ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

魅惑のプリマドンナ、アントニエッタ・ステッラの表現力

2008年08月22日 | オペラ
 かつてのアホ雑誌「レコード芸術」は、マリア・カラスの宣伝のような批評を書くT氏の影響で、長年にわたり、「刷り込み」されてしまいました。カラスこそ至上のディーヴァだと・・・。
私も若かったものですから、レコードを買うだけの財力もなく、「レコード芸術」を書店で立ち読みしてすっかりカラス至上主義となっていました。

でも年月がその「カラス至上主義」を疑わせるようになったのです。
どうして「私が、私が」なの?他の登場人物は添え物なの?カラスさんのセリフでオペラは回っているの?

そしてカラスの映像はその声と同じく、カミソリのような切れ味、カラス中心の演出をも思わせました。
これがヒロイン?

今、こうしてアントニエッタ・ステッラを思い出し、DVDを観ると、いかに「魅了」しているか、所作ひとつとっても自然で魅力的か。
また、その憂いを含んだ声も音楽と表現の一致にいかにナイーヴかつ緻密な天性の才能あればこそのものか、・・・「仮面舞踏会」でも、グスターヴォへの敬愛が敬慕となり、夫への愛とはまた違ったものであること、サムエルらに囲まれた夫を助ける為、ショールを取り払いすべてを投げ打ったのも、グスターヴォへの敬慕とは違ったレナートへの愛、
「うしろめたいことはない」と言いきれるのも、こうしたアメーリアの行動が言わせるのだと、このトシになってわかりました。
絶体絶命のあの場面、グスターヴォを逃すことにおいてはアメーリアとレナートとは「同志」的な心情だったのでは?

これに気付きグスターヴォの歌う「永久に君を失って」がわかるように思います。
ステッラこそ、ヴェルディの描いた究極のヒロイン。まず、魅力ありき、ですね。
彼女の「ドン・カルロ」のエリザベッタをコッソットのエボリとの対比で実際に観たかったです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする