4月29日のブログが私の疲労の為に中断のような形になり「必ず明日続きを書きます」としながら、翌日はもっと疲れ、本日5月1日にやっと書くことができた。
この動画は1時間を超え、お時間のある時にでもご覧ください。このブログにも一部ご紹介をしています。
【白井聡 ニッポンの正体】~ 統一教会問題の源流 ~ 戦中・戦後貫く岸信介とアジアの蜜月
4月29日のブログは・・・、
ブログ主の憂鬱
選挙も自民党は芳しくない。
私は「自民党」を保守とは思っていない。これはずっと前からである。保守が必ずしも「自民党」支持でなければならない決まりはないし、保守=自民党というのは間違いだ。
それに取り巻きは何か不都合があると「○○党もやっている(子供レヴェルの言い逃れ)」「相手は反日だ(十分に自分の目で確かめてということはほとんどない。鵜呑み専門」
そしていつもの「異論を許さない偏向活動家や提灯持ち雇われマダム風月刊誌3種
・・・(WILL、正論、Hanada)」、
そして雇われ風の政治評論家やテレビに出るお笑いタレント、このお笑いタレントが笑わせた芸を見たことがない。
本日は「岸三代」の元祖? 岸信介 について詳しい話をUPした。
さかのぼると票以外に根深い問題が・・・
岸信介・笹川良一・児玉誉士男の3人のこと。
そして新しくは合同結婚式、霊感商法壺売り、
そして近年、極左派の活動家グループ「シールス」に対抗して、極右のグループ「勝共ユナイト」が活躍、
勝共ユナイトとは・・・勝共UNITEは、反共産主義の学生政治団体。旧称は「国際勝共連合大学生遊説隊UNITE」。会員は世界平和統一家庭連合の2世信者を中心に構成されている。
>梶栗 正義(かじくり まさよし、1970年〈昭和45年〉 - )は、日本の政治活動家、宗教家。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関連団体である「国際勝共連合」、「世界平和連合」、「平和大使協議会」、「国際ハイウェイ財団」の会長、「UPFジャパン」(天宙平和連合の日本支部)の議長を務めている。父親は日本統一教会第12代会長の梶栗玄太郎
以上、ここまでだった。梶栗正義 - Wikiwand
勝共ユナイトの小冊子(上記の写真、私はこの冊子を読んでいない)
国際勝共連合の梶栗正義会長の巻頭言がある。
では本日の文を書きます。・・・その前に勘違いすることがよくある。実際に事件を目の前に見ていない人たちの説得は大変難しい、例えば「それは反日の言うことだ」と逆切れされることが多い。
こうしてレッテルを貼り、それを旗印に多数が同じ言葉をつかう。「こんな人たち」「日本人ではない」「日本を出ていけ!」など、はるかに許容範囲を超える一方で、自分たちが崇拝?する党首や議員が少しでも批判されると「なんで野党のことは言わないんだ、○○党だってしているではないか(これはおかしい、悪質な事件にかかわっている政治家の数が圧倒的に違うことなど無視だ)・・・親に叱られた子供が「○○ちゃんもしていた」と叫ぶ、昔の大人はこういうことを言う子供を厳しく叱り自省を促したようだ。
それと「ますゴミ」という侮蔑の表現を都合によって一斉に言ったり書いたりすることだ。
すべてのマスコミが悪いのではない。それを言うには「どこのどの記事がおかしい」と言うべきだが。
災害地や戦地などで命がけで取材する記者もかなりいる。まだ若い20代前半と思える記者が砲弾の音を聴きながら必死に取材している姿を見て、親はどんな気持ちだろう、と思う。
他にも小さなことでも頑張って取材している記者も多い、
それをひっくるめて「ますゴミ」というのはどうか?
