都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

古河総合ビルヂング

2011-01-06 | 千代田区 
古河総合ビルヂング
所在地:千代田区丸の内2-6
建設年:1965(昭和40)
構造・階数:SRC・9F
備考 :2006年解体。
Photo 2006.2.4

 丸の内2-6の街区には、八重洲ビルヂング(1928年竣工)、古河総合ビルヂング(1965年竣工)、三菱商事ビル(1971年竣工)の三棟が建っていたが、2006年に全て解体されてしまった。跡地には丸の内パークビルディングが2009年に完成している。上の写真は解体の少し前に丸の内仲通り側から撮影したもの。

 数年前までは、戦後のモダニズム系のオフィスビルにまだあまり関心がなかったので、全景写真は撮らずじまいになってしまった。昨年末に記したJAビル(旧農協ビル)と同じ年に完成したビルで、この建物の完成時には、建築基準法は改正されており(1963年)容積率制に移行していた。ただ確認申請時にはまだ軒高が100尺に規制されていたのではないかと思われる。

 当時の丸の内のオフィスビルの多くは、2階までは柱を見せて、かつ壁面を若干後退させて軒下部分をつくっていたようだ。一方、3Fより上の階は窓が連続する横連窓で、窓と床(天井から窓台の下まで)が交互に帯状に重なる、いわゆるモダニズムオフィスのデザインになっている。丸の内に限らず、1960~70年代頃は規模の大きなオフィスビルの多くがこのようなデザインだったように思う。

 某blogでは、三菱地所設計のビルには黒い柱の外観を持つものが多く、それが特徴の一つだと書かれているが、この建物でも外周の柱には黒御影石(たぶん)が張られており、重厚感や高級感を演出している。また、遠くから見たときにガラス部分と似たような明るさの柱にすることで、垂直方向の柱の姿を暗く目立たないようにしており、その結果、明るい色の腰壁がつくる水平方向の帯が目立ち、水平の層が重なっているように見えている。収縮色の黒にすることで、柱をやや細くスマートに見せようとしたとか、全体の印象をモダンで軽快な雰囲気にしようとしたというのもあるかもしれない。

 3階以上では、柱は窓ガラス面と同一面を成していて、出っ張っていない。写真ではよく見えないが、柱の部分にも景色が映り込んでおり、光沢感が石のようではない。資料を持ち合わせていないのではっきりしないが、柱部分にもガラスが嵌められていたような感じに見える。

古河総合ビルヂング(手前)
八重洲ビルヂング(中)
三菱東京UFJ銀行本店(奥)
Photo 2000.8.6 (Photoshopで遠近感を若干補正)

 コーナー部分の腰壁は丸められている。柱があるので角部分は窓ではなく、カーブを描いたパネル状になっている。3~5Fの角は光沢のある素材で、ガラスかアクリルパネルのように見えるが、6Fと7Fはそれより光沢がなくマットな感じ。曲面ガラスはまだあまり使われていなかったのではないかと思うが、設計図などを見たことがないし、この写真だけではわからない。

 なお、古河ビルの1F角に見えている「胡同」の文字は、同ビルに入居していた「胡同 MANDARIN 丸の内」(2000年8月開業~2006年5月閉店)のこと。

 増改築を重ねてできた建物だったらしく、下記、秋葉OLさんのブログを参考にすると、コメントにもあるとおり、内部に少し古い建物を内包していたそうだ。

1960(昭和35) 街区西南側に建っていた仲10号館別館の東側に建物を増築。
1965(昭和40) 仲12号館を取り壊し、古河ビル(1期)を建設。
1966(昭和41) 仲10号館と仲10号館別館を取り壊した跡に、古河ビル(2期)を建設。この時、1960年に建てられた仲10号館別館の増築部分は解体せず。
1971(昭和46) 三菱商事ビル竣工、古河ビルと外観を一体化

 ということになるらしく、仲10号館の増築部分を残して、周囲に順次新しい建物を造っていき、最終的にひとまとめにしたそうだ。仲10号館の増築部分と、後から建てた古河ビルでは階高が違っていたそうで、徐々に両者のフロアのずれが大きくなったいたのだとか。

秋葉OLの楽しみ探しくっついてるビルヂング【外見篇】
           くっついてるビルヂング【解明篇】

丸ノ内八重洲ビルヂング
丸ノ内八重洲ビルヂング1 解体直前の外観など
丸ノ内八重洲ビルヂング2 玄関ホール
丸ノ内八重洲ビルヂング3 解体中の様子

Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 千代田区  #オフィス  #モダニズム 

コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする