都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

丸ノ内ビルヂング(丸ビル) その1

2019-11-12 | 千代田区 

 正面(東側)の堂々とした外観  Photo 1997.3.27
丸ビル(丸ノ内ビルヂング)
所在地:千代田区丸の内 2-4
建設年:1926(大正15)
構造・階数:SRC・8F
備考 :1997(平成9)閉館
解体年:1999(平成11)

 東京駅前に建っていた日本初のアメリカ式の大型オフィスビル。昔は「丸ビル何杯分」と数えられた象徴的な建築物で、詩や歌にも詠まれた。何杯分の基準はその後、霞ヶ関ビル、東京ドームと移り変わっていった。

 建設当時はいわゆる絶対高さ規制だったため、軒高は百尺(約30.3m)になっていた。戦後はメートル法になり軒高は最高31mになったが、昭和30年代まで高さ規制があったため、丸の内界隈の建物は皆、軒高がおよそ揃った状態になっていた。


 中央が丸ビル、手前右は新丸ビル、奥は八重洲ビル  Photo 1993.11.21

 明治〜大正期には煉瓦造のオフィスビル群が並び、一丁ロンドンと呼ばれていた丸の内界隈は、関東大震災後には丸ビルその他が立ち並び、一丁ニューヨークと称されたという。


 中央左 JPタワー、右 丸ビル、右端 新丸ビル  Photo 2018.8.6

丸の内ビルディング
所在地:千代田区丸の内 2-4
竣工年:2002(平成14)
構造 :S・一部SRC
階数 :37F・B4F
高さ :約180m

 新しい丸の内ビルディングは2002(平成14)年9月に完成。建て替えにあたって名前は「丸ノ内ビルヂング」から「丸の内ビルディング」に変更された。

 またこの丸ビルの建て替えをきっかけとして、その後、界隈では多くの建て替えが行われ、丸の内は高層ビルが林立する街並みに変貌した。

丸ノ内ビルヂング その2

Wikipedia > 丸ノ内ビルヂング新丸ノ内ビルヂング
      丸の内ビルディング新丸の内ビルディング

ぼくの近代建築コレクション丸ビル

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #オフィス 
#高層ビル  #近代建築 

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JRビル(旧鉄道省・旧国鉄)

2019-11-10 | 千代田区 


 Photo 1994.1.23

JRビル(旧鉄道省・旧国鉄)
所在地:千代田区丸の内 1-6
建設年:1938(昭和13)
構造・階数:SRC・8F
解体年:1998(平成10)

 鉄道省、国鉄、JRと移り変わった建物。装飾も少なくやや地味なデザインだったこともあって、遠くから撮っただけで終わってしまった。1・2Fは重厚な石張り、7Fと8Fの間に一つ軒庇をまわして、基部、本体、頂部の三層構成の外観としていた。


 Photo 1997.3.27

 築60年で解体され、隣接地のビルを含む一街区全体が丸の内オアゾとして再開発された。丸の内近辺は8〜9階建て、軒高100尺(30.3m、戦後は31m)のビルが建ち並ぶ街並みだったが、丸ビルをはじめとして次々と建て替えが進み、100〜200mの超高層ビルが建ち並ぶ街に変貌している。

廃景録国鉄本社 その1
ぼくの近代建築コレクション国鉄本社

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新丸ノ内ビルヂング

2019-11-08 | 千代田区 
新丸ノ内ビルヂング
所在地:千代田区丸の内 1-5
建設年:1952(昭和27)
構造・階数:SRC・8F
解体年:2005(平成17)
Photo 1993.11.21

 丸ビルに続いて新丸ビルも建て替えられた。丸の内界隈は、いつのまにか200m近いビルが林立する地区になった。20年ほど前、まるで墓石が並ぶような「丸の内マンハッタン計画」なるものの計画図を見て、げっ、と思っていたが、まさか数年でそれが眼前に現れるとは当時は全く予想できなかった。いま思えば、地主も少なく、借り手も協力的なグループ企業中心。建て替えが他の所より早く進んでもおかしくないのだった。


 Photo 2000.2.11

 跡地には、新丸の内ビルディングが2007.4.27にオープンした。丸ビルよりも大きな容積率を獲得したとかで、それもあってか、建物の形状が異なることになっている。完成前は同じ形で双子にしたらよいのにと思っていたが、出来上がってみると、違う形になったのもまあ良いかなと思うようになった。丸ビルと新丸ビルはただでさえ間違えやすいので、デザインぐらいは多少違っている方が良いのかもしれない。

 取り壊された二つの建物は、丸ノ内ビルヂングと新丸ノ内ビルヂング。
 新しくできた二つの建物は、丸の内ビルディングと新丸の内ビルディング。
 丸ノ内→丸の内、ビルヂング→ビルディング、と名称が微妙に変化している。

