旧サンエス(SSS)
所在地:江東区 東陽1-28
構造・階数:木・2
建設年:昭和20年代
解体年:2012(平成24)
Photo 1995.7.15
東陽町はかつては洲崎弁天町という埋立地で、1888(明治21)年に根津から移転して来た遊廓があった場所。そして戦後は「洲崎パラダイス」と呼ばれる赤線街になっていた。この建物は「サンエス」というカフェー建築で、東陽1丁目の中心を南北に通る大通りに面して建っていたもの。サンエスは「SSS」のことらしいが、その意味は知らない。
戦前は橋本楼という遊廓だったと書かれたりもしているが、一帯は東京大空襲でほぼ全て被災しているので、この建物じたいが橋本楼だったわけではなさそうだ。被災前にこの場所にあったのが橋本楼で、同じ業者が運営していたのかもしれない。
赤線の廃止後は数軒の店が入居していた。90年代の住宅地図には角から八百周、花秀園、信濃屋支店、山口精肉店の名が記されており、八百屋、鮮魚店、精肉店などがあるマーケットのようなものだった。
カフェー建築としては間口が大きな建物のように思うが、交差点の反対側、離れたところから見ると屋根が3つあるので、実際は3棟が連続した建物だったようだ。
Photo 1995.7.15
角を曲がった東側部分には柱が青く塗られたベランダがあり、アーチ型の壁が付いているのが目立っていた。日射しを遮るためのシートが下まで掛けられていたので中の様子はあまり見えなかったが、普通のお店屋さんになっていたので、1階はかなり改変されていたはず。
Photo 2009.8.1
コーナー部の2階には壁面に半球状の灯りが付けられていた。昔の遊興系建物は軒先に灯りを並べて吊ったりしていることが多いが、ここでも壁面に灯りを並べて、通り掛かる客を呼び込んでいたのだろう。
洲崎パラダイスについて記された本などでしばしば掲載された建物だったが、10年ほど前に解体され、現在は9階建ての共同住宅になっている。
参考文献:
『赤線跡を歩く』木村聡、自由国民社、1998
『花街・色街・艶な街 − 色街編』上村敏彦、街と暮らし社、2008
弁天マーケット/東陽1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
今も残る赤線時代の建物「洲崎パラダイス」 : ~東京レトロ散歩~
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 江東区 #遊興施設 #マーケット ブログ内タグ一覧
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます