都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

東京都交通局目黒自動車営業所

2011-04-10 | 品川区  
東京都交通局目黒自動車営業所
所在地:品川区上大崎3-1
建設年:1935(昭和10)
構造・階数:RC・2F
2008年頃解体
Photo 2008.5.28

 Wikipediaで都営バスについて調べてみたら、最後の頃のおよその移り変わりが判った。

Wikipedia > 都営バス

2000年12月 営業所から支所に降格。
2003年04月 目黒支所は品川営業所の分駐所となる。
2005年03月 目黒分駐所廃止。目黒の路線は品川営業所に、車両はほぼ全車両が港南支所に転属した。
2008年後半 取り壊し。現在は駐車場。同所でマンション建設が予定されている模様。

 2000年頃から、都バスは路線や営業所の配置などの見直しを進めているそうだ。地下鉄が開通したりして乗客が減ったことも関係があるようだ。駅前の一等地にあったこの営業所もどんどん格下げされて、最終的には無くなってしまった。


 目黒分駐所の廃止以後、敷地・建物は使われておらず、長い間、人の気配がない状態が続いていた。

事務所の南側にあった車庫

 写真には関係者と思われる数人の人が偶然写り込んでいる。がらんとしたバスの車庫を前にして、いろいろ話しているようだった。建物の除却についてや、駐車場への暫定利用について話していたか、更にその後の開発についても話していたのだろうか。この人たちを見た瞬間、あ、これはなくなるなと思った。そして半年も経たないうちにやはり無くなってしまった。


 西南側から見た営業所オフィス。2階は乗員の控え室とか仮眠室だったのだろうか。車庫側から直接出入りする階段が付いていた。

Tokyo Lost Architecture

2011.4.14 追記
 その後、別件の作業中にこの場所の再開発計画について知る機会があった。旧都バス営業所だけでなく、周辺も合わせて、オフィス棟と住居棟(共に41F)のツインタワーと、38Fの住居棟、計3棟の超高層ビルを建てるんだそうだ。うへぇ。

東京都環境局 環境アセスメント(仮称)目黒駅前地区第一種市街地再開発事業
品川経済新聞 - 目黒駅前の再開発計画事業者が決定、2014年度完成の見通しに
品川経済新聞 - 目黒駅前41階・38階高層ビル建設の住民説明会-「風害心配」の声も
Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 品川区  #オフィス  #公共施設 
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土屋畜産

2010-04-10 | 品川区  
土屋畜産
所在地:品川区北品川2-30
建設年:?
構造・階数:木・2
解体年:2005〜07(平成17〜19)
Photo 1994.2.6

 木造モルタルで2階部分に装飾のある商店建築。角地に建っていて写真は目黒川に面した側面の部分。

 実はこの写真は、わずかに開けられた2階の窓から、猫が通りを見下ろしている姿が印象的だったので咄嗟に撮影した。だから建物の全景写真は撮らずじまい。旧東海道の品川宿を歩いていた時に見かけた建物だったのだが、ネットで土屋畜産を調べても出てこないので、所在地が分からなくなっていた。だが最近になって、住宅地図や写真後方の建物を確認したりした結果、荏原神社のそばにあった建物で、既に解体されていたことが判明した。

 改めてよく見ると、軒先部分の装飾は結構手が込んでいる。手前に一部だけ写り込んでいる木造建物も2階の腰壁が亀甲模様になっていたりして、今頃になってどのような建物だったのか妙に気になるのだった。


2022.12.30追記
 1953(昭和28)年発行の火災保険特殊地図では「西村肉店」。戦前の1936(昭和11)年発行の同地図でも、業種は不明だが同じ名が記されている。また1970年代以降の住宅地図では「土屋畜産KK」。撮影後、2005年頃までは存在していたようだが、2008年の住宅地図では既になく、跡地には2009年6月にマンションが完成している。

Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 品川区  #旧東海道 
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ゼームス坂の理容室

2009-01-10 | 品川区  
理容ヤオ
所在地:品川区南品川5-10
建設年:戦前?
構造・階数:木・2
Photo 1995.7.26

 1995年に研究室で行った都市景観調査の際に、南品川のゼームス坂の途中で撮った写真。2階部分の装飾がやや凝った、銅板貼り看板建築の床屋さん。三角形の頂部があるためか、プロポーションがやや縦長で、それがちょっと印象的だった。

