慶応大学病院別館
所在地:新宿区大京町30
建設年:1932(昭和7)
構造・階数:RC・3F(一部4Fに増築)
備考 :2009 解体
Photo 2006.2.19(本記事内の写真全て)
見に行こうと思えばいつでも見ることができたのに、結局いちどだけ外から見て、それきりになってしまった建物。Eの字型になった建物で、3F建て(一部4F)だったが、正面約70m、奥行き約65mと比較的規模の大きい建物だった。
信濃町の駅から線路沿いに西へ行き、慶応大学病院の西側の裏に回り込むと、3棟の近代建築が並んでいた。別館はその中で最も南側、中央線の近くに建っていた建物。この北側には北里記念医学図書館と、予防医学校舎がまだ残されている。
建物正面中央の玄関部分
昭和初期に完成した建物だが、モダニズム系のデザインと言ってよいのだろうか。外観にはいわゆる様式的な装飾がない。後年の改築で窓はアルミサッシに替えられており、エアコンの室外機が多数置かれ、その排水パイプが見え、また換気扇のダクトも目立つ。いかにも古い病院、といった感じで、様式的な近代建築のような味わいは残念ながらなかった。装飾がなく機能的な改修などが目立ってしまうのが、モダニズム系の建物の宿命なのかもしれない。
中央部分には4Fが増築されていたようだ。3Fまでと4Fの窓の様子が明らかに異なるし、また中央の窓の両側に、当初の屋上階(4F)から引かれたと思しき雨樋がある。増築部分を取り去って考えると、更に地味な感じに思えてしまうが・・・。
車寄せ内。天井が一部斜めになっていて、採光窓が付けられている。
玄関先の造りもモダンな感じ。車寄せの屋根の一部を大きく斜めにして、工場の天井のように採光窓を確保している。だが、解体を前にして手入れがされていなかったのか、塗装が剥げて、なんだか汚く痛々しい感じ。
張出部分がある翼部
張出部分は恐らく階段室だったのだろう。様式建築なら華やかに飾り立てられるはずのこの部分にもほぼ装飾がない。全体は窓台と庇部分が少し出っ張っていて、それが色違いの帯状になってアクセントになっているが、階段室周囲は各階の庇もない。幾何学的でちょっとロボットチックな印象。
中央正面から
全体に妙な威圧感というか迫力があったのが印象的だった。シンメトリーでやや規模が大きいことや、商業施設ではなく病院だったからなのかもしれないが、フレンドリーな感じの装飾がなく、素っ気ないデザインに感じられてしまったためかもしれない。
北側側面
北側の棟の中央部分も 4Fになっていたが、ここは増築だったのかどうか不明。3Fには上向きに斜めになった大きな窓が見えるが、これも内部の様子が分からない。また、表通りに面していない側面は、一層ごちゃごちゃ感があった。
跡地には新しい病院施設が既に建設されている。ガラス張りで規模も大きくてピカピカ。病院のような施設の場合、古くても良い感じに維持されているならよいのだが、古いばかりで清潔な感じでなく、寒々しく薄暗かったりすると、古い建物を大切にしましょうとは言いにくい。もちろん、外観は古くさくても、内部がきれいで安全で高機能だったら問題はない。だが、そういうコトはあまりなくて、外観がパッとしないと内部もパッとしないことが多い。そういう場合には、建て替えて暖かくきれいにしなければ、環境的にはやはりまずいなぁと思う。とはいっても、毎日ここで働いていた人とかにとっては、愛着のある建物だったのかもしれないが。
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