ぽてと倶楽部

じゃがいも伝来の地 『長崎』
雲仙普賢岳の裾野に広がるじゃがいも畑。
ここ愛野町は北海道に次ぐ「ポテト王国」です。

あれから9年

2020-03-11 | よもやま話
9年前の3月11日午後2時46分、
強烈な緊張感を覚えたのを思い出します。

ちょうどその時は、
国道10号を北九州から大分方面へ車で移動中で、
車の中ではNHKラジオの参院予算委員会の中継が流れていた。

当時の首相、菅さんが外国人献金問題で答弁中だったと思う、
突然、緊急地震速報のチャイムが割って入った。

数秒後には放送は渋谷のスタジオに切り替わり、
アナウンサーが地震警報を伝えている最中に

「ああ、今、渋谷のスタジオが大きく揺れています」
「随分長く揺れが続いています。スタジオの中が・・・・

あの冷静なNHKのアナウンサーにしては珍しいほど取り乱していた。

その後、震源と各地の震度が繰り返えされ、津波警報が発令。

繰り返し刻々と津波到達時刻が発表され、
さらにアナウンサーの緊迫した放送は続く。





上空のヘリから送られる映像を見ながらと思うが、

「津波が直ぐそこまで迫っています。」
「まだ、海辺で何人かの人影が見受けられます。」
「どうかこの放送を聞いている方は教えてあげてください。」

現実に今起きていることなのかと自分の耳を疑うほどで、
遠く離れた九州にいる自分にはどうするもできない。

ラジオから聞こえてくるこの生々しい放送は
現実なのかと耳を疑うほどの緊迫感を覚えたものだった。





次第に時間が経つにつれ各地の被害状況が次々に伝わり、
聞きなれた地名が関東地区まで発表されている。
尋常ではない災害であることは直ぐ分かった。

自分の周りでは気仙沼市役所に勤務するOさん、
仙台宮城野区在住のTさんの安否が気になったが電話も繋がらず。

唯一調布の叔母とは電話が繋がり、
かつてない地震の大きさにしゃがみ込んだまま腰が抜けて
しばらく立ち上がれなかったとか。

その後、長男からは「生きてます!」のメールが。

その時はまだ、福島第一原発の事故は表立っておらず、
これがさらなる甚大な災害になるとは知る由もなかった。


黙祷。






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コメント (4)
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