 2階部分は当初は縦長の三連の観音開き窓だったのだろうか。3つの半円形アーチが銅板貼りで造られている。また、頂部が切妻屋根の端部らしく、わざわざ瓦屋根のように銅板で造っているのが面白い。もしかすると本当の瓦屋根を端部だけ銅板で覆ってしまっているのかもしれない。

 この建物は「下町や東京昭和遠ざかる」村岡秀男著、彩流社、2007の、p.67にも写真が載っている。2006年の写真では新しい建物が写っており、やはり数年前に建て替えられたようだ。

 今年もよろしくお願いします。


2022.12.30追記
 1936(昭和11)年発行の火災保険特殊地図に「床屋ヤオ」として名があり、建物が写真のものと同一かどうかは不明だが、ヤオという理容店は既に存在していたことが分かる。1953(昭和28)年発行の同地図では「八尾床屋」。ゼンリンの住宅地図(1973年以降)では「ヤオ理容室」と記されている。

 全ての年の住宅地図(ゼンリン)をチェックしたわけではないが、2005年頃以降のものでは理容店としての記載がなくなり、仕舞屋・住宅になったようだ。現在の建物は写真のものとは異なるので、この頃に建て替えられたのかもしれない。ただ、妻入りの2階建てなのは以前と同じなので、もしかすると構造はそのままでリフォームしたのかもしれない。

Tokyo Lost Architecture  
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萩原木材

2007-04-29 | 品川区  

 品川宿の旧東海道沿いに建っていた出桁造り商家。

萩原木材
所在地:品川区南品川2-7-6
構造・階数:木・2
解体年:1998〜2000(平成10〜12)頃
Photo 1994.2.6

 10年以上前に撮影した立派な出桁造り商家。昨年、再び品川宿界隈を訪れた際に、残っていることを期待して探してみたのだが、この木材屋さん自体が廃業したらしく、どこにあったのかさえ分からなくなってしまった。

 仕方がないので、都立中央図書館で昔の住宅地図を見て、ようやく旧所在地を確認。撮影時に無精をして所在地を記録せずにいると、後で却って厄介なことになる。

 長い角材や板が屋外に立てられた、昔ながらの木材問屋さんというのも、都内では次第に減っているような気がする。通りかかると木の香りがしたりするのが懐かしいのだが。

 掘り下げて資料探索したわけではないので、建設年までは知らない。二階建てで背丈が比較的高いところからすると、江戸期ではなく、明治〜昭和初期の建物だったのではないかと思う。

 品川宿にはまだ、出桁町屋や看板建築がいくつか残っている。旧東海道の宿場ということでPRしている面もある商店街で、休日ともなると、街道を歩く中高年の方々も少なからずいる。それだけに、古い建物を使いながら残せれば、観光的にも魅力的だと思うのだが、廃業したりしてしまうと、やはり木造の古い建物を残すのは難しいのだろうな。


2022.12.30追記
 1936(昭和11)年発行の火災保険特殊地図では「○○木材」もしくは「長浜木工所」と記されているようだが、文字が明瞭ではなく正確には読めない。1953(昭和28)年発行の同地図では、既に「萩原木材」になっている。また、1998年発行の住宅地図には掲載されているが、2001年の同地図では既になくなっており別の施設に建て替えられている。

Tokyo Lost Architecture  
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船溜まりの風景

2006-10-26 | 品川区  

 八ツ山通を少し行くと、天王洲運河の船溜まり。

天王洲運河 船溜まり/品川グランドコモンズ
Photo 2006.3.11

 明治の頃はこのあたりまで海だったのだろうが、埋め立てが進んで海は遠くなった。辛うじて残されたこの水辺が、往時の土地の記憶を伝えている。

 しかしここの風景もこの数年で激変したようだ。運河に架かる北品川橋からの眺めは非常に東京的。品川グランドコモンズの南端に、Vタワーという三角形の超高層マンションができてから、ここからの風景は良くも悪くもフォトジェニックになった。

 東京の都市風景をテーマにした写真Blogをちらちら見ていると、最近はここの景色がしばしば登場する。肯定的にも批判的にも考えられる風景だと、私は漠然と考えていて、とりあえずこの風景については態度保留。

 肯定的というか、批判的ではない視点からの場合、撮影者はこの新しい風景の登場をある意味、楽しんでいる。古めかしい江戸~昭和の建物景観と平成の新建物が調和しながら共存する風景と捉えている。木造建物に住まう生活と、高層マンションに住まう生活の不思議な共存、そして、高層ビルで働く人たちが、休みになると屋形船で遊ぶ。アジアンな都市生活の楽しみが東京には生まれているという楽天的な見方、またバブル期に起こったウォーターフロントブームは一過性だったが、その後十数年を経て、ウォーターフロントは着実に東京の人々の生活の一部にまたなっているという立場からの未来志向の捉え方、捉え方はいろいろあるが、とにかく新しく生じた風景を許容する人、そして更に、この風景の増加を歓迎する人が確かにいる。

