありますが、名前のついてない部屋が更にいくつかありました。1階の裏周りの面積は半分近くあります。
さて2階。
上の画像は4つある女中室の窓です。女中室は和風で、畳や押し入れがありました。画像の窓の外に屋根があります。この下は、地下へ降りる外階段がありました。
とはいえ、2つ公開されている女中室はともかく、中庭に面する10畳間の女中室は和風であっても現代の部屋で、向かいの外壁に面する部屋は同じく10畳程の空間ですが、何に使ってたのかわかりません。更に更に、2階で一番広い会議室と名付けられた部屋では、調度東日本大震災で被災した三陸のレトロ建物の被災時・復興時・現在を写したパネル展が開催されてました。とても同じ重要文化財の前田邸の中とは思えない。その辺の公民館の中のような内装でした。明らかに後年にやっちゃった感満載。これ、やっちゃったのは、連合軍、主にアメリカに接収されてた時代だと思うんだけど、どうなんだろう?ボランティアさんに理由を尋ねたい所です。

会議室を出ると、一旦下ってまた登る変わった階段がついています。階段を上がった先にあったのが侍従室。

何人が詰めてたのかなあ?
ここ、部屋の二面に大きな窓がありました。
侍従室に隣接するのが三男の部屋です。
 
こちらもやっちゃった感満載の内装でした。壁紙も照明もこの上もなく安っぽい。広さは充分なんだけどね。
あっ!!

三男の部屋から建物の外壁が見えました。
日本のレトロ建築物で流行ったスクラッチタイルです。表面をひっかいたような波状の模様のある土色のタイルがなぜよく使われてるのか?以前から疑問だったんですが、ボランティアさん曰く「関東大震災の時に、帝国ホテルがほとんど被害を受けなかったので、それにあやかって帝国ホテルに使われていたスクラッチタイルが流行った」んだって!まさか、スクラッチタイル製のレトロ建物が多い理由が、日本人が江戸より好きな『あやかり』にあったとはっ!!びっくりですよっ。
さて前田家本邸の内観を楽しんだ後は、和館へ向かいます。

ちなみに、これは玄関照明。今回旧前田家本邸を訪問したのは、東京都文化財公開ウィークの期間中でした。さりげなくどの部屋も照明が点灯になってました。ここを訪れたのは数度目ですが、照明がついてる時もありついてない時もあり。でもここまで照明が多くついてたのは始めてかも~?なにげに嬉しい。ンでも私のボロい携帯電話は、照明の灯りが強過ぎて、失敗画像を量産しちゃいましたっ!

上の画像は、和館と洋館を繋ぐ渡廊下です。このたび前田家本邸が重要文化財に指定された記念に、始めて一般公開されました。これを楽しみに訪問したのですが渡廊下の公開は、土日祝日のみだったという…。や。それはともかく。上の画像は、和館と洋館の渡廊下のジョイント部分。回廊の途中で洋風から和風へと変わるんですよ。ちなみに、この渡廊下も今年国の重要文化財に指定されました。今後ここが公開されるのを待つよ。

渡廊下のジョイント部分を左へ視線をやると、和館が見えます。この和館も今年国の重要文化財に指定されました。ふだんは1階の一部のみ公開されていますが、今日は1階と2階が公開になるの。楽しみ~。
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なぜに夫人部屋と寝室の照明はショボいのか?

2013年11月07日 05時09分29秒 | レトロ建築
今年国の重要文化財に指定された旧前田家本邸は、かつて加賀藩・前田のお殿様の屋敷でした。

さて、2階次女の部屋の隣は、夫人部屋でした。この夫人というのは、当主前田利為の後妻、菊子さんの事です。
なぜにまわりくどい書き方をするのか?といえば、先妻の前田なみ子さんが前田家の本家筋の方で、ご当主の利為公は同じ前田の一門出身ですが入り婿になるんですね。
先妻のなみ子さんは、欧州滞在中に亡くなりました。
本邸は昭和4年に竣工されてます。菊子さんと結婚したのは大正14年なので、夫人部屋に菊子さんにちなんだデザインがあります。
 
