テレビで「アンドレア・シェニエ」をはじめ、イタリアオペラ来日公演の演目すべてを観て《人生が変わった》ような感動をしました。
日本のオペラ歌手たちと全く違う!なんて素晴らしい声、そして優雅さ。
気に入ったプリマはテバルディでなく、ガブリエッラ・トゥッチやシミオナート、アンナ・ディ・スタジオでした。
テバルディは「スゴイ!」のひとこと、でも親しみは感じませんでした。
そして10年前、若かったはずのトゥッチが70歳近くでリサイタルを開き、久しぶりにクリーミーヴォイスの美声の「おもかげ」を聴きました。
楽屋で、トゥッチに「あなたの公演をほとんど聴いています。」と言うと喜んで「どれを?」ときくので「ジルダ、ネッダ、それから・・・」ああ、あのアイーダ、と言うはずだったのに、私の口はとんでもないことを!「アモナズロ」と動いてしまったのです。
ああ、とんでもないことを!真面目に言っていたので笑うどころか、呆然とつったっていました。
トゥッチは太い作り声で「ノン、私はまだアモナズロを歌っておりません」とおおいに真面目に答えてくれました。
私は真っ赤だったと思います。もう恥ずかしくて・・・。
でもトゥッチは喜んで手を差し伸べ、礼を述べられました。
今から考えても恥ずかしいことでした。
レナータ・スコットのタフさには驚きました。これもリサイタルの後、楽屋に行ったのですが当時60歳を過ぎたスコットの声は健在で、際立った音楽性とテクニックに息をのむおもいでした。
「60を過ぎてやったことは、バレエを習ったこと、ステージマナーの為にも。
そしてドイツ語を習得したことね。」とドイツ語でしゃべるプリマ。びっくりしました。
圧倒されました。
ふたりとも気さくなプリマで、親しみやすい雰囲気でした。
こんな時、アントニエッタ・ステッラを思い出します。 大阪フェスティバルホールのロビーにロングドレスにミンクのショール、絵から抜け出たような美女が若い女性のファンに囲まれていました。
当時の正装は振袖、20代の娘さんたちは、口々に英語を駆使してステッラに質問していました。でもステッラはほとんど声を出さず、うなづくだけ。その眼の優しいこと。
「現役のプリマだ、声を大切にしている」と思って感心していた私は中学生、ひとりで大阪に来たのです。「ジャマをしてはいけない」と思うほど、ステッラは声を大切にしているのがわかりました。
「ああ、レオノーラだな」と、美しいステッラにみとれていました。
でも、ある日、指揮者の岩城宏之さんの本を見てびっくり、あの優雅なステッラが初来日の時、指揮のグイとテンポに関して意見が合わず、ついにスコアを叩きつけ、退場するという場面があり、グイの助手をしていた岩城さんやその場にいたスタッフは震えあがったそうです。「これがスカラのプリマというものか」って。
今の歌手だったら「はい、マエストロ、ありがとうございます。そのように歌います」って主従関係みたいに言うだろう、またそれが納得できないテンポであっても、自分から歩み寄ろうとすることでしょう。
ステッラの若き日、テバルディやカラスと競い合った全盛期、一歩も譲ることのなかった「ヴェルディ正選手」の地位を認めた指揮者セラフィンがカラスをさしおいて「トラヴィアタ」「トロヴァトーレ」のレコーディングをしたこと、またミラノスカラのオケによるスカラ版の「ドン・カルロ」「仮面舞踏会」などのヒロインはステッラであったこと、リリコ・スピントでありながら、カラスのテクニック以上のフイオリトゥーラがソットヴォーチェで自由自在だったことなどは、とてもテバルディには望めないこと、
演技力についても音楽と密接に関わり合い、天性の才であったこと。ただ、彼女には国際的大スキャンダルに欠けていたこと・・・でもカラスに飽きたファンはかつてのステッラの魅力が「時空を超えて」思い出され、ますます「ステッラ思慕」への感を強くしていくことなど・・・。この流れは国際的なものらしいです。
