私は武田・青山繁晴氏らのことは、話半分に聴いてきたが、今回これだけはUPしておきたいと思った。
国会での討議である。ここに出てくる3人の議員が丁々発止、聴きごたえがあります。
【青山繁晴】大至急 拡散して!99%の日本人が知らないこの“闇”… 2023年4月12日 最新国会討論!字幕入り ※対論として山添拓氏の発言収録!
ブログ主・・・「イデオロギー」を前面に出して国内で言葉争いの狭い活動をしていてはならない。
世界の動向をよく見て、どんどん広がる悪質な侵略など「第3次世界大戦」を絶対に阻止しなければならないのだ。火の粉はよけなければならない。保守系の動画も何かを隠しているような気がする。
ありがたく拝聴するのではなく、巧みに隠されたものを見ぬいて利用・影響されないように用心している。
「第3次世界大戦」は人類の滅亡になる。
日本はどうあるべきか・・・いつも気になるのは頭にカビがはえたような偽ホシュや安倍シンジャ、それにのっかり危険な論調を吹き込むいつもの提灯政治評論家たち、また左派の「先鋒」とされる非常識な一部の議員、「提灯」の影をふみながら無責任きわまる論調をふりまき、日本を壊すような不注意な人たちである。
ウクライナとロシア、アメリカと西欧、中東、インド、そして中国の内と外との全く違った政治方針と国内の予想される反乱、北朝鮮が間をみながら脅し続けるミサイル・・・
そんな中で私たちが私たちの意見を出して、どこにも与しない「日本を護る」ために当然のことを述べる必要を感じている。
悪質な国の内部分裂はすぐそこでどうなるかもわからない。日本はそこまで国を持たせることができるか?
持たせることで日本はその中で生き延びることができる。
ただし「第3次世界大戦」の弾当てにされてはならない、ということだ。
日本は一番狙われやすい・・・軍隊も核もなく、人々は警戒心が薄い。
この前も「投資信託や株など、老後のこと考えてる?」という人に「戦争になったらそんなもの吹っ飛ぶわよ」と反論した。
何を言っても理解できないようだ。私はそういう人についきついことを言ってしまう。
私が自分の一生を文化や芸術から歴史を学び、そして見て、できる限り知りたい、という願いを理解してほしい。
西欧や中東、中央アジアのような他国と国境を接しながら、それを競い守備・攻撃の歴史がない。
中国の歴史を日本的に考えているおかしな評論家やブロガーの一部、
中国で「漢民族」が支配した時代はごくわずかなのに、「中国では万世一系ではない」というおめでたい人たち。
西欧でも昔から民族の大移動や宗教と政治権力の結びつきなど、また他宗教と「ジハード」?をかけた戦争の歴史、
日本では測ることができない凄絶な歴史だ。
それを私は文化から学ぶ。また鋭利な思考をされる畏友である賢者奥山篤信氏が至極当然なご意見を述べられる。(奥山氏のご承諾をいただいていないのでUPなしですが)
それは文化・歴史からの豊富な縦横の知識であり、そこから感じる「直感」だ。
先日だが、ヴァーグナーの研究会で「パルジファル」が長い道のりを歩く場面の音楽に4つの音が厳かに響くところがあった。
私はそれを「ムソルグスキーのボリス・ゴドゥノフ」の皇帝ボリスの苦悩の旋律と、中心になる音が一致している、ヴァーグナーはアジアの風を吹きあらわしている。カトリックではなく、アジアの宗教やギリシャやロシアの古代キリスト教とロシアや北方の風だ」と言った。
そのような感性をヴァーグナーは持っていたのだ・・・。
トーマス・マンの解釈は狭い・・・言いたい放題だったが、これは私が行きついた結論だ。
それにまともに匹敵できるのはヴェルディである、これは言わなかった。
あの「オテッロ」より初期の「ナブッコ」や「レニャーノの戦い」「ロンバルディアの十字軍」中期の「ドン・カルロ」などを述べたいがドイツ派には通用しにくいように思うので黙っていた。
ドイツ派はイタリアを誤解している。イタリアの背骨の文化を知らない。
ところで多くの人が軽く扱ってきたレハールやヨハン・シュトラウス、カールマンなどのオペレッタは鋭い、
説明抜きで「名歌手」が歌う時だけに感じるアジアとハプスブルグの凋落のせめぎあいがある。
そしてその後のリヒアルト・シュトラウス「アラベラ」だ。西欧を救うのはハンガリーら他民族が混合した強さではその一部でしかなかった。それとあのモーツアルト、どの作品も深い。
そんな意味で中国の歴史や文化を味わう幸せと驚きが新鮮だ。
特に弱い漢民族と奔放な他民族のせめぎあいはその中核を成す。
ブログのティールーム
ウオッカ、このお酒はなぜかオペレッタによく出てくる。
「こうもり」のオルロフスキー公爵がウイーンの貴族に無理やり飲ませ困らせたり、「ルクセンブルグ伯爵」でもロシア出身のバジロヴィッチ侯爵がウオッカで乾杯を重ねるなど。
ではレハール作曲「ルクセンブルグ伯爵」の聴きどころをどうぞ。
古い録音でニコライ・ゲッダとルチア・ポップの共演です。
Der Graf von Luxemburg, Act II: Duett. "Lieber Freund, man greift nicht nach den Sternen"
この場面の物語
ロシアの老貴族であるバジル・バジロヴィッチ侯爵は、昔憧れた美しい女性に面影の似た歌手アンジェールのパトロンとして、彼女を見守るだけの生活をしていた。身分や年齢の差から「結婚」は考えもしなかったが、ある日知り合った役所の戸籍係ペレグランから「落ちぶれた貧乏な貴族にお金をつかませ、名目だけの偽装結婚をさせ、その後、離婚させて貴族夫人としての肩書をその若い歌手アンジェールに得させて、本当に結婚したら?」と持ち掛けた。
結婚なんて考えもしなかった老貴族パジロヴィッチ侯爵は、すっかりその気になり、そこで最適と目を付けたのが放蕩貴族ルネ・ルクセンブルク伯爵。超名門の貴族だがお金のないルクセンブルグ伯爵は、すぐさまこの儲け話にのった。
晴れて結婚式当日。戸籍係のペレグランやバジル侯爵、秘書たちの見守る中、主役の2人は売れない画家アルマンのアパートでキャンバスを挟み、顔を見ないままに結婚の誓いをするのだった。見たのは指輪交換時のお互いの「手」のみ。ルクセンブルグ伯爵はそのまま3ヶ月後の離婚手続きまではパリを離れるという約束で、その地を去った。
ところが彼は美しい「手」の主にあこがれ、相手も知らないまま恋をしてしまうのだった。
オーストリア=ハンガリー帝国出身の作曲家レハールは、こうしたオーストリアの窮乏ぶりを作品にした。
ルクセンブルク君主一覧 - Wikipedia