上の画像は、夫人部屋の窓ガラスと暖炉カバーですが、菊のデザインが取り入られてます。
さて、ここでトップ画像。
夫人部屋の照明ですが、昨日紹介した次女の部屋の素敵な照明と比べて、ど~ひいき目に見てもショボいよね?
実際ショボいんです。なぜならば、これはオリジナルの照明ではないの。
ボランティア「夫人部屋とお隣の当主夫妻の寝室の照明はオリジナルではありません。どういう加減か、この2部屋だけ元の照明がつけられなくて、後年都が工事した時に現在の照明がつけられたものです」
夫人部屋は、一家団欒の場所として利用していたそうです。つまりリビングですね。

次は当主夫妻の寝室です。ここも書斎と同じく、部屋の中に入れません。

ボランティア「…ではありますが、寝室に設置したベット等の家具は、前田家にお願いして当時のものをお借りしています。2020年のオリンピックまでに他の部屋も当時の家具を置いてみたいんですけどね~」
ボランティアさんのドリームのようです。つーか、残ってるってのが凄いよな。今のベッドに比べると、いくぶん小さめです。

ちなみに化粧台も奥さまが実際に使ってたものです。ち・近くでみてみたいよなっ。
引き続きましては…。お風呂を挟んで三女の部屋。次女の部屋の倍あります。格も高いような…。

なんでやねんっ??
この部屋もまたかつては奥さまの使っていた部屋なんだって。ところが…。子どもが増えたので改装したんだって。

ちなみにこの部屋の照明はオリジナル。
ボランティアさん曰く「天井のしっくい模様が、見る場所によって違って見えるって、その道のプロの方がおっしゃった事があって、この部屋のが一番出来がいいそうですよ」
へえ~。

さて、なぜ加賀藩主前田家の屋敷が目黒区駒場にあるのか?について。
そうなんだよな~。ここってば、東が東京大学教育部。西が東京大学先端科学技術センターって、東大の建物に挟まれてるんだよね。
東大といえば、有名な文京区本郷にある赤門。あれって加賀藩に徳川の姫が降嫁した時に作られた門だったハズ。
あ…。なんかわかっちゃった~。
ボランティア「江戸から大正まで前田家の本邸(上屋敷)は、現在東京大学がある本郷にありました。大正12年(1923)の関東大震災で東京は被災。震災後、政府の復興計画に関連し、また帝国大学(現東京大学)を大きくしたいという事から、駒場にあった東京大学農学部の敷地と本郷の加賀藩の土地を等価交換し、前田家の本邸が駒場に出来ました。
前田家本邸には使用人が135人いました」
ええっ?135人!!
私「それって、それぞれに家族いたんですよね?どこに住んでたんですか?つーか、住み込みっても135人は多過ぎですよね???」
ボランティア「使用人は住み込みもありましたが、通いです」
洋館の周りに社宅が並んでたんだそうですよ。さながらマエダビレッジのように。また旧加賀藩の家臣団も駒場へ移った時に周辺に移り住み、現在もそのまま暮らしてる家もあるとか。
凄い話だわ~。だから地図を見ると、この辺りってちょっと独特な地割りなんだね。
ボランティア「ちなみに、等価交換した土地は、東京ドーム4個分、約5万坪だったそうです」
も。何がなんだか…。
ここでボランティアさんの説明は終了となります。このボランティアさんよく勉強してるので、ちょっと聞けないけど前から気になってた事を突っ込んで聞いてみる事にした。
私「ご当主なんですが、戦争で亡くなってますよね?」
ボランティア「そうですね」
私「でも戦死扱いにならなかったって聞いた事あるんですけど…」
ボランティア「そうなんです。事故死になってしまいました。戦死と事故死では、税金が全く違うんですよ」
私「それ、どうやって切り抜けたんですか?」
ボランティア「切り抜けられなかったんです。前田家はこの洋館以外全て売却しました。こちらも中島飛行樹に売却しました」
私「事故死じゃなく戦死ですよね?なんでそんな事になったんですか?」
ボランティア「前田侯爵はヨーロッパ生活が長く、戦争しても勝てない事がわかってました。だから陛下に戦争しないように直訴しました。それで軍部に目をつけられたようです」
うわ~男の嫉妬・恨みが原因かよ~。そもそも前田家当主がボルネオに飛ばされた所からして怪しいよなっ。
私「あ!後、長女・次女・三女の部屋はありましたが、跡継ぎというか、長男の部屋はなぜないんですか?
ボランティア「前田利為公のご長男は、邸宅が出来た時既に結婚されていて、別邸が本邸の南に作られました。残念ながら戦争の時焼失してしまい、現存してません。ちなみに、長男・次男が先妻のなみ子さんのお子さんで、長女・次女・三女・三男が菊子さんのお子さんです」
あれ?次男は?
ボランティア「次男は、本当に小さい時に亡くなりました」
ボランティアさんにお礼を述べて今度は使用人区画の見学へ。
ちなみに、使用人区画へ向かうと3階へ上がる階段があります。3階には常駐ナースの部屋と、洗濯室があったそうです。3階に洗濯室って、どこの外国~?って、水はどうした?って思って聞いたらば、前田家は3階だって、蛇口を捻れば水が出たそうですよ。どんな昭和4年だよ~!!


