
高輪プリンスホテル別館・古稀殿(後方は高輪プリンスホテル本館)
所在地 :港区高輪 3-13-1
建設年代:明治期?
解体年 :1996(平成8)頃
備考 :旧竹田宮邸和館の表車寄を移築したもの
Photo 1989.4.7
高輪プリンスホテルへ至る、さくら坂という坂道の途中に、立派な和風建物が以前は建っていた。現在は高輪プリンスホテルさくらタワーが建っている場所。当時はさほど気に留めていなかった。というのもあれだけ立派な建物なので、かなり古いのではないかと思い、そういうものがあっさり取り壊されるとは思っていなかったから。
プリンスホテルは、赤坂プリンスホテル旧館、高輪プリンスホテルの旧館など、宮様の邸宅をレストランなどに転用しながら保存しているので、この和風建物も保存していくものとばかり思っていたのだが、しばらくぶりに行ってみたら、跡形もなく建物は消え、高層ホテルが建てられていたのだった。遠くから撮るだけでなく、近くまで行ってちゃんと写真に収めておけばよかった・・・。
しかしこの建物、なんだったんだろう? 気になったのでホテルにちょっと問い合わせてみた。変なこと聞く奴だなと思われたかもしれないが、さすがホテル、丁寧に応対して下さった。
さくらタワーのオープンは1998年10月、それ以前にあったのは、古稀殿という高輪プリンスホテルの別館で、中国料理レストランだったのだそうだ。同名のレストランが、現在も高輪プリンスホテル内にある。写真を見て貰ったわけではないので、正確には分からないが、電話での回答によれば、どうやら写真に写っているのは古稀殿らしい。さくらタワーがオープンして8年経つのだから、この和風建物は10年ぐらい前には取り壊されていたのかもしれない。
中国料理レストランだった場所が、13階建てのホテルになったわけで、レストランとしてだけでなく、宿泊、宴会、その他様々な形で利用できることになった。ホテルが古い低層棟をそのままにせず、建て替えて利益を上げていこうと考えるのは当然だろう。都心の民間敷地内にある建物は、指定や保存策がない状態では、保存や維持が大変なのは想像に難くない。でももう少し巧い方法が無かったのかなとどうしても思ってしまう。
ちょっとした問い合わせで判明したのはここまで。この和風建物がいつ建てられたのか、プリンスホテルの和風別館になる前にはどのような使われ方をしていたのか、などまでは分からなかった。気になるけど、とりあえず現段階ではここまでにしておく。
昔のことは機会があったら図書館などでまた調べてみようと思う。
2025.1.6 コメント欄の情報ほかを元に、建設年代、解体年、備考を加筆。
Tokyo Lost Architecture #失われた建物 港区 #ホテル
93年に学校に入ったときには、どうだったのかなぁ・・・。
ちなみにここから高輪に抜ける辺りには、企業の持つ別館が多くあり、東芝(古い洋館)、三菱(古い日本家屋)、山一證券(たしか日本家屋:すでに無し)、味の素(古い日本家屋:建替え済み)とかありますね。
毎日、このあたりを歩いて通っておられたのは、ちょっとうらやましいです。
忘れていた風景です。
私のblogのどっかに書きましたが、私も、このさくら坂を通学路にしていた時期がありました。
ところで、「推測」の内容ですが、
高輪プリンスは、戦後、旧竹田宮邸を下敷きに開業されましたが、その洋館部分が現役で、向かって右側には、かつて広大な和館が連なっていました。
高輪プリンスの建設の際、和館部分が整理されたようですが、その一部を移築したものではないでしょうか。(当初、高輪プリンスの品川からの玄関口として、何か欲しかったのでは...西武さんが)
付言しますと、戦後、間もない頃の写真資料を見ると、ここには建物がないように見えます。
どなたか、御存知の方がいらっしゃるかなと思って、半端な情報のまま投げかけてしまいました。いろいろご示唆を頂きありがとうございます。このままだと気持ち悪いので、今後、追々調べてみます。
情報をお教え頂き、ありがとうございます。
細かい経緯までは存じ上げなかったので、大変参考になりました。