本を出してから暫く経つが、今でもたまに誤りに気づく。
p.156 愛宕男坂(出世の階段)→(出世の石段)
別称として「出世の石段」と呼ばれるが、出世の階段とは呼ばれておらず。
p.85 市谷亀ヶ岡八幡宮男坂
総高低差9.3m →12.1m(下部9.6m/上部2.5m)
p.218の表中の記載も同様に誤記
蹴上20cmで48段という時点でそもそも計算が合わない。しかも上部のデータが抜け落ちている。なぜこういう間違いをしたか自分でもわからない。
p.133 荒木町・仲坂
昭和七年八月という施工年 →昭和七年六月
標石が古くなっていて字が読みづらく、漢字の八と六を読み違えていた。
p.28 六本木・不動坂
「今昔東京の坂」岡崎清記(日本交通公社刊)1981、「江戸東京坂道事典」石川悌二(新人物往来社刊)1998によれば、不動坂は六本木3-6と3-15の間だという。どこかで勘違いして、六本木3-8と13の間のこの階段を不動坂と思いこんでしまった。この階段が不動坂だという資料を見た気もするのだが誤りのようです。
階段の下の墓地沿いの道が閻魔坂なので、この階段は「閻魔坂へ向かって下る階段」ということになります。
誤りではないが、ちょっと訂正。
p.141 不動坂
所在地/北区東田端1-17 →東田端1-17~田端1-22にかけて
(上部の数段と階段の両側は、田端1-22)
以下は訂正ではないが、追加情報。
p.180 六本木6丁目の逆S字階段
写真は1996年撮影。
p.188~189 松光寺参道
p.188のカラー写真は1997年撮影。p.189のモノクロ写真は1996年撮影。
出版後に改築など、変更があったもの。
p.18 愛宕山西斜面のアプローチ →建て替えにより消滅
p.86 本塩町の急階段 →階段下両側の建物が建て替え
p.89 六本木の小階段 →通行不可とされた。
p.103 高輪のS字型抜け道階段 →途中の極めて狭い抜け道部分が拡幅された。
p.156 愛宕男坂(出世の階段)→(出世の石段)
別称として「出世の石段」と呼ばれるが、出世の階段とは呼ばれておらず。
p.85 市谷亀ヶ岡八幡宮男坂
総高低差9.3m →12.1m(下部9.6m/上部2.5m)
p.218の表中の記載も同様に誤記
蹴上20cmで48段という時点でそもそも計算が合わない。しかも上部のデータが抜け落ちている。なぜこういう間違いをしたか自分でもわからない。
p.133 荒木町・仲坂
昭和七年八月という施工年 →昭和七年六月
標石が古くなっていて字が読みづらく、漢字の八と六を読み違えていた。
p.28 六本木・不動坂
「今昔東京の坂」岡崎清記(日本交通公社刊)1981、「江戸東京坂道事典」石川悌二(新人物往来社刊)1998によれば、不動坂は六本木3-6と3-15の間だという。どこかで勘違いして、六本木3-8と13の間のこの階段を不動坂と思いこんでしまった。この階段が不動坂だという資料を見た気もするのだが誤りのようです。
階段の下の墓地沿いの道が閻魔坂なので、この階段は「閻魔坂へ向かって下る階段」ということになります。
誤りではないが、ちょっと訂正。
p.141 不動坂
所在地/北区東田端1-17 →東田端1-17~田端1-22にかけて
(上部の数段と階段の両側は、田端1-22)
以下は訂正ではないが、追加情報。
p.180 六本木6丁目の逆S字階段
写真は1996年撮影。
p.188~189 松光寺参道
p.188のカラー写真は1997年撮影。p.189のモノクロ写真は1996年撮影。
出版後に改築など、変更があったもの。
p.18 愛宕山西斜面のアプローチ →建て替えにより消滅
p.86 本塩町の急階段 →階段下両側の建物が建て替え
p.89 六本木の小階段 →通行不可とされた。
p.103 高輪のS字型抜け道階段 →途中の極めて狭い抜け道部分が拡幅された。
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