R. Tebaldi & F. Corelli "Gia nella notte densa" Otello
昔、コレッリとテバルディがジョイント・コンサートを開き、プログラムのフィナーレにヴェルディ「オテッロ」のデュエットを歌って大きな感銘を残したという幻のフィルムである。
コレッリは賢明にもヴェルディ「オテッロ」(シェークスピアのオセローのこと、イタリア語読み)を実際のオペラではレパートリーにしていない。
あのマリオ・デル・モナコの狂気のようなオテッロは、もう誰にも近づけない域だったと共に、デル・モナコの代名詞でもあったほどだった。
レコードではカラヤン指揮で、デル・モナコ、テバルディが主演していて、これを超えるものなどいない、ヴェルディであって「オテッロ」はヴェルディではない、特別のオペラだったのだ。
しかし、コレッリはこのデュエットは好んでコンサートにとりあげた。彼のドラマティックな声でオテッロは可能なはずだったが、コレッリの気質がオテッロではなく、貴公子だったこと、ヴェルディだったら「アイーダ」「ドン・カルロ」「トロヴァトーレ」を歌っていた。
あの伝説的なテノール、カルーソですら「オテッロ」を避けたほど、喉に負担を与える役でもあった。
ここでは長年、マリオ・デル・モナコの相手役だった当時世界最高のソプラノのひとり、レナータ・テバルディと歌っている。
テバルディは186センチという体格で、「大鵬のような」といわれるような巨体であり、デル・モナコは見上げて歌っていた。(デル・モナコだけでなくほとんどの歌手がそうだった・・・このころはダイエットしたのかスマートになっていたが、これは彼女のライヴァル、マリア・カラスの影響か?)
コレッリがオテッロを歌うと、デル・モナコのような狂気はなく、やはり貴公子である。
ファンは彼にオテッロは望まない。
でも「もしオテッロを歌ったら」という興味はつきなかった。
イタリアで「デル・モナコが最高」というと、「コレッリとベルゴンツイはもっと正統的なベルカントだった」という人が多かった。
デル・モナコは「一番恐れたのはコレッリ、偉大な声だった。彼こそ私のライヴァルだった。ベルゴンツイはインテリで少しタイプが違う、カルーソだ」って言っていたが・・・。
昔、コレッリとテバルディがジョイント・コンサートを開き、プログラムのフィナーレにヴェルディ「オテッロ」のデュエットを歌って大きな感銘を残したという幻のフィルムである。
コレッリは賢明にもヴェルディ「オテッロ」(シェークスピアのオセローのこと、イタリア語読み)を実際のオペラではレパートリーにしていない。
あのマリオ・デル・モナコの狂気のようなオテッロは、もう誰にも近づけない域だったと共に、デル・モナコの代名詞でもあったほどだった。
レコードではカラヤン指揮で、デル・モナコ、テバルディが主演していて、これを超えるものなどいない、ヴェルディであって「オテッロ」はヴェルディではない、特別のオペラだったのだ。
しかし、コレッリはこのデュエットは好んでコンサートにとりあげた。彼のドラマティックな声でオテッロは可能なはずだったが、コレッリの気質がオテッロではなく、貴公子だったこと、ヴェルディだったら「アイーダ」「ドン・カルロ」「トロヴァトーレ」を歌っていた。
あの伝説的なテノール、カルーソですら「オテッロ」を避けたほど、喉に負担を与える役でもあった。
ここでは長年、マリオ・デル・モナコの相手役だった当時世界最高のソプラノのひとり、レナータ・テバルディと歌っている。
テバルディは186センチという体格で、「大鵬のような」といわれるような巨体であり、デル・モナコは見上げて歌っていた。(デル・モナコだけでなくほとんどの歌手がそうだった・・・このころはダイエットしたのかスマートになっていたが、これは彼女のライヴァル、マリア・カラスの影響か?)
コレッリがオテッロを歌うと、デル・モナコのような狂気はなく、やはり貴公子である。
ファンは彼にオテッロは望まない。
でも「もしオテッロを歌ったら」という興味はつきなかった。
イタリアで「デル・モナコが最高」というと、「コレッリとベルゴンツイはもっと正統的なベルカントだった」という人が多かった。
デル・モナコは「一番恐れたのはコレッリ、偉大な声だった。彼こそ私のライヴァルだった。ベルゴンツイはインテリで少しタイプが違う、カルーソだ」って言っていたが・・・。