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中国の山西省太原市で爆弾テロがあったようですね。
あそこは…。
数年前、世界遺産の平遥古城を訪れた事があります。省都の太原市も観光しました。太原市は、市内を大きな川が通ってる関係で、市内に出入りする道が、橋で制限されてしまうのだ。だから、しゃれにならない渋滞がありました。渋滞にハマったおかげで、観光時間も削られたヤな思い出があります。日中の観光でも渋滞にハマる理由は、中国では昼食をわざわざ自宅で食べるから、日中でも帰宅時と通勤・通学時の2度渋滞があるんです。つまり、朝・日中2度・夕方の合計4度の渋滞が発生するのだ。生活習慣を変えるのは嫌だという人も多いでしょうが、大気汚染の酷い国だから、日中の2度の渋滞をなくしたら少しは改善するんじゃないの~?ってあの時思ったんだよな。
しかし今回の爆弾テロはウイグルとは関係ないんじゃないかな~?
どっちかというと、太原から北へ行った所は、石炭の一大産地なのです。そこらに犯人が太原を選んで爆破テロしたんでは?などと勘ぐってしまいます。
山西省はトラックの荷台に石炭を山積にして、石炭トラックが連なって高速道路を行き交う場所なんですね~。まあ私の観光目的は中国でも珍しい古い寺院や建築物が現存してる『歴史』だったので、渋滞を起こす石炭トラックは邪魔で迷惑だったんだけど。
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鉄筋コンクリートなのに木貼りの天井?

2013年11月06日 05時38分35秒 | レトロ建築
前田家の2階へ移動しました。

階段には大きなステンドクラスの窓があります。デザインはこれ1階の暖炉横のイングルネックのステンドグラスと同じ。色味も同じ。
さてここでトップ画像。
主人の書斎です。書斎へは現在入れません。
ボランティア「書斎には他の部屋と決定的に違う場所があります。分かりますか?」
ん~?大きな書斎机かな~??
答えは天井です。
見て下さい。全面木の天井なんですよ。やっぱ、日本人は木に囲まれてた方が安心するんでしょうね。
ボランティア「はい。ここで回れ右。これは何でしょうか?」

ん~??奥行きのない空間がぽっかり??何コレ??
ボランティア「実は掛け軸を飾る空間でして、3本かけれるんですよ~」
洋館に似合う掛け軸か…。柄を選びそうな。どんな軸がかけられてたのか?興味ありますねえ。確認したら、釘が3本打ってありました。