 一方、批判的な立場からこれを取り上げる者は、この風景を調和ではなく、混乱と捉えている。以前からの建物がなす景観こそが安定し調和したものであり、背景に現れた新建物は乱入者、景観の破壊者であると考える。まず一つ、建物のギャップが問題なのだろう。素材、大きさ、高さ、新しさ、前景の木造家屋群と、後景の超高層マンションは、様々な面で両極端のように異なる。また、そこに住む人の生活様式のギャップも問題とされる。昔ながらの地域コミュニティが残る街と、核家族でバラバラになった世帯群。海に大きく関連した生活と、海に近くても海とは全く関係のない生活。東京という都市の奇妙な断面が、不釣り合いな断層として表面に現れているという見方もされる。新しく造られた建物の景色に馴染めない一方で、その昔、江戸からの和風の風景にノスタルジーを感じ取る向きもある。木造の苫屋が本物で、超高層マンションなんて生活感がなくて薄っぺらだなんていう、やや観念的かつ感情的な見方も混ざり込んでいる。

 中央区佃島で大川端リバーシティの建物が林立するようになったとき、佃島の古い木造建物群と小舟、佃小橋などの古めかしい風景の背後に、超高層マンションが聳える風景の写真が、しばしばメディアに登場していた。一昔前は佃、最近は品川の船溜まりの風景が、海に近い街・東京をよく表す写真なのかもしれない。

 メディアにこのような写真を載せる時、たいがいその背後には何らかの意図がある。上記のような肯定的もしくは、否定的という見方、もっと直接的に美醜や善悪を語るもの、郷愁や愛着を表現するもの、などなど。様々な意図が、都市に対する写真家のスタンスが、そこからは読み取れる(ハズ)。

 でもシンプルに、好きか嫌いかという視点で表現する人は少ない。そんな個人的な好き嫌いだけの価値判断だと、社会性がないとか、芸術性がないと言われかねないので、少なくとも写真表現をする人たちは、何らかの意図とか価値観を社会に対して発信すべく、無理矢理にでも意図を込めて表現に取り組んでいる(と思う)。

 風景を見るときには、好きか嫌いか、という見方と、正しいか正しくないか(良いか悪いか)、という見方があるようだ。言い換えれば、主観的で感情的な見方と、客観的で冷静な見方、とも言えるかもしれない。

 この話はしばしば、物事の判断の仕方の男女の違いとも言い換えられたりする。曰く、前者が女性的で、後者が男性的だという捉え方。 その真偽はともかくとして、都市の風景を考えるとき、ここで言うところの男性的な考え方には限界があるなと、最近私は考えている。正しい景色とか、良い景色とかいう議論には、なんだか虚しさを感じてしまう。議論してもきりがないという感触と、そもそも風景に対して、正しいとか間違ってるとか、良い悪いって評価をすること自体どうなのよ?、という感覚がある。最近はその手の議論には与したくなくなっている。so what?、それで?、という感じ。

 無気力というわけではない。好きな景色はある。嫌いな景色もある。ただそこに、今の私には善悪を断ずる正義感がない。

 さて、天王洲運河、北品川橋からの風景を私は好きか嫌いか?

 答えは・・・・わからん!

 印象的な風景だとは思う。写真に撮っておきたくなる景色だとも思う。でもそこに立つと、先ほどの言いぐさとは裏腹に、なぜか、良い景色とは?とか、悪い景色って・・・という思考が、いつの間にか脳内を駆け巡ってしまって、好き嫌いが判断できなくなってしまう。

 私の中のどこかに、まだ善悪を決めなければとかいう、尊大な気持ちが残っているのかもしれない。

 この時の写真は、晴天で抜けるような青空、穏やかな休日の午後の静かな風景である。黒い雲が流れるどしゃ降りの時とか、曇天でビル群が霞むような写真だったら、その印象は大きく異なるだろう。朝日にビル群が輝く風景、ビル群が夕日に照らされ手前の木造家屋が暗く沈む風景、はたまたキラキラとマンションの灯りが点る夜景、それぞれにフォトジェニックであろうことが想像される。現在の東京を端的に示しているという意味で、やはりとても面白い、興味深い風景だ。

