水車小屋があしらわれた信楽焼の壺。
10年ほど前、恩師から贈られたもの。

九州在住の「水車の会」メンバーで
順次廻して飾って欲しいということだった。
恩師が43年に渡って受け持たれた400名ほどの
ゼミのOB、OGで組織される集まりが「水車の会」なのだ。
その年の湯布院での親睦会で披露して、
一番年上の鹿児島のU先輩にお渡ししていた。
3番目の大分 I 先輩が広島に引っ越されるということで、
3年ほど前に私のところに戻しに来られたという訳。
そういうことで、
こちらも3年間箱に入ったままだったので、
このタイミングで箱から出してやることにした。

綺麗に梱包された送り状を見ると
鹿児島のU先輩が次の長崎のH先輩に送られた時のまま。

え、ということは、H先輩とI 先輩は、
まったく開梱されなかったということか?

10年ぶりにわが家の床の間に。
奥様の話によると、
決して増えることはないがメンバーの最後の一人になっても
水車を回していて欲しいと希望されていたらしい。
私の場合、ちょうど真ん中の23期になり、
まだ下には後輩が半分は居ることになるわけで、
最後の一人になってしまうことはないので後輩に託す。
以後の親睦会で
次の先輩に預ける予定にしているのだが、
コロナ禍ではなかなか思うようにいかない。
こそっと「なんでも〇〇団に・・」と言ったところ、
事務局長に叱られた。
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10年ほど前、恩師から贈られたもの。

九州在住の「水車の会」メンバーで
順次廻して飾って欲しいということだった。
恩師が43年に渡って受け持たれた400名ほどの
ゼミのOB、OGで組織される集まりが「水車の会」なのだ。
その年の湯布院での親睦会で披露して、
一番年上の鹿児島のU先輩にお渡ししていた。
3番目の大分 I 先輩が広島に引っ越されるということで、
3年ほど前に私のところに戻しに来られたという訳。
そういうことで、
こちらも3年間箱に入ったままだったので、
このタイミングで箱から出してやることにした。

綺麗に梱包された送り状を見ると
鹿児島のU先輩が次の長崎のH先輩に送られた時のまま。

え、ということは、H先輩とI 先輩は、
まったく開梱されなかったということか?

10年ぶりにわが家の床の間に。
奥様の話によると、
決して増えることはないがメンバーの最後の一人になっても
水車を回していて欲しいと希望されていたらしい。
私の場合、ちょうど真ん中の23期になり、
まだ下には後輩が半分は居ることになるわけで、
最後の一人になってしまうことはないので後輩に託す。
以後の親睦会で
次の先輩に預ける予定にしているのだが、
コロナ禍ではなかなか思うようにいかない。
こそっと「なんでも〇〇団に・・」と言ったところ、
事務局長に叱られた。