そして目に付くのが「老害」という無礼極まる一言で全否定し侮蔑するムードがあることだ。
「老人には選挙権をある一定の年齢からはずすべきでは?」という有名な自民党政治家もいた。
私はツイッターで「私の父は車椅子で投票所まで連れて行きました。日本に尽くしてきた人たちが老いたから、投票所に行けないから、ということで仰るのでしょうか?」とコメントを書いたら「例えば老人施設などで投票所に連れていくのがどれほど大変か、それを言っているのです」という。
どうも本音は「若者の投票だったら自分たちの意向に沿う投票をする」というような浅はかな考えがあちこちに見えます。
というのはネトウヨたちがどっと「老人など選挙権いらん、若者を苦しめているのは老人だ、老害だ」とズラッと並べるのです。ようやく最近になって老人を迫害するような有名人の話が、常識のある政治家が国会で叩き、新聞やニュースでやっと批判されるようになったのはつい最近です。
あきれるばかりの程度の低さですが、私がこのことをコメントすると「私は老人の方々のことを大切にして尊敬してきました。あなたは私がそういうひどい人間とお思いですか?」とキレてきたので、それとネトウヨがどっと恥も知らずに続くのです。確かにスーパーなどで老人が店員にキレて暴言を吐いているのを見たことがあります。
私は見て見ぬふりができないので(これは親も困っていた)その老人をたしなめるとすごい暴言が飛んできました。
確かに「キレる老人」も多いようです。ダメなものはダメ、店員さんという弱い立場の人に自分のうっぷんをぶつけてはならない。それは中に割って入ってなだめる人がいなくなりつつある、これも心配です。
「安倍派を潰そうとしている」という意見について・・・
またか・・・と思いました。ここに持って行ってまるで筋の通らないわがままな子供のようにすねるのです。
これには「親分が大変だ、ここで庇わないと」という幼稚な発想が集団化する、これって怖いですね。
これは支持する政治家と民衆を「親分・子分」として、反対意見はすべて「反日」という気の毒な発想の方々に多い。
ネトウヨだけではない、こうした間違った押し付けがましい主張は、言いにくいのですが・・・
ところでマスコミの政治記事にも、なぜか「書かない」圧力があるようですね。
たとえば「トーイツ」、「解同」(これは旧社会党が解同をに賛同した、しかもこの時の解同は関西で「糾弾」と称して怒号・暴力で人々を脅した・・・この時、共産党が正しい判断で暴力を止めようとしたことは賞賛に値する、「トーイツ」壺売り事件の多発など、それで得たお金はどこに行くのか?も共産党だけが追及した。
これらはほとんど政府も警察も新聞などニュースもノータッチだった。
自ら恫喝や命の危険を感じるような恐怖を「手段」のひとつとして、屈服したことになる。
私はこれらの当時の様子を知っている。
しかし報道されないのだから、知らないままここまで口をぬぐい、「トーイツ」などに屈服・共鳴してきたことも、一般の政治家も知らない、そして「票」の為に無償で力強い協力を当然のように求めた。
そしてトーイツの実態がようやく新たにされたのは元首相の暗殺からだった。
最近言い始めた「安倍派は壊滅された」という被害意識
もし昔からきちっと事実を報道されていたら、いくら何でも「安倍派」のみならず、ほとんどの政治家は利用しなかったでしょう。
「安倍派壊滅」をすすめたのは、これらのことが原因。他に責任をかぶせてはならない。
岸元首相のこと
「岸三代」の元祖、岸元首相のしたことについて、安倍氏の非常識な一面が「世襲であることで世間の常識から外れたところがある。トーイツへの「祝辞」や関係雑誌の表紙の数回にわたる表紙の写真など、拉致被害者・国民に顔向けできないこともヌケヌケと何の恥じらいもなく、堂々とやってきた。
ここに果てしない傲慢な姿勢を見るのである。
★ それを見てまるで「いいこと」のように頭の弱い自制心に欠ける政治家が競って真似た、政治家としての矜持などどこにある?