 だが、そこまで考えても、この風景の好き嫌いは分からない。

#古い建物 品川区  #新しい建物 品川区  #街並み 品川区 
#眺望  #高層ビル  #海・川・池  #船  #住宅系 
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東品川あたり

2006-10-22 | 品川区  

 旧東海道からちょっと外れて海の方へ。

銅板張り二階建て
所在地:品川区北品川1-22
Photo 2006.3.11

 旧東海道の街道沿いには、出桁造りの町屋や看板建築といった古い建物がところどころに残るが、一つ裏側の方にも銅板張りの木造建物や、洋室付きのいわゆる文化住宅などが残っていたりする。写真の家屋は、一階が居酒屋か何かの店舗に改装され、まだまだ現役。角地建物でもあり、銅板部分が多いせいもあるのか、結構目立つ。場所の印象を左右するようなランドマーク的な建物には、できるだけ残っていて欲しいなと思う。


2022.12.30追記
 1953年発行の火災保険特殊地図では「山川菓子店」。1985年発行の住宅地図では「うなぎ荒井家」。2022年時点のGoogle Mapでは「居残り連」という店になっている。



天王洲運河そばの路地
所在地:品川区東品川1丁目
Photo 2006.3.11

 天王洲運河の船溜まりに掛かる北品川橋を渡ると東品川1丁目。橋のそばには、釣り船業者や船宿業者の建物が建ち並び、周辺には小さな路地もいくつかあり、木造住宅が建ち並ぶ。

 この密集感の雰囲気は、山の手の密集地には少ない気がする。はっきりした根拠はないのだが、佃・月島、築地、品川など、なぜか下町系の密集地に共通する雰囲気だ。建物が長屋状に同じ向きに並んでいる細長い路地であるためかもしれない。

 左の写真の路地の奥は、以前の記事で紹介した小さな階段。東品川のこの路地のある一角は、北品川橋のたもとの小さな下り坂から、更に階段を下りた先にある。かなり船着き場の水辺に近い高さで、高潮などになったら潮をかぶってしまうのではないかと思うような場所だ。

 釣り船や屋形船のお仕事を通して海と関わっている方はおられるようだが、漁業に携わる方は減ってしまった。それでも東品川の密集地の街並みは、不思議に海辺の印象が強いものだった。

#古い建物 品川区  #街並み 品川区  #路地
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北品川の草むら階段

2006-05-23 | 品川区  

 高輪で階段三昧・おまけ。前回のちょっと南側、港区との区界近くの階段。

所在地:品川区北品川6-4と5の間

 住所は品川区内だが、高輪南部の階段巡りでついでに行っておきたい場所。老朽化した木造住宅(どうやら無人)わきの路地を入っていくとめざす階段はある。通る人は少ない。足下がかなり悪くて崩れてしまいそうだから。

 階段下の木造住宅には蔦が絡まって、玄関脇にも雑草が生い茂りほとんど幽霊屋敷状態。かなり廃墟感が漂う。毎回、訪れる度に、建物も階段も無くなってしまっているのではないかと心配なのだが、不思議に変化がなく、かれこれ十年以上が経つ。草木は伸び、建物は朽ちてきたが、階段は残り続けている。

 石段は老朽化して崩れかけている。上りはまだなんとかなるのだが、下るのはかなり危険だ。上から見ると足を滑らせて下まで落ちてしまいそうな気がする。

 しかしこんな草ボウボウの石段が都心にあること自体がかなりの驚きだ。近くにはソニーの研究所やオフィスがあり、ネクタイ姿のサラリーマンが行き交う。そのすぐ裏手にほったらかしになった道がある。ピカピカの都心と、そのイメージからかけ離れたまるで山奥の村のような場所が、奇妙に同居しているのが、今の東京の面白さ、不思議さなのかもしれない。

 石段を上りきって振り向くと遠方に緑に覆われた島津山の丘が見える。木立の中には、J.コンドル設計の清泉女子大学本館の姿も垣間見える。意外な眺望の良さに改めて感心しつつ高輪の台地上に至る。

 ところで、住宅地図を見ると階段の南側はどうもお屋敷のようで、ほとんど未利用の斜面樹林が広がる。台地上の日当たりの良い西南端への立地は、昔の邸宅の典型的な立地スタイルでもあり、その形式を今に残しているのは実は貴重なことかもしれない。

Photo 2006.03.10

#階段・坂 品川区  #路地
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