川崎ハウス
所在地:港区六本木5-10
階数 :2F
建設年代:1960年代
解体年 :2005(平成17)
Photo 1995.5.27
鳥居坂の西側、国際文化会館の北側にあった戸建て住宅地。芋洗坂の坂下に敷地西側の門があり、写真はそちら側から撮ったもの。
大きな敷地の中に、モダンな洋風住宅が数棟建っているのが見えていた。当時の住宅地図で見ると外国人の名ばかり書かれており、目白通りの徳川ヴィレッジなどと同様の外国人専用の住宅地だったらしい。
ゲーテッド・コミュニティなどと呼ばれる住宅地は、アメリカなどでは富裕層を中心に、資産や身の安全を守り、高級住宅地としての快適性や価値を維持するために増えているのだそうだが、川崎ハウスもちょっとそれに似たものだったのかもしれない。ただ、アメリカのようなやや差別的なものというよりは、生活スタイルが異なる日本で外国人向けに造られた住宅群・住宅地という程度の意味だったのかもしれない。
明治の末頃から戦前期の地図を見ると、川崎邸という邸宅が国際文化会館(旧岩崎邸)の北側にある。戦前は東京川崎財閥の御屋敷だったらしい。戦後、川崎財閥は解体され、川崎定徳株式会社という不動産会社になったそうだ。昭和30~35年の1/10,000地図には建物が記されていない。
1963(昭和38)年の東京都全住宅案内図帳に「アメリカ大使館職員ハウス」として記載されているのが最初のようで、その後、川崎ハウスという名になったようだ。
川崎ハウス敷地内の階段
型 :クランク
備考 :同じ写真を「東京の階段 DB」内にも掲載。
> No.0197 川崎ハウス敷地内の階段
Photo 1994.9.2
実はこの敷地内には階段があった。麻布台の高台を背にしたこの住宅地には、敷地内にかなりの高低差があり、その上下をつなぐ階段が造られていた。当時はあまりこの手の住宅地を撮っていなかったのだが、階段の存在のおかげで、このやや閉ざされた住宅地にもちょっと興味を持って写真を撮ったのだった。ただそこから先、いろいろ調べたり、内部に入ろうと試みたりは結局しなかった。今、思えば、管理人さんに頼んで、近くで見せて貰ったり上らせて貰えば良かったと思う。だいいちその後、10年ほどで無くなってしまうとは思ってもみなかった。
当時はまだ単なる学生で、入りたい理由を訊かれても、ちょっと近くで見たいからという理由しかなかった。今なら名刺を出したり著書を見せて、都市の研究の一環でとか、階段研究者なので、みたいなごり押しもできるかもしれないが、当時は門のそばからのぞき込んでチャチャッと写真を撮ってそれでおしまい。でも階段の上はどうなっていたんだろう? 後悔先に立たずなんだけど、写真を見かえすたびに気になる。
こういう閉ざされた場所に興味がないわけではないが、管理してる人の立場とか住民の気持ちなどを考えると、無理を言って入るのは憚られる。ずかずか上がり込んだり入っていくのは相変わらず苦手だし、性に合っていない。だからもちろん、今でも自ら進んで「階段研究家なんです!」と名乗ったりはしない。トンデモ研究家みたいだからなぁ。でも最近は、どうもそういうコトになってしまってるらしいし、他に活動内容を形容する適当な言葉が見あたらないので、そう呼ばれることについては甘受することにしている。
川崎定徳株式会社
Wikipedia - 東京川崎財閥
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