旧 陸上自衛隊十条駐屯地 赤羽分屯地(赤羽駐屯地)
所在地:北区 赤羽西5-2
建設年代:1917〜30(大正6〜昭和5)
解体年代:2002〜03(平成14〜15)
パノラマ画像:左右にスクロール可能です。
Photo 2002.9.29
十数年前にナショナルトレーニングセンター陸上トレーニング場と北区の赤羽スポーツの森公園に転用された場所。1995年までは陸上自衛隊の十条駐屯地赤羽分屯地でどうやら兵器庫だったらしいが、廃止された後は数年間使われていなかったようだ。
写真は解体の直前に西側の都営アパートから撮影したもの。左奥の方に見えるのは1999年に開園した赤羽自然観察公園の緑。
この場所は戦前は旧陸軍の兵器庫だったが、それがいつ頃建設されたのか詳細は未把握。以下は手もとの地図や航空写真、その他の情報による把握状況。大正時代後半から昭和初期の時期に建設されたものではないかと思われる。
「陸地測量部 25,000地形図」(1917〜28年測図・修正)にはまだ記載がない。
「岩淵町全図」1931年発行では、陸軍兵器庫。
終戦時には陸軍東京兵器補給廠。
戦後、GHQに接収されてTOD第2地区となる。一部(おそらく自然観察園の側)は米軍戦車練習場。
1958年、日本に返還され、陸上自衛隊十条駐屯地赤羽地区となる。
1970年代〜90年代前半の住宅地図では、陸上自衛隊十条駐屯地赤羽分屯地。
1995年 陸上自衛隊の当該地の機能が茨城県土浦市に移転。
2001年の住宅地図では、施設名の記載なし。建物外形の記載はあり。
2003年の住宅地図では、敷地全体が空白になり、建物も解体済み。
2008年1月21日 ナショナルトレーニングセンターの陸上トレーニング場が開設。
2010年4月1日 赤羽スポーツの森公園競技場が開園。
2003年には住宅地図でも建物の記載がなくなり解体済みになっているので、この写真の少し後には解体作業が始まったようだ。
敷地内西南側にある建物が分屯地で最大のものだったようだ。外観上は2階建て(中央部は3階建て相当)で、東西の長さが100m近い大きな倉庫だった。
南側中ほどの門から
自衛隊が使用していた頃は撮影できなかったのではないかと思うが、この時は既に移転した後だったので門の前で撮ることもできた。
西が丘サッカー場交差点の歩道橋から
かつては同施設西南端の西が丘サッカー場交差点に歩道橋が架かっていた。この写真はその歩道橋上から撮ったもの。塀で囲まれた場所で内部の様子はあまり分からなかったが、周辺にはある程度の高さの場所があり、覗き込めないわけでもなかったのでした。
この写真も同じく歩道橋上から撮ったもの。外から2階へ上がる階段や、2階へ直接物資を搬入する台など、独特な設備も印象的だった。
Tokyo Lost Architecture
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