岸信介のしたことは情報公開されなかった。「アヘン」で稼いだ、ということを満州に住んでいたクライン孝子氏の父君が何度も「岸は許しがたい」とアヘンの商売を強く批判されていた。
カネの出どころはアヘンが相当大きかった。マネーロンダリングも横行していた。
岸は国家統制に社会主義を入れた計画経済を促し、企業に任されていた自主経済を止め、国家統制をすすめ、アメリカに「岸は東条内閣を倒す功労者」と激賞された。三井・住友などの大企業は撤退を余儀なくされた。
当時満州のアヘンはペルシャから調達、謀略資金に調達したのは甘粕憲兵大尉で「影の皇帝」と呼ばれたほどの権力があり、岸は官僚でありながら甘粕に当時のカネで1000万円(今の90億円)を甘粕に手渡す。
(「キメラ―満州国の肖像」山室信一)
★ 「清国」が諸外国に狙われ、太刀打ちできない状態になり、清の国内はアヘン患者が蔓延し、豪商から貴族まで趣味として軽く考え、アヘンを吸っていた、ここに決定的な国力の衰えが進みます。
ただ、衰え、道義も通らぬ清王朝、ここで「林則徐」という稀有な人物が出てくる。
林則徐(1785年乾隆50年生まれ~1850年道光30年没)
27歳の時に科挙に合格し進士となる。北京の翰林院に入った林則徐は、多くの行政資料を目の当たりにしてその研究に励んだという。その後地方官を歴任し、当時問題とされてきた農村の再建と、それに欠かせない治水問題に積極的に関わるとともに、不正な官吏の大量処分を断行した。彼の地方行政官としての手腕は今日でも高く評価されている。
林則徐がイギリスが清国に持ち込んだアヘンを全部捨てさせたことにより、イギリスは「アヘン戦争」を起こす。
責任を負われた林則徐は・・・新疆のイリに左遷された[2]。しかし、林則徐はここで農地改革を行い、善政を布いた事で住民から慕われた。林則徐にとってもこの場所で南下するロシア帝国の脅威を実見できた事は大きな収穫であり、進士の後輩に対し「将来清の最大の脅威となるのはイギリスよりもむしろロシアだろう」と言い残した。これが後の左宗棠らの塞防派を形作ることになった。(事実、イリは1871年7月にロシアに占領されている。)
林則徐・・・彼の本が神田の古書店にあったそうですが、まだ日本にあるのでしょうか・・・
しかし正しいことをした林則徐を左遷するなんて、さすが斜陽の清国皇帝のすることでしょうね。
日本では「アヘン戦争」のことも知られており、wikiによると・・・「明治3年8月8日(1870年9月3日)には「販売鴉片烟律」が布告され、使用や売買を含めて罰則規定を設け重罪とした。なおこの法律は後の現行法にほぼそのまま取り入れられ、「あへん煙に関する罪(刑法136-140条)」となっている。また、国内に流通するアヘンについても「生鴉片取扱規則」を同日発布し、記録や届出など管理の徹底を始めた。これらの法律は在留清国人にも適用された。
このように明治の政府は決然と日本をアヘンから護ったのです。これは今も続きます。
一時、安倍昭恵氏はこのようなことを言って日本国民が仰天、多くの人が強く批判したために問題にされませんでした。
将来的には一大市場になる?(追加)
安倍氏はこのCBDの普及と、大麻農家の支援に力を入れる。5月20日には衆議院議員会館で「一般社団法人日本ヘンプ協会」の創立記念の勉強会も開かれ、来年中の大麻規制を緩和する法改正を目指している。
安倍元総理と昭恵夫人が「大麻規制緩和」に前のめり? その真意とは(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(2/2) (gendai.media)
安倍昭恵首相夫人、大麻解禁を支持 「日本文化としての大麻が途絶える」
- 週刊ポストが、安倍晋三首相夫人の昭恵さんに「大麻解禁」について聞いた
- 「栽培は絶対許可されない」だと日本文化としての大麻が途絶えるとコメント
- 現時点では法律を守るべきだが、神事やお祓いにも使われているとした
概要のみ掲載しております。(以上、転載)
さらりんさまから頂いた美しい詩を二編ご紹介します。読むたびに「美しさ・悲しみ・希望」が心に響きます。
さらりんさまより
麻の葉の歌をお調べになった時に
ご覧になられたかもしれませんが、
亡父義時を偲んで詠んだ和歌も素晴らしく
蓮生法師との問答歌となっています。
北条泰時
『 山の端に隠れし人は見えもせで
入りにし月はめぐり来にしけり 』
山の向こうへ行ってしまった人にはもう会えないが
山向こうに沈んだ月は再び巡って来た
蓮生法師
『 隠れにし人の形見は月を見よ
心のほかにすめる影かは 』
父上との形見として月をご覧なさい
お父上はあなたの心以外には住んでいないのだから
泰時の援助によって作られた日本最古の港
和賀江島は今は海に沈んでいますが
大潮の干潮時には
島状の石積みで陸続きになり、
当時の古い陶器や瓦の破片が見つかるそうです。
残念ながら私が訪れた時も
港の気配を感じさせるものは石碑のみでした。(さらりんさま、ありがとうございました)
★ご紹介いただいた共通の「海」「月」などの美しさと悲しみを歌ったドヴォルジャーク「ルサルカ」を
UPしました。