書斎の隣は長女の部屋となっています。

私「バルコニーに出られないんですね?」
ボランティア「ここはバルコニーではなく、玄関の天井部分です。とはいえ、かつてはテーブルと椅子を置いて、ちょくちょく外に出てらしたとか」
やっぱなあ~。誘われる空間だよな。お嬢様がスカートをからげて窓を飛び出してたのかと思うと心踊るものがあるよな。
とはいえ、長女の誕生が大正15年。屋敷が出来たのが、昭和4年。利為公がなくなったのが昭和17年。その後相続税が払えず売却されたから、お嬢様が出入りしてたのは幼い頃ですよね~。

ボランティア「こちら奥、赤じゅうたんの先が使用人区画。手前のアーチと奥のアーチの2連がここにもあります。

上の画像は階段を上がった空間。
ボランティア「照明は3つ、似たようなデザインでありながら、少しづつ違えてあります」
上の画像右手に書庫としてデザインされた部屋があります。書棚も壁面に作られたのですが、作ってる最中に次女が出来まして、次女の部屋とされました。
…せ・狭いっ!!ここって長女の部屋の半分もないような…。

ボランティア「こちらは床の寄木細工がよく残ってます。カーベットも貼ってないので、よく見えますね。」

次女の部屋にもまた暖炉が。
暖炉全面を覆うカバーの意匠は前田の梅。こちらの暖炉は彩色陶器。
ボランティア「私、このお部屋の照明デザインが一番好きなんですよ。真ん中が仏塔の水煙みたいですよね」

素敵でしょ?
確かに。
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金唐革紙が前田邸に!?

2013年11月05日 06時37分35秒 | レトロ建築
金唐革紙って知ってますか?
WIKIによりますと「表紙に金属箔をはり、版木に当てて凹凸文様を打ち出し、彩色をほどこして製作する壁紙」とあります。私は金唐革紙を復原したものを、上野の旧岩崎邸で見た事があります。
あれ?金唐革紙を昔記事にしたハズ…と検索かけたのですが、gooの前にinfoseekのホームページで日記を書いてた時の記事でしたっ!あの頃は室内も撮影出来たんだよね~。今、岩崎邸は室内撮影禁止なんで、復元された金唐革紙の画像を紹介出来ない~。それても旧岩崎邸の外観はこちらに。
旧岩崎庭園只今耐震工事中(2012年3月25日)の記事
2013年11月19日、記事追加:
いつかの岩崎邸(2010年2月6日)の記事 こちらの記事に旧岩崎邸の復元された金唐皮紙の画像があります。
これはかつて内観も写真撮影可能だった頃の画像です。2010年の画像ではありません。記事を書いた頃、ネタ切れで昔の写真を引っ張り出して記事にしたのです。

WIKIによりますと、金唐革紙の現存する建築物は、入船山記念館(広島県)・旧岩崎家住宅(東京都)・移情閣(兵庫県)・旧日本郵船小樽支店(北海道)・旧林家住宅(長野県)・国会議事堂(東京都)・旧第五十九銀行本店本館(青森県)です。その中に前田邸はないんだよね。
しかし、トップ画像のどこに金唐革紙があるのか??
ボランティア「大食堂の壁紙も、連合軍に接収されてた時代に奥さまが変更されて…」
ここもなのねっ。
ボランティア「でもここをご覧下さい」

暖炉の左右に少し残ってました。

既に色は退色してますが、金属の輝きがチラホラ確認出来ます。
ボランティア「大食堂は、お屋敷で来客がある時に長テーブルを使用されてました。その際は、当主が暖炉を背に着席しました」
ご当主の視線の先には曲面の大きな窓。窓の下は大理石の台になってます。

大理石にアンモナイトを2個発見!
確認出来ます?
大食堂の隣に家族が夕食を共にした中食堂があります。
ボランティア「朝食は、皆様自分の部屋でとってらっしゃいました」
こんな所にもイングランドっ!
ボランティア「大食堂で晩餐があった時は、中食堂は配膳室に早変わりしました」

