本郷館
所在地:文京区 本郷6-20
構造・階数:木・3
建設年:1905(明治38)
解体年:2011(平成23)
Photo 1997.7.25
木造3階の大型下宿。明治期後半の建物で、文化財級だとも言われていたが、老朽化、耐震性の不足、火災の危険性などから、家主が建て替えに踏み切って解体された。全体は中庭のある鋭角のL字形。木造下見板張りの総3階は都内では珍しく、現地で見ると圧倒的な迫力のある建物だった。
Wikipediaなどによれば、当初は旅館、大正期には東京女子高等師範学校(現 お茶の水女子大学)の寄宿舎だったりもしたそうだ。その後、1919(大正8)年頃に賄い付きの下宿になり、以降、経営者が変わったりはしたが下宿として多くの人が住んでいたという。
1990年代には外壁の補修がされたりもして、維持しようとしていたことが窺われる。
Photo 2002.6.17
5年もすると外壁の板の色は周囲と同じになっていた。この間、トタン屋根も塗り直されたようだった。
Photo 2007.2.3
本郷館は本郷台地西側の崖上に建っていたので、清水橋の架かる谷の側から見ると石垣の上に聳えており、迫力のある姿を見せていた。
崖下、清水橋の架かる谷の道から Photo 2007.2.3
南北方向に長い建物だったので、西側から見ると手前のビルなどよりかなり大きかった。
Photo 2007.2.3
谷へと下る道沿い、東北側のようす。壁面が3階まで一気に立ち上がっている様子は他にはないもので迫力満点。しかし一方で下見板張りの巨大な壁を見て、もし火事などが起こったら大変なことになるだろうなと思ったことも事実。
Photo 2008.6.4
東北側、坂下側からのようす。敷地の関係で北側は鋭角をしていた。坂下側から見ると土台の高さも加わって尖った姿が更に強調され、正面から見た時とは全く異なり、高く聳え立つ印象になっていた。
Photo 2007.2.3
一部の部屋は出窓になっており、それも大きな壁面に変化を与えていた。外観デザイン上の意図ではなく、恐らく内部の間取りの関係だろうが、小窓があったり、雨戸のある窓と無い窓があったりするのも複雑さを増すことに繋がっていた。
Photo 2007.2.3
基礎部分は煉瓦。一段ごとに長手積みと小口積みが交互に繰り返されるイギリス積みになっていた。そのうえに細長い石を並べ、石の束を置いた上にベースの木材を渡している。長年の経過で基礎の煉瓦も含めて全体がやや歪んでいるようだった。
江戸東京たてもの園への移築などができれば良かったのになぁと、写真を見返すたびに思う。
本郷館/本郷6丁目 - ぼくの近代建築コレクション
本郷館 - Wikipedia
Tokyo Lost Architecture
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