都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

ハナエ・モリビル

2011-06-11 | 港区   
ハナエ・モリビル
所在地:港区北青山3-6
建設年:1978(昭和53)
構造 :RC・SRC
階数 :5F・B1F・塔屋1F
設計 :丹下健三+都市・建築設計研究所
備考 :2010年解体。
Photo 2010.2.14

 森英恵のブランドキャラクター?である蝶をモチーフとして、空中から見ると蝶の形に見えるようにしたとも言われ、両翼部が前に出て、中央が引っ込んでいる。蝶の形云々はともかくとして、両翼を広げ、中央の前面に広場が取られて、人を呼び込むような形になっていたのは、贅沢なスペースデザインだったと思う。

歩道橋から  Photo 2004.5.8

 冬場はケヤキの葉が落ちて、建物の全体像が見えたため、ちょっと寒々しい感じにさえ思えてしまうところがあった。しかし夏場になると葉が繁って、建物は上の方しか見えなくなり、ミラーガラスにはケヤキの緑が映り込んで、街並みの中に溶け込んでいたりもした。一見するとクールなファサードだったが、表参道の緑をも考えに入れていたようで、ちょっと好感の持てるものだった。

解体直前の様子  Photo 2010.2.14

 青山近辺にはあまり行かないが、昨年の春先にたまたま通りかかったら、既に建物の周囲は一部囲いが造られており、いつ解体されてもおかしくない状況になっていた。天候の良くない状況で撮ったので、なんだか暗くてパッとしない写真になってしまった。前面の広場的な部分を撮らずに終わったのも残念。

 丹下健三設計による建物は、ギザギザで、前面の全体がミラーガラス張りでキラキラしていた。時期的には赤坂の草月会館(1978年)などと近く、全面ミラーガラス張りの先駆け的な建物だったかもしれない。この後には赤坂プリンスホテル新館(1982年)などが建てられるわけで、ギザギザ、カクカクでキラキラした結晶的なデザインを丹下さんは好きだったのかもなぁと思う。90年代に建てられた東京都庁は石張りだけどやっぱりカクカク。大津プリンスホテルなんかも全面ガラス張り。モダニズムの柱と梁のスケスケデザインとはまた異なる、キラキラした表皮をまとってなおかつ繊細なデザインなのが丹下さんの特徴なのかしら。

 しかし、日本を代表する建築家の代表的作品の一つが、あっけなく解体されてしまうというのは、なんだか複雑な感じ。建築に携わる人って、それが30年そこそこで無くなってしまうなどとは思わずに造ってるわけなので、使いづらいとか、古くなったとか、ちょっと儲からないとかいう理由で建て替えられてしまうのはとても残念。産業廃棄物のこととかもあるので、建て替えを決断する前にもう少しじっくり検討して欲しいなと思う。

中二階から - 2009-01-19ハナエ・モリビル-表参道の「建築×ファッション」の歴史を振り返る
建築物紹介サイト【ARC STYLE】 - ハナヱ・モリビル
ALL-A blog - ハナエ・モリビル、建て替え
nikkei BPnet 〈日経BPネット〉 - ハナエ・モリビルの解体始まる
都市の風景 Building and Subculture In Tokyo - (仮称)青山大林ビル建替計画 (仮称)表参道プロジェクト
Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 港区  #丹下健三  #モダニズム 
コメント (3)
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千代田区立今川中学校

2011-06-07 | 千代田区 

千代田区立今川中学校
所在地:千代田区鍛冶町2-4
竣工 :1929(昭和4)
構造 :RC
階数 :3F
備考 :2000(平成12)解体。今川中学校は2005.3に合併して廃校。
Photo 1996.10.10 敷地西北角から校舎北側

 昭和初期に建てられたモダニズムの学校建築。校舎北側の2階と3階に、一直線に横につながる窓が開けられているのが特徴的。出窓状に張り出したこの横連窓の部分は廊下だったのだろうか。一方、西側は「普通の」四角い窓が並ぶ。一見しただけでは、戦前のものには見えない典型的なモダニズム建築で、ある意味、素っ気ないデザインの建物だ。

 後付けだと思われるケーブルや配管が壁面に付いていたので、ちょっとごちゃごちゃした感じになっていたが、白い箱型の建物は完成当初は清新で美しく見えただろうなと思わせる。


校舎東北角の階段室と煙突 Photo 1996.10.10

 西北角の部分は階段室だったようだ。踊り場だったと思われるコーナー部分には、L字型に窓が張り出している。全体的に直線が多用されたデザインだが、煙突はややふっくらした感じで上方が細くなっている。また煙突掃除用の梯子と頂部の足場がちょっとしたアクセントになっている。

 Google S.V.で跡地を見てみると、煙突の基壇部分はまだ残っているようだ。ここはボイラー室だったのだろうか。

 窓や煙突など、ところどころに意外に個性的なデザインが施された建物だったのかもしれない。

ぼくの近代建築コレクション - 今川中学校/鍛冶町2丁目
廃景録 - 千代田区立今川中学校

Wikipedia - 千代田区立神田一橋中学校
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #近代建築  #学校  #モダニズム 
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割烹三田

2011-06-03 | 中央区  
割烹三田(料亭三田)
所在地:中央区日本橋中洲6
建設年:?
構造・階数:木2
備考 :1997~98年頃、廃業・解体。1999年にマンションが建設された。
Photo 1995.11.18

 映画にも出てきたことがある有名な料亭だったそうだ。跡地は現在、マンションになっている。

玄関前の様子  Photo 1995.11.18

 敷地の間口が長く堂々とした佇まい。壁面が汚れ古びてはいたが雰囲気のある外観だった。

隅田川堤防側から  Photo 1994.7.13

 木造モルタルの数寄屋風建物。川沿いの小さな庭には柳の木も立っていた。しかし堤防との間に挟まれて、裏庭のようになってしまっていたのは残念。堤防沿いにある植栽は、堤防上からの進入を阻み、視線を避けるために造られたものだったのだろうか。

清洲橋から  Photo 1990.5.11

 昔は高い堤防などはなく、御座敷からも川の様子がよく見えたのだろうが、かみそり堤防ができてしまって、水辺にあった料亭の風情はなくなってしまっていた。

清洲橋から  Photo 1994.7.13

 1990年代中盤には親水護岸が造られた。しかし堤防自体が無くなることはなく、結果的に料亭から水面の距離は更に離れてしまった。またこの頃になると周辺にはマンションが増え、料亭はビルの間にひっそりと佇む状態になっていた。

新潟大学人文学部情報文化課程 文化コミュニケーション 公式ブログ
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荻野洋一 映画等覚書ブログ > 中洲病院
中州町十三番地

その他、向島の料亭・明月
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#失われた建物 中央区  #街並み 中央区  #海・川・池 
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