見えますかねえ?画面左の黒い大きな扉。これ、何だと思います?
前田邸の調理室は地下にありました。料理はリフトに乗せられて、食堂まで届けられたのです。そして、食事の進みをチェックしていたのがこれ。

壁面にかけてある鏡。これは身だしなみをチェックした訳ではなく、直接お客様が食事をする所を見るのは失礼にあたるので、配膳係は鏡を覗いて料理を出すタイミングを測りました。
へえ~。へえ~へえ~。
中食堂の食器棚の中に賞状みたいなのがいくつもありました。
何これ??
おおっ!重要文化財指定の証書ではないですかっ!!
では次は、やっぱ今回のメインイベントっ!和館と洋館を繋ぐ回廊、壁泉の通り抜けだよね~た~の~し~み~~っ!!
ってアレ??
ボランティア「廊下の天井をご覧下さい。違いが分かりますか?」

「違いって、チューダー式の木の梁があるかないか?ですか??」
そうなのね。実は前田家のお屋敷は、使用人区画とお客様をもてなす表の区画では明確に差があるのです。この辺りも日本式かな?

ボランティア「前田家における中庭は、明り取りの為に作られているのですが、廊下の中庭に面する腰板も、表の区画には大理石が張付けてありますが、使用人区画はしっくいの壁のみ。更に、食堂入口の扉をご覧下さい。お客様の目に触れる側には彫刻が施されてますが、裏に彫刻はありません」
ちなみに、床も表には赤じゅうたんが敷いてありますが、使用人区画は床がむき出しです。も。徹底してます。やっぱ、見栄は張ってこそっ!!って事かな?表には贅沢に金を注ぎ込んでますねえ。
んで、壁泉を早よ?
ってアレ~~~??
ボランティア「では2階を案内しましょう」
私「ち・ちょっと待って!ここで和館と洋館を繋ぐ回廊じゃないんですか?」
ボランティア「壁泉の案内は、文化財公開ウィークの土日祝日のみとなっています」
そ・そんなあ~~~っ。
がっくり…。
そして以降のメモが減りました…。これ以降、巻き巻きで紹介します。
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旧前田家本邸の見所

2013年11月04日 05時18分47秒 | レトロ建築
かつてのサロンを昨日紹介しましたが、玄関を入ってすぐの階段前の広場、そこに隠れ場があるのです。

上の画像のソファの左手に前田家の人が座り、ゲストが右側に座ったんだって。ここ、なんだかすんごく落ち着きました。私はゲストの右側に座ったのですが、座ると視界が遮られ、視界に入ってくるのは、このステンドグラス。
色合いを前田利為公が指定したんだって。しかも日本らしく、左右非対称に作らせたんだって。強い色を使いがちのステンドグラスにあってこの色合いは珍しいとかなんとか。や。私的には、先々月見た国会の議会場の天井のステンドグラスに似てるって思いました~。ちなみに、かくれがみたいなこの作りを、イングルネック(「暖炉のある居心地のいい場所」という意味)というとか。それって…??
ボランティアさん「語源はゲール語らしいです」
欧州滞在の長かった前田利為公のこだわりらしい。ちなみに、主人の席のソファの左側に座ると、視線がサロンに向かい、来客の動向をチェック出来るようになってます。
サロンの隣、階段広間より入れる客室が2つあります。小さい方を小客室。大きい方を大客室といいます。
ボランティア「ここから左右の客室を見比べて下さい。違いが分かりますか?」

ボランティア「入口のドアの高さが違います。更に、ドアの彫刻、天井と壁のつなぎ目のデザインも違います」
つまり、大客室の方が格が高い部屋なのです。例えば、石川県の県知事が来たとして、通すのは小客室ということです。
な~るほど!日本的な発想ね。
ボランティア「小客室と大客室は、必要に応じて2つの部屋を繋げて利用してました」
ん?どゆこと???
ボランティア「部屋を2つに区切る事も、大きく一つの部屋として利用する事も出来たんです」

こちらに引き戸で収納出来る壁があります。
コレ床ね~。
な・なんて日本的な発想なんだっ!こんな洋館外国人の設計者じゃあ絶対に思いつかんわっ!!
かつて日本の庶民は、小さな長屋に住み、居間も寝室も客室も同じ部屋を使ってました。今でも田舎へ行くと、ふすまを外して2つの部屋を繋げて一つの部屋として使ったりするよね?あの発想ですよっ。なんか、感動したっ!!
ボランティア「あ。ちょうどいいですね。この窓から、松の木が見えますか?」

見えるよ?外のピロティの外、芝生広場の手前にある奴だよね?
ボランティア「前田利為公が住んでらした時、松はなく、芝生が続いてました」
ん?どゆこと??
ボランティア「終戦後、前田邸は連合軍に接収されました。彼等はあそこに噴水を造り、星条旗を掲げる施設を作ってしまいました」
をいっ!!
ボランティア「昭和32年(1957)に接収解除となりました。噴水は埋め戻されましたが、跡地に松を植えてしまいました」
日本人の庭の発想ね~。
つーか!!をいっ!!誰の仕業だよっ!!ここに松はおかしいでしょうがっ!!洋館と松がマッチする?や。赤坂迎賓館みたいな造りをすればそれなりにマッチするだろうけど。これはどうなのよっ!
ンでトップ画像です。

後で外にまわって洋館の外観を眺めてみたんですけど、松が邪魔で全景を望むポイントがありませんっ!!
や。この画像のどこに松があるんだって?
すんません。松は画像の左に5本植わっててですね。
洋館を撮影したかったので、「どうにか写せないか?」と建物に沿って歩いてたら、松がハズれてしましました。説明画像として松を入れて撮影しとくべきでした~。

前田本邸は重要文化財に指定されたんだよねっ。
ならば、松を撤去した方が良くないですか??邪魔なんですけど~~っ!!
まあ、連合軍に接収されたのは昭和20年(1945)なら、松を植えて既に70年。となると、洋館が建ったのが昭和4年(1929)だから、松がここにある方が長いんだろうけど。洋館を建てた前田利為公の意向とは違うと思うのよ。
ちなみにアメリカ軍が作った噴水の名残も地面に残ってた!

ショボいタイルの噴水だった模様…。
まあ、これも前田邸の歴史っちゃあ歴史だろうけど…。う~む??
ちなみに、小食堂と大食堂の床のじゅうたんと壁の柄ですが、オリジナルではありませんっ!なぜって、連合軍に接収されてた時、模様替えされてしまったから!
をいぃいいい~~~~っ!!!
大客室にもサロンと同じく暖炉があります。これももちろん火はくべられません。
ボランティア「暖炉の目隠しをご覧下さい」

花の意匠がありました。これは加賀前田藩の家紋です。
ボランティア「なぜ梅の紋を採用したか分かりますか?」
加賀前田家は、大藩ではありますが外様大名でした。徳川に反する気持ちはありませんよ。前田家は公家に繋がる家ですから~と。家が取り潰されないように、心を配ってたのですね。
ボランティア「あ。こちらから外の風景をご覧下さい」

ボランティア「私、ここからの景色が一番好きなんですよ。お客さんがベンチでお弁当を広げてたりしちゃうんですが、今日はラッキーですね」
でも私が気になったのは別の事でして。
照明の電源は何だろう?
私「あれってガス灯とか?中にロウソクとか??」
ボランティア「違います。電力です。前田邸は全て電力です」
う~む。レトロ建築であっても昭和の建物だと電化済みだったのねっ。セントラルヒーティング採用だし、便利だよ。そりぁあ接収されるわな。

ちなみに、東京都文化財ウィーク、旧前田本邸の和館&和館と洋館を繋ぐ壁泉特別公開は、今日11月4日までです。旧前田家本邸所在地は、小田急線東北沢駅から徒歩20分。もしくは、京王線駒場東大前駅から徒歩12分となっています。
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