いよいよプッチーニの「ボエーム」、今までの演奏されることの少ないオペラとは違い、公演回数は多く、録音も数多く、私は生演奏でもスカラ公演でフレー二主演のものを観ました。
レコードではテバルディ、ベルゴンツイ、バスティアニー二、シエピ、セラフィン指揮のロンドン盤、カラス、ディ・ステファノ、パネライ、モッフォらのエンジェル盤、リッチャレッリ、カレーラスらの輸入盤、などを聴いていて、テバルディのおおらかなミミ、ベルゴンツイの律義なロドルフォ、またはカラスとディ・ステファノの定番、など聴いているうちにほとんど覚えてしまい、パリのクリスマスイヴの夜、カフェ・モミュスでお茶する、なんてとても考えられない設定に(それもムゼッタなど肩のあいたドレスで?)「おお、寒い!!」とバカバカしくなりながらも、どんどん繰り出す子供らの声が臨場感たっぷりに、騙されようと思って・・・でもだんだんボヘミアンたちの青春に共鳴していったり。
このステッラ、ポッジ盤は昔ハイライトで「フォンタナ」から出ていましたが、買おうと思ったら廃盤になり、ついに今日聴けました。
ドラマがどうって、青春の一コマでももはや同調するトシでもなく、ステッラを聴こう、楽しもう、と聴きました。
ステッラの声は魅力的でした。声域のチェンジのところが素敵ですし、聴いていて暖かいものを感じました。
でももはや聴き手である私はトシをとり、涙する、というものではなく、「ステッラの声、このオペラに惜しいなあ」とまで思うようになったのです。
テノールのポッジはディ・ステファノのようなコブシを聴かせたものではなく、大変正確で当時のリリコであるタリアヴィー二と同じく、きちっとした音楽でした。
もちろん、大変な美声です。
奔放に歌ったジーリはむせび泣くような歌い方で、大衆的人気を得ましたが、その反動で「作品に忠実に」というスタイルにもどった、カルーソにもどった、ということなのでしょう。でもディ・ステファノは独特のコブシを聴かせて大衆を魅了し、プッチーニやナポレターナになると、彼の独壇場になったことと思います。
しかし、ステッラはスタイリッシュで媚びず、レガートに暖かく歌っています。
美しい声はミミというヒロインを超えて、やはり貴婦人のようです。
ミー先生、聴き手がトシでドラマに同調できない、ヴェルディは普遍的な人間ドラマですが、プッチーニは青春ドラマ、なんでしょうか。
「トスカ」はそうではないのですが、それでもドラマとして弱く、「蝶々夫人」「トゥーランドット」は異国趣味。
どんな時でも魅力的な美声のアントニエッタ・ステッラ、でも彼女は「プッチーニには惜しい」です。確かイタリアではベスト・プッチーニ賞を頂いたそうですが。
次回はいよいよ、カラヤン、ステッラの究極の「ヴェル・レク」です。
これは・・・すごいでしょうねえ。