都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

竹田ビル

2019-08-06 | 中央区  
竹田ビル
所在地:中央区新富町1-4
建設年:1927(昭和2)
構造・階数:木・2F
解体年:1997(平成9)
Photo 1995.6.20

 新富橋の橋詰めに建っていたハイカラな建物。撮影時点では使用されているか既に不明だったが、比較的綺麗な状態だったと記憶している。しかしほどなくして解体されてしまった。イオニア式風の柱が印象的。橋詰めという目立つ場所に建っていただけに残念。

ぼくの近代建築コレクション竹田ビル/新富1丁目

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区  #商業系  #看板建築  #モルタル看板建築 
2012.2.25
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新田ビル

2019-08-04 | 中央区  


Photo 1992.3.8

新田ビル
所在地:中央区銀座8-2
建設年:1930(昭和5)
構造・階数:RC・5F
解体年:2005(平成17)

 コーナー部分に入口があり、上部に装飾がついているのが特徴的。一階は正円アーチが連続するファサードデザインになっている。これは日本橋の丸石ビルや、新富町にあった帝興ビル、佐賀町にあった食糧ビルなどに似ている。街角に建つ都市的な雰囲気のある建物だった。

 当初はコーナー部分のみが5F塔屋だったのが、後で残りの部分も5階建てに増築されたのかもしれない。写真からのみの推測だが、コーナー部分だけ軒飾りが付いているので。ただ、その増築と思われる壁面に社名その他の飾りが付いているので真偽のほどは判らないのだが・・・。注)下欄追記参照。


コーナー部分の装飾 Photo 2003.12.29


解体直前の様子 Photo 2005.4.10


 Photo 2005.4.10

2007.2.25

2011.1.26 追記
 ぼくの近代建築コレクション新田ビル/銀座8丁目によると、5階は増築ではなく当初からあったものだという。

 この情報の出所は、新田ビル特集新田ビル誕生。昔の写真も載っているので、当初は塔屋付きの5階だったことは確かだ。しかし、なぜ5階はコーナー部分にだけロンバルディア帯を中途半端に巡らしていたのだろう?

 またそこには、コーナー部分に塔屋が、昭和61年(1985年)に撤去されるまであったと記されている。でも昭和61年は1986年で、元のWebsiteがそこを誤記しているため、塔屋撤去の年が、85年なのか、86年なのかは残念ながら分からない。

新田ビル/銀座8丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区  #近代建築 
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三ツ喜ビル

2019-08-02 | 中央区  
三ツ喜ビル
所在地:中央区銀座7-6
構造・階数:木・3F
備考 :焼失したため、1995〜96年頃に解体
Photo 1992.3.8

 ギャンブレル屋根の3F建て木造共同ビルで銀座では珍しい存在だった。ときどきTVで紹介されたりもしていたが、火災により焼失。あえなく消滅してしまった。

2022.2.6 追記
 建物名を知らないままだったが、最近になって改めて各方面を見返していたら、下記に掲載済みだったことがわかったので修正。

ぼくの近代建築コレクション三ツ喜ビル/銀座7丁目

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区  #近代建築  #ギャンブレル屋根
ブログ内タグ一覧
2012.2.6
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