都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

雑感

2012-10-05 | Weblog 

 学びたい学生には、こちらもできるだけ応えたいと思う。でも学ぶ意欲の乏しい大学生に強制的に学ばせる必要はあるのだろうか??

 義務教育については、なんとか修めて貰わねば困る。昔で言えば読み書き算盤。また現代社会の状況に鑑みると、高校レベルの教育も、ちゃんと受けておいた方が良いだろうねとは思う。でも大学教育って本質的には、より高次の教養や専門的な知識を身につけることや、深い理解力を持つに至ることが主たる目的であり、そういう教育を受けたい人が受けるもの。だから大学生に真面目に授業を受けなさいって叱ったり強制するのは、なんだか筋が違う気が以前からしている。

 全入の時代と言われ、希望すればどこかの大学には入れる時代ではあるが、大学にまできて、ちゃんと 授業を受けなさいって言われたりするのって、かなり情けない話だ。あ~、この問題はかなり前から私の中で懸案事項になってるんだっけなぁ。

 必修の単位だと、仕方なく受けてる学生もいたりはする。でも私がやってるのは選択科目。シラバスに沿ってやってるんだから、興味がないなら選択しなければいいのに・・・。それに、単位を取りたいだけなら、もっとラクに単位をくれる授業もあるはず。面倒なのにわざわざ選択して、教室に来て、授業を聞かずに別の活動をする。行動がかなり矛盾していてメチャクチャ。

 若者は迷っているのだ、といえば聞こえはいい。でも、その割に現在の彼らは効率を重視する。そして「効率的に要領よく」と考えてる割に、全然効率が良くない。よく考えないと実は要領よくやれないわけで、結局のところ、あまり考えてないんだなと思わせられる。言ってることとやってることの間に矛盾や乖離が相当あって、詰まるところ行動がムダだらけだ。このへんも、ちょっと私の今までの常識的感覚や想像を超えてるところがある。

 今までは、あまり意欲のない学生にも意欲を持って貰おうと腐心してきたのだが、ここへ来て、なんだかそういうことがすごく徒労に思えてきて、馬鹿馬鹿しくなってきた。大学の方からは、問題のある学生はサポートするので、連絡して下さいっていう紙を貰った。うがった見方をするなら、そういう学生でもちゃんとフォローする大学ですよってことなわけで、これは大学の運営としては正しいような気もするが、でもなんだかやっぱり本質的なところで筋が違ってる気がする。腫れ物に触るようにして、卒業していって頂くって結果的に学生のためにもなっていない。

 アメリカの大学は入るのは簡単だけど卒業するのは難しい、という話をしばしば聞く。全入の時代になって大学に簡単に入れるなら、卒業するのが難しいアメリカ流?にしたらどうなのよ、と思う。アメリカの大学生は日本の大学生より遙かに長時間勉強をしているという(それでもアメリカの地理的位置がわかんない大学生も多いみたいだけど・・・。)。最高学府としての大学という本来的な立場に戻って、学生は学業に専念すべし、さもなくば置いていくぞという環境にすることが、ひいては大学のレベルを上げることにもなるのではないかとしばしば思う。

 理想は、関心の高い学生だけが来てまともに受講してくれることで、他は来なくていいや、っていう気がしてきた。義務感で来てもいいけど、その場合は邪魔しないでね。寝てても良いから・・・。大学生なんだから、そのくらいは自覚しようよって思うのだが、そのあたりの常識的感覚が全く通用しないあたりもぶっ飛んでる。

 そういう体制にする方が「互いのため」にも良いのかなぁ? どーしようかなー・・・。

コメント
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