都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

旧 千代田区立千桜小学校

2011-05-26 | 千代田区 
旧 千代田区立 千桜小学校/千代田小学校
所在地:千代田区神田東松下町22
竣工年:1929(昭和4)
構造・階数:RC・3F
Photo 1996.10.10
備考
1993(平成5)年4月 区立神田小、区立永田町小と合併して、区立千代田小学校となる。
1998(平成10)年4月 新校舎が旧神田小学校跡地に完成し、千代田小学校はそちらに移転。
1999(平成11)年3月~2001(平成13)年7月 東洋高校仮校舎として使用。
2006(平成18)年 解体

 震災復興期に建てられた小学校なので、復興小学校といってよいのかな? ただ、復興小学校の特徴の一つとして挙げられる、復興小公園との隣接はないようだった。

 校舎はL字型。柱は中央が尖った形で、軒先には段が付けられており、直線的でシャープな感じがアールデコっぽい。

敷地南側の通りから   Photo 2005.3.27

 西側の棟の屋上には樹木も生えていたようだ。屋上庭園が造られていたのだろうか。

 2000年の住宅地図には東洋高等学校と記されている。東洋高校はもともと水道橋駅のそば、三崎町にある学校だが、どうやら校舎建て替えのために一時移転していたようだ。小学校として使われなくなった後、一時は私立高校に貸し出されたりしたが、最終的に取り壊されたということらしい。

体育館   Photo 1996.10.10

 体育館は戦後の建物だったのだろうと思うが、これも同時に解体された。

 都心では、児童の減少により学校の合併が多く、また昭和初期の校舎は耐震性の不足や老朽化を理由に建て替えられることが多い。しかし、実際は耐震性はさほど不足しておらず、むしろ、建て替えによって大型の複合施設を造りたいという思惑から解体が進められているとの話もある。

 旧千桜小学校の場合、現状の詳細は知らないが、Google SVやGoogle Mapで見る限り、まだ更地のままのようだ。次の使い道は決まっていないが、とりあえず壊しておいたということなのだろうか。

 卒業生からすれば、自らが学んだ校舎は残り続けて欲しいと思うだろう。補強などをした上で、用途を替えたりしながらでも残していけると、本当はよいのではないかといつも思う。

都市風景への旅近代建築東京都千代田区東松下町
東洋高等学校東洋高校の歴史
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #近代建築  #学校 
コメント (9)
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