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Photo 1992.3.8
新田ビル
所在地:中央区銀座8-2
建設年:1930(昭和5)
構造・階数:RC・5F
解体年:2005(平成17)
コーナー部分に入口があり、上部に装飾がついているのが特徴的。一階は正円アーチが連続するファサードデザインになっている。これは日本橋の丸石ビルや、新富町にあった帝興ビル、佐賀町にあった食糧ビルなどに似ている。街角に建つ都市的な雰囲気のある建物だった。
当初はコーナー部分のみが5F塔屋だったのが、後で残りの部分も5階建てに増築されたのかもしれない。写真からのみの推測だが、コーナー部分だけ軒飾りが付いているので。ただ、その増築と思われる壁面に社名その他の飾りが付いているので真偽のほどは判らないのだが・・・。注)下欄追記参照。
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コーナー部分の装飾 Photo 2003.12.29
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解体直前の様子 Photo 2005.4.10
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Photo 2005.4.10
2007.2.25
2011.1.26 追記
ぼくの近代建築コレクション > 新田ビル/銀座8丁目によると、5階は増築ではなく当初からあったものだという。
この情報の出所は、新田ビル特集 > 新田ビル誕生。昔の写真も載っているので、当初は塔屋付きの5階だったことは確かだ。しかし、なぜ5階はコーナー部分にだけロンバルディア帯を中途半端に巡らしていたのだろう?
またそこには、コーナー部分に塔屋が、昭和61年(1985年)に撤去されるまであったと記されている。でも昭和61年は1986年で、元のWebsiteがそこを誤記しているため、塔屋撤去の年が、85年なのか、86年なのかは残念ながら分からない。
新田ビル/銀座8丁目 - ぼくの近代建築コレクション
Tokyo Lost Architecture
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