Wikipedia > 新丸ノ内ビルヂング新丸の内ビルディング
      丸ノ内ビルヂング丸の内ビルディング

ぼくの近代建築コレクション新丸ビル

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日本工業倶楽部

2019-11-06 | 千代田区 
日本工業倶楽部
所在地:千代田区丸の内1-4
建設年:1920(大正9)
構造・階数:RC(一部S)・5
ファサード設計:松井貴太郎(横河工務所)
備考 :保存再生
Photo 1998.10.31


 建て替え後の日本工業倶楽部会館部分 Photo 2003.3.26

 隣接のビルと併せて一体的に再開発された。当初は存続自体が危ぶまれたが、重要な部分を保存し、一部はレプリカ的に保存しながら超高層ビルとなった。背後の高層ビルは全面ガラス張りで、大きな違和感はない。もちろん本物を残すという意味では、惜しまれる部分も多々あるのだろうが、超高層ビル化の圧力が強い場所で、街並み景観をそれなりに存続させたことには、一定の評価がされてよいのではないかと思われる。
 ただし、超高層ビルを林立させること自体が富裕の象徴かどうかには、いろいろと疑問があるが・・・。

日本工業倶楽部会館・三菱UFJ信託銀行本店ビル
(完成当初は三菱信託銀行本店ビル)
建設年:2003(平成15)
構造 :S(一部SRC)
階数 :30・B4・R2
Photo 2004.11.24


 Photo 2003.3.26

 中央の屋上には殖産興業の象徴としての塑像が飾られていたが、これはリフレッシュされて真っ白で美しいものになった。

Wikipedia > 日本工業倶楽部

廃景録日本工業倶楽部
近代建築ホームページ日本工業倶楽部
日本工業倶楽部会館/丸の内1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #オフィス 
#近代建築  #高層ビル  #松井貴太郎(横河工務所)  #登録有形文化財

2012.2.25
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東京銀行集会所/東京銀行協会ビルヂング

2019-11-04 | 千代田区 
東京銀行集会所(銀行倶楽部)
所在地:千代田区丸の内 1-3
建設年:1916(大正5)
構造 :煉瓦造(鉄筋で補強)
階数 :2+塔屋
設計 :松井貴太郎(横河工務所)
備考 :ファサードを残して解体。超高層ビル化
Photo 1988.2.28


 東京銀行協会ビルヂング  Photo 1993.11.21

 恐らくパネル状にした煉瓦で外側を覆っている。旧来のような構造体として働きは失われている。塔屋部分は辛うじて4面あるが、南側の屋根は棟部分まではなく半端なものになっている。また車寄せが取り払われ、一方で東端には自動車進入口が設けられた。屋根も昔のような自然な銅板葺きではなく、あらかじめ工場で緑青をふかせた緑青銅板を用いているようだ。厚く処理を施しているのか、色合いがベタッとして、テーマパークの建物のような妙な色をしている。

東京銀行協会ビルヂング
建設年:1993(平成5)
階数 :19+B4
備考 :2016.12〜17.6(平成28.12〜29.6)に解体
Photo 2009.1.14

 1993年に竣工した東京銀行協会ビルヂングだったが、隣接する銀行会館、みずほ銀行の前の本店ビルと合わせて一体的に建て替えることになり、2016年末から解体された。23年しか使われなかったことになる。

 跡地では29F・B4F・R2F、高さ150mの高層ビルが2018年から建設中で、2020年9月に完成する予定だという。

東京銀行協会ビルヂング - Wikipedia

東京銀行協会/丸の内1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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一橋大学一橋講堂

2019-11-02 | 千代田区 
一橋大学一橋講堂
所在地:千代田区一ツ橋 2-1
構造・階数:RC・2
建設年:1932(昭和7)
解体年:1995〜96(平成7〜8)
Photo 1987.11.1

 撮影時、既に廃墟化していた。いつまで使われていたのか判らないが、前庭には草が繁茂し、ファサードは蔦で覆い尽くされ、まさにお化け屋敷状態。都心にこんな状況の建物があったこと自体がある意味おどろき。

 この建物を見たのは写真の時だけ。いつ頃まで残っていたのか分からないが、ネットなどで検索したところでは1995年頃までは存在していたようだ。跡地には学術総合センターが1999(平成12)年12月に竣工しているので、1995〜96年頃に解体されたものと思われる。

 また、現在はこの学術総合センターの建物内に一橋講堂はある。

 なお、当時の地図などを見ると「一ツ橋講堂」と記されていたりするのだが、下記「ぼくの近代建築コレクション」掲載の門の画像で「一橋大学一橋講堂」と読めるので、ここではこの表記を用いる。

ぼくの近代建築コレクション一橋講堂
建築士から見たマンションについての本音を公開します旧一ツ橋講堂

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2022.8.25 一部修正
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