日本のオペラ歌手たちと全く違う!なんて素晴らしい声、そして優雅さ。
気に入ったプリマはテバルディでなく、ガブリエッラ・トゥッチやシミオナート、アンナ・ディ・スタジオでした。
テバルディは「スゴイ!」のひとこと、でも親しみは感じませんでした。
そして10年前、若かったはずのトゥッチが70歳近くでリサイタルを開き、久しぶりにクリーミーヴォイスの美声の「おもかげ」を聴きました。
楽屋で、トゥッチに「あなたの公演をほとんど聴いています。」と言うと喜んで「どれを?」ときくので「ジルダ、ネッダ、それから・・・」ああ、あのアイーダ、と言うはずだったのに、私の口はとんでもないことを!「アモナズロ」と動いてしまったのです。
ああ、とんでもないことを!真面目に言っていたので笑うどころか、呆然とつったっていました。
トゥッチは太い作り声で「ノン、私はまだアモナズロを歌っておりません」とおおいに真面目に答えてくれました。
私は真っ赤だったと思います。もう恥ずかしくて・・・。
でもトゥッチは喜んで手を差し伸べ、礼を述べられました。
今から考えても恥ずかしいことでした。
レナータ・スコットのタフさには驚きました。これもリサイタルの後、楽屋に行ったのですが当時60歳を過ぎたスコットの声は健在で、際立った音楽性とテクニックに息をのむおもいでした。
「60を過ぎてやったことは、バレエを習ったこと、ステージマナーの為にも。
そしてドイツ語を習得したことね。」とドイツ語でしゃべるプリマ。びっくりしました。
圧倒されました。
ふたりとも気さくなプリマで、親しみやすい雰囲気でした。
こんな時、アントニエッタ・ステッラを思い出します。 大阪フェスティバルホールのロビーにロングドレスにミンクのショール、絵から抜け出たような美女が若い女性のファンに囲まれていました。
当時の正装は振袖、20代の娘さんたちは、口々に英語を駆使してステッラに質問していました。でもステッラはほとんど声を出さず、うなづくだけ。その眼の優しいこと。
「現役のプリマだ、声を大切にしている」と思って感心していた私は中学生、ひとりで大阪に来たのです。「ジャマをしてはいけない」と思うほど、ステッラは声を大切にしているのがわかりました。
「ああ、レオノーラだな」と、美しいステッラにみとれていました。
でも、ある日、指揮者の岩城宏之さんの本を見てびっくり、あの優雅なステッラが初来日の時、指揮のグイとテンポに関して意見が合わず、ついにスコアを叩きつけ、退場するという場面があり、グイの助手をしていた岩城さんやその場にいたスタッフは震えあがったそうです。「これがスカラのプリマというものか」って。
今の歌手だったら「はい、マエストロ、ありがとうございます。そのように歌います」って主従関係みたいに言うだろう、またそれが納得できないテンポであっても、自分から歩み寄ろうとすることでしょう。
ステッラの若き日、テバルディやカラスと競い合った全盛期、一歩も譲ることのなかった「ヴェルディ正選手」の地位を認めた指揮者セラフィンがカラスをさしおいて「トラヴィアタ」「トロヴァトーレ」のレコーディングをしたこと、またミラノスカラのオケによるスカラ版の「ドン・カルロ」「仮面舞踏会」などのヒロインはステッラであったこと、リリコ・スピントでありながら、カラスのテクニック以上のフイオリトゥーラがソットヴォーチェで自由自在だったことなどは、とてもテバルディには望めないこと、
演技力についても音楽と密接に関わり合い、天性の才であったこと。ただ、彼女には国際的大スキャンダルに欠けていたこと・・・でもカラスに飽きたファンはかつてのステッラの魅力が「時空を超えて」思い出され、ますます「ステッラ思慕」への感を強くしていくことなど・・・。この流れは国際的なものらしいです。